群馬県高崎市貝沢町井野前332、井野川中流域右岸の微高地にあります。
五霊神社境内にあり、後円部墳丘上には五霊神社の社殿が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ef/801412dfefef6735aa6cb661b7cb3680.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/90/c831babf6ace13a59551c422e1bc4f98.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/bb/ccb88e0aaa30fd009ba553d7e861bd88.jpg)
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「高崎市223号墳」とも呼ばれています。
全長約60m、 後円部径34m・高さ3.6m、 前方部先端幅38.5m・高さ4m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/bf/5e4294ef0a798ab5f20ef29a3511b53a.jpg)
(左奥が前方部)
墳丘はかなり削平を受けています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/44/b3c55f94d88ddeca0d3d83140161643e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2d/8d7963b9d11471e97d41cbc343b992be.jpg)
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1980年には発掘調査が行われています。
墳丘の周りにはすでに埋没している盾形をした周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や大刀形埴輪が採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は確認されていませんが、横穴式石室の可能性が高いとみられています。
金環、大刀、シオデ、鞍、銅鋺、土師器などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀末頃の築造と推定されています。
平成5年3月1日、高崎市の史跡に指定されています。
五霊神社境内にあり、後円部墳丘上には五霊神社の社殿が建っています。
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「高崎市223号墳」とも呼ばれています。
全長約60m、 後円部径34m・高さ3.6m、 前方部先端幅38.5m・高さ4m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
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(左奥が前方部)
墳丘はかなり削平を受けています。
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1980年には発掘調査が行われています。
墳丘の周りにはすでに埋没している盾形をした周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や大刀形埴輪が採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は確認されていませんが、横穴式石室の可能性が高いとみられています。
金環、大刀、シオデ、鞍、銅鋺、土師器などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀末頃の築造と推定されています。
平成5年3月1日、高崎市の史跡に指定されています。