古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

奈良県天理市・ノベラ古墳

2008-11-29 08:58:05 | Weblog
奈良県天理市柳本町ノベラの緩傾斜面にあります。
JR柳本駅から線路沿いに南へ400mほど行ったところです。
全長78m、 後円部径40m・高さ?m、 前方部幅30m・高さ?m の柄鏡式前方後円墳です。
墳丘はかなり損傷を受けています。
墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土もなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
未調査ですが、古墳時代前期の築造と推定されています。
民家があるため一部観察しにくいところもあります。

この古墳と、先に紹介した柳本大塚古墳、石名塚古墳はいづれも柄鏡式の前方後円墳です。
上つ道に沿って並ぶこれらの古墳は、柳本古墳群の中でも異彩を放っています。
同じ柄鏡式の巨大古墳、桜井茶臼山古墳・ノベラ古墳に眠る人物と何らかの関係があったように思えるのですが.......
 
柳本古墳群を構成しています。

奈良県天理市・石名塚古墳

2008-11-29 08:42:50 | Weblog
奈良県天理市柳本町石名塚の緩傾斜面にあります。
柳本大塚古墳の北約300mほどのところです。
全長111m、 後円部径66m・高さ13.3m、 前方部幅4.m・高さ6m の柄鏡式前方後円墳です。
墳丘の周りには、今は埋没した幅約10~12mの周濠があります。
その痕跡か、前方部には大きな池(新池)があります。
墳丘には葺き石が施されていたとみられています。
埴輪の出土がなく、墳丘には埴輪の配列はなされていなかったようです。
この古墳は未調査ですが、古墳時代前期の築造と推定されています。
ほぼどこからでも観察できます。
新池越しに見るのが一番いいようです。
柳本古墳群を構成しています。

奈良県天理市・柳本大塚古墳

2008-11-22 08:38:11 | Weblog
奈良県天理市柳本町大塚の丘陵縁辺にあります。
渋谷向山古墳(景行天皇陵)から西へ約500m、上つ道から少し入った所です。
全長64m、 後円部径54m・高さ7.6m、 前方部幅29m・高さ3.4m の前方部を南に向けた柄鏡式前方後円墳です。
墳丘の周りには幅約30mの盾形をした周濠があります。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
今、前方部には槙などの植木がいっぱい植えられています。

後円部中央にある埋葬施設は、竪穴式石室です。
長さ2m、幅1.2mの舟形の刳抜式木棺が納められていて、中から銅鏃や鉄器が出土したそうです。
また別に小石室があり、そこから径が39.7cmの倭製の内行花文鏡が出土しています。
倭製内行花文鏡の中では初期に造られたもので、しかも内行花文鏡としては最大だそうです。

古墳時代前期・4世紀前半の築造と推定されています。
畑の隅の一角にあり、ほぼ何所からでも観察できます。
柳本古墳群を構成しています。

「追記」
明治時代に盗掘され不明になっていた木棺の蓋が、このほど見つかったそうです。
橿原考古学研究所の岡林総括研究員らが大正時代の雑誌の記述から、桜井市にある宗教法人大神教の本殿拝殿の額であることを突き止めたのだそうです。
拝殿正面に「大神教」と書かれて飾られているそうです。
長さが約2.8m、幅約80cmあるそうです。
今後は、年代や材質について科学的に調査・分析が進められるそうです。
(2009.1.28)



奈良県天理市・上の山古墳

2008-11-15 08:30:00 | Weblog
奈良県天理市渋谷町上山の尾根上にあります。
渋谷向山古墳(景行天皇陵)の前方部北側すぐにあって、向山古墳に向かって築かれています。
渋谷向山古墳の陪塚で、前方部とくびれ部にある小さな神社の境内を除いて、宮内庁が管理しています。
全長144m、 後円部径84m・高さ17m、 前方部幅56m・高さ12m の前方後円墳です。
平成6年の調査で、墳丘の周りに幅約25mの周濠が確認されました。
周濠内から、円筒埴輪や鰭付円筒埴輪・壷形埴輪・朝顔形埴輪・盾形などの形象埴輪が多数出土しました。
このことから墳丘には埴輪の配列がなされていたものと思われます。
鰭付円筒埴輪は、高さが102.5cmもある大きなものでした。
他にも、長さが170cm、幅60cm、厚さ5cmの板材(木製埴輪)も出土していて、埴輪と一緒に墳丘に立て並べられていたものと考えられています。
また墳丘には葺き石も施されていました。
後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室です。鏡、石製模造品などが出土しています。
古墳時代前期・4世紀末頃の築造と推定されています。
一部見難い所もありますが、ほぼ何所からでも観察できます。
柳本古墳群を構成しています。


