古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

熊本県八代市・八代茶臼山古墳

2009-12-26 08:39:51 | Weblog
熊本県八代市上片町下野森の平地にあります。
八代大塚古墳から南東へ約50m行ったところです。

全長108m、 後円部径48m・高さ5.6m、 前方部幅30m・高さ?m 二段構築の前方後円墳です。

墳丘は大きく損傷を受けていて、現在は後円部が残っているだけです。
墳頂部に石室の石材とみられる板状の砂岩が散在しています。

墳頂へ通じる道の脇には四面仏を刻んだ多重塔の軸部が1基残っています。
その表面に「文応(1260)」の年号が刻んであります。
鎌倉時代、この古墳の上に墓地が造られていたようです。(古墳説明板より抜粋)

この古墳の築造時期は、出土物が確認されていないことや、発掘調査が行われていないため不明です。
昭和38年4月20日、八代市の史跡に指定されています。
八代平野最大の前方後円墳だった可能性が高い古墳です。




   (墳頂へ通じる道)   

熊本県八代市・八代大塚古墳

2009-12-26 08:09:54 | Weblog
熊本県八代市上片町下野森の低地にあります。
九州自動車道・八代インターを降りて、国道3号線を南へすぐ、八代港線入口からすぐの左側にあります。

全長55.7m、 後円部径28m・高さ8.9m、 前方部幅43.1m・高さ3.5m 三段構築の前方後円墳です。
墳丘は損傷を受けています。
後円部は、昭和38年ころミカン園造成のため少なくとも1m以上削平されています。
前方部は江戸時代中頃、墓地に転用されています。
墳丘には埴輪の配列がなされていました。葺き石は施されていなかったようです。
ただ、封土の下約30~50cmに基礎グリ石があります。

くびれ部の下を農業用排水路が通っています。
排水路工事に伴い、昭和43年2月から2回にわたって発掘調査が行われています。
くびれ部の西側中段からは朝顔型円筒埴輪が出土しました。
墳丘東斜面には墓前祭祀遺構があり、多くの須恵器(器台・はそう・坏・高坏・水甕・壷・甕など)や円筒埴輪、家形埴輪、人物埴輪が出土しています。
東側の周溝からは多くの須恵器(広口壷・平瓶・坩・蓋など)や女性人物埴輪の頭部や手、形象埴輪片などが出土しています。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀中頃と推定されています。
昭和38年4月20日、八代市の史跡に指定されています。
畿内型前方後円墳の南限に当たります。


   (後円部)


   (くびれ部を通る排水路)


   (前方部)

熊本県宇土市・天神山古墳

2009-12-19 08:52:03 | Weblog
熊本県宇土市野鶴町桜畑の小丘陵先端頂にあります。
JR緑川駅・緑川小学校の南東方向、天満宮の裏です。

全長107m、 後円部径61m・高さ14m、 前方部幅42m・高さ9m 三段構築の前方後円墳です。
古墳は一部損傷を受けています。
熊本県内で3番目の大きさです。
墳丘には葺き石が施されていたとみられています。
古墳の周囲からは、土師器とみられる土器の破片が採取されていますが、埴輪は見つかっていません。

内部主体は、未調査のためはっきりしていません。
この古墳の築造時期は、古墳時代前期ころと推定されています。
宇土市の史跡に指定されています。

傍にある縫製工場の駐車場横から古墳に登らせていただきました。
急な傾斜と雑木林(竹林)に覆われていて、登るのに苦労しました。
全体像は確認できませんでした。



   (天満宮の社・・・後方が墳丘)




   (縫製工場駐車場から見た墳丘)

熊本県宇土市・楢崎古墳

2009-12-19 08:10:22 | Weblog
熊本県宇土市花園町楢崎の丘陵先端にあります。

全長46m、 後円部径35m・高さ5.7m、前方部幅21.5m・高さ4m の前方後円墳です。

1921年(大正10年)10月に太子堂を建てる際石棺が発見され、学術調査が行われました。
後円部からは3基の石棺と1基の石蓋土擴が、前方部に1基の組合式箱型石棺が確認されました。
いづれも東西方向に並んで埋葬されています。

発掘調査が1985年に行われています。
南側から順に、1号棺~5号棺と呼ばれています。
いずれも阿蘇溶結凝灰岩で造られています。
1号棺は、組合式家型石棺で直葬されていて、人骨2体分と直刀2振、鉄鏃などが出土しています。
2号棺は、舟形石棺で直葬されていました。
3号棺は、組合式家型石棺で直葬されていました。
前方部にある5号棺は、組合式箱型石棺で直葬されていて、刀剣類や直刀などが出土しています。

この古墳の築造時期は、古墳時代中期(5世紀中ころ)と推定されています。
一つの墳丘に形の違う複数の石棺があるのは非常に珍しいもので、埋葬時期が同じ時期でなかった可能性があると思います。
石棺は、建物(覆屋)で保護されています。
事前に連絡を取れば鍵を開けてもらって室内を見学できるようですが、それを知らず建物の窓越しに観察しただけでした。

古墳の前(後円部寄り)は、立岡自然公園で分断された花園池と立岡池があり、景色のよい所です。
釣りを楽しんでいる人も見かけました。
昭和50年11月11日、熊本県の史跡に指定されています。




