古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

群馬県甘楽町・天神古墳

2017-11-25 06:22:43 | Weblog
群馬県甘楽郡甘楽町善慶寺原にあります。
木塚古墳の西約50mのところです。
「木幡町5号墳」とも呼ばれています。

全長約20m、 後円部径?m・高さ1.6m、 前方部先端幅?m・高さ1.5m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平されています。







埋葬施設は、南に開口する両袖型横穴式石室です。
直刀や金環などが出土しています。

資料が少なく古墳の築造時期を含め詳細は不明です。

善慶寺原古墳群を構成しています。

群馬県甘楽町・木塚古墳

2017-11-25 06:04:35 | Weblog
群馬県甘楽郡甘楽町善慶寺原1241、県道193号線そばにあります。
「木幡町4号墳」とも呼ばれています。

全長約25.5m、 後円部径?m・高さ1.8m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平されています。
後円部墳頂には小さな神社があります。









埋葬施設は、南方向に開口する右片袖型横穴式石室です。
自然石を用いた小さな石室です。





資料が少なく古墳の築造時期を含め詳細は不明ですが、石室を有することから古墳時代中期から後期にかけて築かれたものと思われます。

善慶寺古墳群を構成しています。

群馬県甘楽町・笹森古墳

2017-11-18 06:05:12 | Weblog
群馬県甘楽郡甘楽町福島笹森1350、笹森稲荷神社の境内にあります。
「笹森稲荷古墳」とか「福島村1号墳」とも呼ばれています。
北東方向約400mに「天王塚古墳」があります。

全長約105.6m、 後円部径約65.6m・高さ9.7m、 前方部先端幅68m・高さ10.4m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
前方部と後円部がほぼ同じ高さという特徴があります。
墳丘くびれ部南側には笹森神社の社殿が建設されていて削平されています。







墳丘の周りには二重の楯形をした周濠があります。



墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や形象埴輪が採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。











1981年に発掘調査が行われています。
後円部中段には、南に開口している両袖型の横穴式石室があります。


  (赤い鳥居のそばに石室の開口部があります。3月の例大祭の時に開放されるそうです。)

自然石でつくられた石室の全長は16m、玄室の長さ7m・幅2.3m・高さ2.7mの単室構造で、羨道は長さ9m・幅1.3m・高さ1.7mあります。
五鈴鏡、勾玉、管玉、金環、須恵器などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和58年2月22日、群馬県の史跡に指定されています。

群馬県甘楽町・天王塚古墳

2017-11-18 05:43:49 | Weblog
群馬県甘楽郡甘楽町(かんらまち)福島1277-1~2、鏑川右岸の河岸段丘の縁辺にあります。
上州鉄道・上州福島駅から約400mほど南にいったところです。
「神明塚古墳」とも呼ばれていて、彦狭王の御陵と伝えられています。
鏑川流域に分布する古墳の中で最も古いものです。



全長約76m、 後円部径約50m・高さ10m、 前方部先端幅39m・高さ7.5m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。





墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
埴輪の出土はありません。
埋葬施設は未調査につきはっきりしていませんが、後円部に竪穴式石室があるようです。







古墳時代中期・5世紀初頭頃の築造と推定されています。

昭和53年6月13日、甘楽町の史跡に指定されています。

奈良県天理市・星塚1号・2号墳

2017-11-11 06:07:24 | Weblog
奈良県天理市二階堂上ノ庄町ホシヅカの平地にあります。


                 (手前の線路は近鉄・天理線です)

「1号墳・・・消滅」
全長38m、 後円部径27m・高さ?m、 前方部先端幅16.7m・高さ?m  帆立貝形の前方後円墳です。
前方部を北西に向けています。
墳丘は鎌倉時代に削平され消滅しています。


  (上記写真左手上の3棟並ぶ白壁の2階建ての家がある下あたりが1号墳のあった場所です。)