奈良県天理市・渋谷向山古墳

2008-11-08 08:56:23 | Weblog
奈良県天理市渋谷町向井、龍王山麓の丘陵上・国道169号線沿いにあります。
前方部を西に向けています。
宮内庁が、第12代景行天皇・山辺道上陵として管理しています。
江戸時代末頃までは、第10代崇神天皇陵とされていましたが、慶応元年に景行天皇陵に治定変更されています。
全長300m、 後円部径168m・高さ23m、 前方部幅170m・高さ23m 三段構築の前方後円墳です。
全国で7番目、奈良県内では2番目の大きさです。
墳丘の周りには幅10~15mの今も水を湛えた周濠があります。
その長さは1Kmにもなるそうです。
所々に古墳へ渡るための土手が築いてあります。
墳丘には葺き石が施されています。
また円筒埴輪や朝顔形埴輪、盾形埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
1864年、蛇紋岩製の石枕が、この古墳から出土したと伝えられています。
長さ、幅ともに31cmあり、馬蹄形をしていて、頭を乗せる部分は窪んでいるそうです。
今、関西大学に保存されています。
景行天皇は皆さんご存知のとおり、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父王であり、日本書紀によれば、自ら熊襲に出征したり、土蜘蛛を討伐したとあります。
その勢力は、九州から関東にまで及び、日本統一の礎を築いたとされる天皇です。
もちろん日本武尊を中心にした力があってのことです。
古墳時代前期・4世紀後半の築造と推定されています。
一部見難い所もありますが、ほぼ何所からでも観察できます。
柳本古墳群を構成しています。古墳群中最大の古墳です。


「柳本古墳群」
先に紹介した纏向古墳群の北側に続く古墳群です。
JR桜井線・柳本駅の東側の山すそ一帯に分布する古墳群です。
いずれも古墳時代前期の築造とされる、13基の前方後円墳と1つの双方中円墳からなります。


奈良県桜井市・珠城山2号墳

2008-11-01 09:15:13 | Weblog
奈良県桜井市穴師玉井1067の丘陵尾根にあります。
墳丘はその形がはっきりせず、規模も良く判っていません。
ただ 後円部が40m、前方部が40m の前方後円墳だと言うことくらいです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は竪穴式石室です。
この古墳は、古墳時代後期・6世紀前半の築造と推定されています。
珠城山古墳群を構成しています。
1号墳同様、全体的に赤褐色の土で覆われていて、その形状は1号墳以上にはっきりつかめませんでした。
二つの古墳は、同じ尾根上に並ぶようにしてあります。


奈良県桜井市・珠城山1号墳

2008-11-01 09:02:30 | Weblog
奈良県桜井市穴師玉井1067の丘陵尾根にあります。
JR桜井線・巻向駅、国道169号線の東側にあります。
全長50m、 後円部径20m・高さ5m、 前方部幅20m・高さ2.5~2.8m の前方後円墳です。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
1955年、調査が行われています。
後円部中央に埋葬施設があります。
全長4.7mの右片袖形横穴式石室があり、組合式石棺が納められていました。
玄室の長さ3.4m・幅1.65m・高さ2m、羨道の長さ1.3m・幅1.0m・高さ1.6mあります。
南に開口した石室内部は、自由に見学できました。
銅製勾玉・銀製中空玉・金環・三葉環頭鉄刀・鉄槍・鉄鏃・刀子・鉄斧・鞍金具・鉄製カコ・鉄釘・銀象嵌鉄製品・土師器・須恵器などが出土しています。
この古墳は、古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。
珠城山古墳群を構成しています。
昭和53年2月8日、古墳群は一括して国の史跡に指定されています。
古墳は、道路わきの小高いところにあって、よそではあまり見られない赤褐色の土で覆われていて、形状もはっきりつかめませんでした。