古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県国富町・本庄古墳群42号墳

2011-10-29 08:22:18 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄小原7280の台地上にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「藤岡山東陵古墳」とも呼ばれています。
国富町役場の西・国富運動公園の西北(テニスコート横)にあります。

全長90m、 後円部径60m・高さ12.6m、 前方部先端幅65m・高さ10.3m 三段構築の前方後円墳です。

本庄古墳群最大の前方後円墳です。
唯一この古墳だけが前方部を東に向けています。
あたかも古墳群全体を見下ろしているかのような位置・高さにあります。
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代中期頃の築造と推定されています。

墳丘は雑木林に覆われていて、一部観察しにくい所もあります。






宮崎県国富町・本庄古墳群41号墳

2011-10-29 08:10:30 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄十日町6906の台地上にあります。
墳丘はかなり損傷を受けています。
「轡塚古墳」とも呼ばれています。

全長46m、 後円部径15m・高さ3m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。


後円部には石仏を祀った祠が建っています。
築造時期など詳しいことは不明です。
周りを民家に囲まれていて、古墳の存在も見逃されてしまいそうな所です。






宮崎県国富町・本庄古墳群39号墳

2011-10-22 08:41:57 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄十日町6886の台地上にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「丸山塚古墳」とも呼ばれています。
上記写真、手前が前方部です。
田部歯科医院の駐車場横です。

全長50m、 後円部径30m・高さ6.8m、 前方部先端幅?m・高さ4.2m の前方後円墳です。

後円部の墳丘の大きさに比べ、高さが際立っています。
築造時期など詳しいことは不明です。

市街地の西のはずれ近くにあり、一部観察しにくい所もあります。






宮崎県国富町・本庄古墳群38号墳

2011-10-22 08:04:22 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄神ノ原4845の台地上にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「剣塚古墳」とも呼ばれています。
37号墳の少し西、肥後街道の北側です。

全長56m、 後円部径35m・高さ4m、 前方部先端幅?m・高さ4m 二段構築の前方後円墳です。

築造時期等詳しいことは不明です。

この古墳は、彦稲飯命(ひこいないのみこと)ー神武天皇の兄ーの陵墓とか、御刀姫(みはかしひめ)-景行天皇の妃ーの陵墓、はたまた日本武尊が熊襲武を刺した短刀を埋葬した塚 などいろんな伝説が残されています。

後円部墳頂には「本庄剣柄稲荷神社(ほんじょうけんのつかいなりじんじゃ)」があります。
この神社は、今から凡そ1900年ほど前の景行天皇即位12年壬午11月の創建と言われています。
御祭神は彦稲飯命・玉依姫命・神倭盤余彦命です。
かって社殿右手には、樹齢千数百余年と言われていた天然記念物の「本庄のいちいがし」がそびえていたそうですが、戦後間もなくの台風で倒れ今はありません。
わずかに石柱(半壊していますが)に名を残すのみです。

一部観察しにくい所があります。


   (手前の道路が旧肥後街道です。)




   (前方部の名残です。)

宮崎県国富町・本庄古墳群37号墳

2011-10-15 08:30:09 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄神ノ原4045の台地端にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「上長塚古墳」とも呼ばれています。
肥後街道の南側、国富町商工会館を挟んで36号墳の西側にあります。

全長(現在長)73m、 後円部径37m・高さ7m、 前方部先端幅32m・高さ7.6m 二段構築の前方後円墳です。

墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
築造時期など詳しいことは不明です。

現在後円部には立派な「37・8年戦役記念碑」が建っています。
また前方部には石仏を祀った小さな祠があります。

住宅などで一部からしか全体像は観察できません。
ただし墳丘に登る階段が設置されています。


   (後円部に立つ記念碑)


   (後円部から前方部をみています。)


   ( 前 方 部 )

宮崎県国富町・本庄古墳群36号墳

2011-10-15 08:12:02 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄宗仙寺4069の台地端にあります。
墳丘は一部破壊されています。
「千貫塚古墳」とも呼ばれています。
肥後街道の南側、国富町商工会館の裏です。
本庄変電所に接しています。

全長(現在長)20m、 後円部径20m・高さ4.1m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

資料が少なく築造時期など詳しいことは不明です。

一部観察しにくい所もあります。






   (右側の建物が国富町商工会館、左側が変電所です。)

宮崎県国富町・本庄古墳群34号墳

2011-10-08 08:15:34 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄北神ノ原4834にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「義門寺山内塚古墳」とも呼ばれています。
県道26号線と肥後街道に挟まれた一角にあります。

全長54m、 後円部径28m・高さ3.3m、 前方部先端幅27m・高さ2.2m の前方後円墳です。

墳丘の北側の一部を除いて、周りは墓地に囲まれています。
資料が少なく築造時期など詳しいことは不明です。

ほぼどこからでも観察できます。






宮崎県国富町・本庄古墳群33号墳

2011-10-08 08:01:35 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄義門寺4482にあります。
墳丘はかなり破壊(ほぼ半壊)されています。
「鎧塚古墳」とも呼ばれています。
県道26号線の北側、ファミリーマート駐車場奥にあります。
国富町役場にも近い所です。

全長(現在長)20m、 後円部径?m・高さ4m、 前方部幅?m・高さ4m の前方後円墳です。

資料が少なく築造時期等詳しいことは不明です。

駐車場側からしか観察できません。






宮崎県国富町・本庄古墳群29号墳

2011-10-01 08:28:49 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄下馬場4466の台地上にあります。
「下長塚古墳」とも呼ばれています。
28号墳同様、本庄小学校のグラウンド脇(グラウンド北側国旗掲揚ポールそば)にあります。

全長63m、 後円部径38m・高さ6.8m、 前方部先端幅36m・高さ6.5m の前方後円墳です。

円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

資料が少なく築造時期など詳しいことは不明です。

一部民家などで観察しにくい所もあります。




   (後円部から前方部をみています)


   (前方部から後円部をみています)

宮崎県国富町・本庄古墳群28号墳

2011-10-01 08:12:18 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄宋仙寺4131の台地上にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「前堀塚古墳」とも呼ばれています。
本庄小学校のグラウンド東南隅にあります。

全長50m、 後円部径26m・高さ5.6m、 前方部先端幅34m・高さ5.8m の前方後円墳です。

資料が少なく築造時期など詳しいことは不明です。
ただ前方部が後円部より発達していることから、古墳時代後期ではないかと推測します。

ほぼどこからでも観察できます。
訪ねたのが学校の夏休み中で、気さくな校長先生の了解を得て観察しました。