古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

三重県名張市・毘沙門塚古墳

2016-01-30 08:59:28 | Weblog
三重県名張市新田女郎塚の台地上にあります。
近鉄大阪線の線路を挟んで、女郎塚古墳の西約300mほどのところです。


                   (右が後円部、左が前方部です)


                      (後円部)


                      (前方部)

全長65m、 後円部径44m・高さ7m、 前方部先端幅28m・高さ3m 三段構築の前方後円墳です。
美旗古墳群では女郎塚古墳に次いで造られた前方後円墳です。

墳丘の周りには、今も水を湛えた幅6mほどの盾形をした周濠があります。

くびれ部の両側に造り出しがあります。

墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1987年(昭和62年)に発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設は盗掘を受けていますが、竪穴式石室に組合式木棺が収められていました。
現在墳丘上には石室の残骸と天井石が残されています。


墳丘上にかって毘沙門天を祀る祠があったことから、この古墳の名前が付いたそうです。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。

三重県名張市・女良塚(じょろうづか)古墳

2016-01-30 08:37:57 | Weblog
三重県名張市新田女郎塚の台地上にあります。
美旗駅から北東約800mの線路沿いです。
殿塚古墳の南西200mほどのところです。


                          (右が前方部)




                           (後円部)





全長100m、 後円部径73m・高さ9m、 前方部先端幅43m・高さ3m  前方部二段、後円部三段構築の帆立貝式前方後円墳です。
美旗古墳群で二番目に造られた前方後円墳です。
帆立貝式前方後円墳では全国二番目の大きさを誇る、奈良県河合町にある「乙女山古墳」と同形として知られています。

墳丘の周りには、幅12mの前方後円形をした周濠があります。

墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪や家形埴輪が採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1970年(昭和45年)、後円部墳頂が荒らされた際、3棟分の家形埴輪片が見つかりました。
現在2棟分が復元されています。
1棟は入母屋造りで高さ95.5cm、もう1棟は寄棟造りで高さ72cmあるそうです。

古墳時代中期・5世紀前半頃の築造と推定されています。

三重県名張市・殿塚古墳

2016-01-23 08:46:02 | Weblog
三重県名張市新田女良塚の独立した丘陵上にあります。
小波田野と呼ばれる台地北端、美旗古墳群の中で一番東にあります。
美旗駅から約1Kmの距離です。


                     (左側が前方部です。)






                       (前方部先端)

全長88m、 後円部径50m・高さ7.3m、 前方部先端幅34m・高さ6.3m  三段構築の前方後円墳です。
美旗古墳群の中で最初に造られた前方後円墳です。
後円部墳丘上には、国土地理院の三角点標柱が立っています。


墳丘の周りには、現在は空堀となっている周濠があります。
ただ前方部周辺では途切れていて、完周はしていません。
古い土葬墓が周濠を埋め尽くすように並んでいます。


東側のくびれ部に造り出しがあります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・短甲形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

陪塚「ワキ塚古墳」から出土した甲冑や鋳造鉄斧などから、この古墳の築造時期は古墳時代前期・4世紀末頃と推定されています。

三重県名張市・貴人塚古墳

2016-01-23 08:27:02 | Weblog
三重県名張市下小波田大塚の田圃の中にあります。
馬塚古墳の南東、約500mのところです。
田圃の中に1基だけポツンとあり、どこからでも見渡すことが出来ます。











全長55m、 後円部径35m・高さ4.5m、 前方部先端幅35m・高さ4mの前方後円墳です。
墳丘は開墾でかなり削平を受けています。
後円部に、南に開口する横穴式石室があります。

造り出しはありません。
墳丘の周りには前方後円形をした周濠があります。

円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1976年(昭和51年)に周濠の発掘調査が行われています。
須恵質の円筒埴輪や須恵器が出土しています。

古墳時代後期・6世紀初めころの築造と推定されています。
美旗古墳群で最後に造られた前方後円墳です。

三重県名張市・馬塚古墳

2016-01-16 09:00:18 | Weblog
三重県名張市新田馬塚の平地にあります。
近鉄大阪線・美旗駅から南へ100m、歩いてすぐの馬塚公園内にあります。







全長142m、 後円部径98.5m・高さ14.2m、 前方部先端幅100m・高さ6m 前方部二段・後円部三段構築の前方後円墳です。

前方部を南西方向に向けています。
美旗古墳群の中では最大で三重県内では2番目、全国でも80番目の大きさです。
現在後円部・前方部とも墳丘上は平坦になっています。
後円部には盗掘跡があり、その部分が陥没しています。

