古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県高鍋町・持田62号墳

2007-11-24 09:20:11 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田亀塚の古墳群台地下、国道10号線そば、水田に囲まれた所に1基だけあります。
亀塚古墳とも呼ばれています。
全長51m、 後円部径39m・高さ6.2m、 前方部幅29m・高さ2.7m の前方後円墳です。
古墳時代最盛期の日向地方では珍しい帆立貝式の古墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
家型埴輪などが採集されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
採集されたのは、家型埴輪の鰹魚木(かつおぎ)片2点で、それは大阪府羽曳野市・古市古墳群にある墓山古墳(全長225m・全国23位の巨大古墳)で発見されたものと同一と言われています。
墳丘の周りには方形をした周溝(今は空堀)があります。
1987年に調査が行われ、後円部にある埋葬施設には割竹形木棺が納められていました。
写真の後円部後方に見える森が、持田古墳群のある台地です。
この古墳の築造時期は5世紀中頃と推定されています。
持田古墳群を構成しています。

宮崎県高鍋町・持田48号墳

2007-11-17 10:00:58 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田東光寺の台地先端にあります。
遠く日向灘を見渡せる眺望のきく所に築造されています。
47号墳同様、前方部が東南を向いています。
持田古墳群の中でいちばん古い古墳と見られていて、宮崎県内でも最も古い前期古墳の一つです。
全長78m、 後円部径50m・高さ7.3m、 前方部幅27m・高さ4m の柄鏡式前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
埋葬施設は竪穴式石室(既述の計塚古墳と同様のもの)で、木棺が納められていました。
この古墳の内部主体からは3面の鏡が出土したと言われています。
1面は画文帯神獣鏡です。
もう1面は三角縁天王日月獣文帯四神獣鏡(個人蔵)といわれています。
この鏡は京都府山城町にある椿井大塚山古墳(三角縁神獣鏡が30数面発見され畿内でも中心的な大古墳として知られています。)出土の1面と同笵鏡です。ちなみにもう1面、岐阜市の龍門寺1号墳からも出土しています。
残る1面は、景初四年(実際の景初年号は三年まで)銘入り斜縁盤龍鏡(個人蔵)だとされています。
いづれにしても盗掘され、散逸しているためはっきりはしていません。
そのほか直刀・鉄鏃などが出土しています。
現在この古墳のある台地先端部には大師堂があります。
持田古墳群を構成しています。

宮崎県高鍋町・持田47号墳

2007-11-17 09:21:25 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田東光寺の台地端にあります。
全長53.3m、 後円部径30m・高さ4.2m、 前方部幅22m・高さ2.3m の柄鏡式前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
墳丘の周りには周溝があります。
後円部中央・約1.5m下のところに主軸に並行する石室があります。
石室の構造は、既述の計塚古墳の石室構造と同様のものでした。
底部に7~8cmの川原石を敷き、両側壁に高さ約30cmの自然石を積み上げた竪穴式石室になっています。
出土品としては、硬玉製勾玉1個・管玉10個・直刀1振などがあります。
古墳の築造時期は不明ですが、墳形や石室構造からして古墳時代前期のものと推察します。
持田古墳群を構成しています。

宮崎県高鍋町・持田46号墳

2007-11-10 08:30:23 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田東光寺の台地上にあります。
全長33m、 後円部径19m・高さ3.2m、 前方部幅16m・高さ2.3m の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
東光寺は持田の台地上の東先端部に位置します。
この古墳と47号墳、48号墳が先端に向かって並んでいます。
3基の中ではこの古墳がいちばん小さな古墳です。
埋葬施設や出土品など詳しいことは不明です。
古墳時代後期頃の築造と推定されています。
持田古墳群を構成しています。

宮崎県高鍋町・持田39号墳

2007-11-10 08:18:41 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田中尾の台地中間にあります。
中尾は持田地区でも一段低いところで、目の前に小丸川が見渡せます。
全長40m、 後円部径21m・高さ3.1m、 前方部幅13m・高さ1.6m の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
埋葬施設は竪穴式石室です。
中国製四葉文座内行花文鏡・直刀・管玉・銀環などが出土しています。
この古墳は場所がわかりにくく、見つけるのに苦労しました。
畜産農家の牛舎裏にあり、その牛舎の中を通らせていただいて訪ねました。
この古墳は一部損傷しています。
古墳の築造時期は不明です。
持田古墳群を構成しています。

宮崎県高鍋町・持田34号墳

2007-11-03 08:51:21 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田関所の台地上にあります。
全長60m、 後円部径32.5m・高さ5.7m、 前方部幅30m・高さ4.8m の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石は施されていなかったようです。
墳丘の周りには盾形をした周溝が、さらにその外側には周庭があります。
埴輪の出土はなく、墳丘には埴輪の配列はなされていませんでした。
埋葬施設はどのようなものだったのか確認されていません。
倭製四獣形鏡・ガラス製玉・硬玉製勾玉・直刀・鉄鏃・単鳳金銅環頭柄頭などが出土しています。
持田古墳群を構成しています。
広い茶畑を挟んで26号墳と平行しています。
古墳時代後期の築造と推定されています。

宮崎県高鍋町・持田26号墳

2007-11-03 08:18:09 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田関所の台地中央、畑に囲まれた一画にあります。
山ノ神塚古墳とも呼ばれています。
全長47m、 後円部径27m・高さ5.5m、 前方部幅31m・高さ5.7m の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石は施されていなかったようです。
埴輪の出土はなく、墳丘には埴輪の配列はなされていませんでした。
二つの埋葬施設が確認されています。
後円部頂の埋葬施設には、石棺が納められていました。
倭製環状乳神獣鏡。ガラス製勾玉・管玉・金環・金製耳飾・直刀・三葉環頭柄頭などが出土しています。
もう一つの埋葬施設も石棺が埋葬されていました。
持田古墳群を構成しています。
築造時期は古墳時代後期と推定されています。