後円部東南には陸橋に造り出し部があります。
墳丘の周りには幅6.4m~8.4m、深さ0.8mの馬蹄形をした周濠があります。
葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・蓋形埴輪・盾形埴輪・鳥形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
周濠跡から須恵器や土師器、木製製品(槌状木製品・笛状木製品・板材の削りくず)、石斧・砥石などが出土しています。
なかでも北側の周濠くびれ部から出土した笛状木製品は、横笛としては日本最古の出土例だそうです。
古墳時代後期・6世紀初頭の築造と推定されています。

「2号墳」
全長39~41m、 後円部径32m・高さ2m、 前方部先端幅20m・高さ?m  の帆立貝形の前方後円墳です。
前方部は既に消滅(下記写真の手前田圃のあたり)していて、後円部も共同墓地になっていてわずかに墳丘が残るのみです。







1号墳の前方部を一部削って造られています。
1952年に発掘調査が行われていて、後円部中央で長さ7mの片袖型横穴式石室が見つかっています。
玄室の長さ4.7m・幅2.25mの単室構造で、羨道の長さは2.3m・幅1.27mあります。
凝灰岩製の組合式家形石棺が収められていたそうです。
盗掘を受けていましたが、棺内からは倭製鈴鏡・滑石製臼玉・瑪瑙製管玉・瑠璃製管玉・瑠璃製金張丸玉・象嵌ガラス製丸玉・ガラス製丸玉・ガラス製小玉・ガラス製管玉・水晶製三輪玉・純金製環・金銅製環・鉄刀(柄頭)・鉄鏃・石突・石鏃・刀子・金銅製辻金具・鉄製鋲留金具・鉄地金張金具・鉄地銀張金具・銅製カコ・座金付カコ・銅製鋲・鉄釘などが、周濠内からは木槽・剣形木製品などが出土しています。

1985年から宅地造成に伴う天理市教育委員会の発掘調査で、墳丘の周りに幅6~7mと幅8.7mの馬蹄形をした二重の周濠が見つかっています。
現在周濠跡は公園になっています。









円筒埴輪や朝顔形埴輪・蓋形埴輪・切妻造家形埴輪・鷹飼埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

奈良県天理市・シウロウ古墳

2017-11-04 06:11:23 | Weblog
奈良県天理市渋谷町シウロウ塚ジョ山の丘陵尾根上にあります。
宮内庁が「山辺道上陵は号陪塚」として管理しています。
渋谷向山古墳(景行天皇山辺道上陵)の後円部すぐ北側です。


                    (奥の森が渋谷向山古墳です。) 

全長120m、 後円部径66m・高さ7m、 前方部先端幅60m・高さ4m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
前方部と後円部の鞍部が低く、2基の方墳が連接したような特異な形状をしています。
そのため前方後方墳や双方墳の可能性もあるといわれています。













墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設や副葬品などは不明です。

古墳の築造時期は、古墳時代前期頃といわれていますがはっきりしていません。

奈良県天理市・二ノ瀬池古墳

2017-11-04 05:48:39 | Weblog
奈良県天理市萱生町大仏二ノ瀬池の丘陵上にあります。
標高約140mの地点で、墳丘は果樹園や池の堤で改変されています。



全長44m、 後円部径?m・高さ3m、 前方部先端幅?m・高さ3m  の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。

発掘調査等行われていなく、詳細は不明です。
埋葬施設は横穴式石室といわれています。
かって後円部南側の池べりで、古墳時代中期末頃の須恵器が採取されているそうです。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

案内してくださった地元のお年寄りの方のお話だと、二ノ瀬池の中にもかって古墳があったそうです。
池の堤の一角にも石室の開口部があるとのことで案内していただきました。
子供のころに自由に出入りして遊んだことがあるとのことでした。





二ノ瀬池周辺は、奈良県が選定した「まほろば眺望スポット百選」の素晴らしい眺めです。