   (覆屋・・・手前が前方部)


   (3号棺)

熊本県宇土市・向野田古墳

2009-12-12 08:32:43 | Weblog
熊本県宇土市松山町向野田3993、標高37mの丘陵尾根先端にあります。
雑木林の中にあり、全体像はなかなか確認できません。

全長86m、 後円部径53.7m・高さ9m、 前方部幅35.5m・高さ4m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
また朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。

1969年(昭和44年)に発掘調査が、1992年に範囲調査が行われています。
主体部が二つ確認されています。
後円部頂中央にある第一主体部は、竪穴式石室(全長4.25m、幅1.94m~1.1m、高さ1.08m)です。
中には、一石の阿蘇溶結凝灰岩を刳り抜いて造られた長さ4.2m(全国で2番目の長さ)、推定重量4トンの巨大な舟形石棺が納められています。
石棺内には、北枕で30歳代後半くらいの女性(身長150cmくらい)が埋葬されていたそうです。
これほどの規模の古墳に女性が一人で葬られることは珍しく、この地を治めていたのは女性の可能性が大です。
石棺内からは、銅鏡3面(中国製方格規矩鏡・中国製内行花文鏡・倭製四獣形鏡)、車輪石1点、硬玉製勾玉4点、碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄刀4本、鉄剣4本、鉄斧3点、刀子78本などが出土しています。
前方部にある第二主体には、箱型石棺が納められています。

この古墳の築造時期は、古墳時代前期(4世紀末)ころと推定されています。
国の史跡に指定されています。


   (後円部頂・第一主体部)

   (後円部墳丘)

   (前方部から見た後円部)

熊本県宇城市・仁王塚古墳

2009-12-12 08:10:22 | Weblog
熊本県宇城市不知火町大字小曽部字袖原、標高49mほどの丘の頂上部にあります。
国道266号線、旧不知火町役場前から宇城広域北部農道に入ってしばらく行った、八王宮神社傍の交差点を右折、少し行くと墓地があります。
その横の柿畑の中の山道を登り詰めたところにあります。
急な山道で、見つけるのに苦労しました。
写真の鉄塔右側が古墳です。

全長46.8m、 後円部径21.8m・高さ3.5m、 前方部幅26.8m・高さ3.5m の前方後円墳です。
墳丘の周りには楯形をした周溝が、さらにその外側には周庭があります。
内部主体や出土物ははっきりしていません。

この古墳の築造時期は、墳丘の形(前方部が発達ー大きい)から6世紀後半ころと推定されています。
後円部には、石の地蔵さんが祭られていました。

麓からここまでの山道の両側は柿畑で、実の熟れる秋にはさぞかし見事な景色が見られるものと思います。




熊本県宇城市・国越古墳

2009-12-05 08:33:27 | Weblog
熊本県宇城市不知火町大字長崎字国越の、柴尾山から派生した丘陵先端部にあります。
弁天山古墳から北へ200mほど行ったところです。

全長63m、 後円部一辺長36m・高さ6.5m、 前方部幅23m・高さ6m の前方後方墳です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
円筒埴輪・朝顔形埴輪・人物埴輪・馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1966年(昭和41年)に発掘調査が行われています。
後方部中央にある埋葬施設は、単室両袖形横穴式石室で組合式家形石棺が納められていたそうです。
石室は、阿蘇溶結凝灰岩と砂岩で造らてていて、全長約2.85m、幅約2.16mあります。
三面の鏡(中国製対置式四獣鏡・中国製環状乳神獣鏡・中国製獣帯鏡)、硬玉製勾玉、管玉、ガラス玉、空玉、耳環、刀、矛、須恵器、馬具などが出土しています。

この古墳は、装飾古墳としても知られています。
玄室奥の側壁に、線刻と赤や白、青の彩色で直弧文・梯子形文・方形文・連続三角文などが描かれています。
残念ながら、私は見ることができませんでした。


この古墳の築造時期は、6世紀前半から半ばにかけての築造と推定されています。
熊本県の史跡に指定されています。

古墳からは不知火海が見渡せ、風光明美な所です。




熊本県宇城市・弁天山古墳

2009-12-05 08:02:38 | Weblog
熊本県宇城市不知火町大字長崎字弁天平の尾根頂部にあります。
国道266号線、亀崎バス停から少し北に入った、かもめ保育園のすぐ南側です。

全長53.5m、 後円部径33.4m・高さ5m、 前方部幅20m・高さ3m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていたとみられています。
また、種類ははっきりしていませんが、埴輪の配列がなされていたようです。

この古墳は1963年(昭和38年)に、ミカン園造成に伴う開墾により発見されました。
1965年(昭和40年)に主体部の発掘調査が行われています。
砂岩の割石を小口積みした竪穴式石室と判明しました。
石室は、長さ5.84m、幅約1.14mあり、刳抜式木棺が安置されていたそうです。

この古墳の築造時期は、墳丘から見つかった底部穿孔壷型土師器や坩型土師器などから、4世紀前半の築造と推定されています。
熊本県内では最も古い時期の古墳です。

すぐそばにある特養老人ホーム「蕉夢苑」の職員の方や、近くの墓地で工事をされていた方などに、古墳の所在を尋ねて見ましたが知っている方はありませんでした。