墳丘の周りには、今は空堀となっている幅7m~25mの前方後円形と盾形をした二重の周濠があります。


くびれ部両側には方形をした造り出しがあります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や蓋形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

後円部墳丘上に立つと、美旗地区がよく望めます。

墳丘上のあちこちに石像(合計33体)が立てられています。
後円部の南側には「馬塚観音」が祀られています。




三重県名張市・美旗(みはた)古墳群

2016-01-16 08:27:57 | Weblog
三重県名張市の北東部、小波田川右岸に広がる平坦な美旗台地上にあります。
近鉄大阪線・美旗駅の周辺に点在しています。
古墳時代前期から後期・4世紀後半~6世紀にかけての、伊賀地方最大規模の古墳群です。

現在、前方後円墳5基 (馬塚古墳・貴人塚古墳・殿塚古墳・女良塚古墳・毘沙門塚古墳) 
    方   墳 1基 (小塚古墳ー一辺15m・高さ3.5m)                                              円   墳 1基 (赤井塚古墳ー径20m、南に開口する横穴式石室を持つ)                                                               の計7基の古墳が現存しています。

1978年(昭和53年)10月17日、一括して国の史跡に指定されています。

三重県名張市・鹿高神社境内古墳

2016-01-09 08:46:01 | Weblog
三重県名張市安部田大殿1942、鹿高神社の社殿裏の丘陵上にあります。

近鉄・大阪線「赤目口駅」の西、国道165号線沿いにある錦生小学校から南へ少し下った道路西側を入ったところです。
鹿高神社1号墳と呼ばれることもあります。

全長42m、 後円部径21m・高さ5m、 前方部先端幅26m・高さ4.5m の前方後円墳です。







造り出しはありません。
墳丘南側の一部に周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1987年に発掘調査が行われています。
主体部が2つ確認されています。
後円部にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室で組合式石棺が収められていたそうです。
石室の長さは全長9.8m、玄室の長さ4.7m・幅2m・高さ1.3m の単室構造です。
南西方向に開口しています。
須恵器の台付長頸壺や広口壺などが出土しています。


前方部にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室で箱形石棺が収められていたそうです。
石室の長さは全長7.65m、玄室の長さ4.55m・幅1.65m の単室構造です。
こちらも南西方向に開口しています。


どちらの石室も中には入れそうにありませんでした。

古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。

昭和45年9月7日、名張市の史跡に指定されています。

三重県名張市・琴平山古墳

2016-01-09 08:19:51 | Weblog
三重県名張市赤目町壇横山602の丘陵頂部にあります。

全長69m、 後円部径37m・高さ6m、 前方部先端幅38m・高さ3m 三段構築の前方後円墳です。







くびれ部に造り出しがあります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・蓋形埴輪・盾形埴輪・人物埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1992年に発掘調査が、2001年に調査が行われています。
後円部、前方部並びにくびれ部に主体部が確認されています。
埋葬施設はいずれも右片袖式横穴石室だそうです。

2006年にはくびれ部と後円部の石室の調査が行われています。
後円部の石室は全長が9.5m、羨道の幅1.2m・長さ5m、玄室の幅2.4m・長さ4.5m あるそうです。
衝角付冑や鉄剣・直刀 などの武具が出土しています。
朝鮮半島・百済の影響を受けているようです。
石室は一部が崩壊していて中には入れません。


くびれ部の石室は、石材が散乱していて内部は完全に埋まっています。


前方部の石室も完全に埋没していて、そばに鳥居と小さな祠が祀ってあります。


古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

平成17年(2005年)名張市の文化財に、翌平成18年には三重県の文化財に指定されています。
名張市最大でかつ最古の前方後円墳です。

奈良県橿原市・新沢千塚古墳群451号墳

2016-01-01 20:10:43 | Weblog
奈良県橿原市鳥屋町ヲシロ山の丘陵上にあります。
新沢千塚古墳群・南群の東にある「橿原高校」を挟んでその東側にある小丘陵上です。
後円部は春日神社の社殿になっています。







全長42m、 後円部径28m・高さ5m、 前方部先端幅20m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。







円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1966年(昭和41年)に調査が行われています。
後円部中央やや南寄りにある埋葬施設がどんなものだったのかはっきりしていません。
刀子・鏡板・釘・引手金具 などが出土しています。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀前半頃と推定されています。

この古墳の南東方向すぐ近くには、宮内庁が「身狭桃花鳥坂墓(崇神天皇皇子倭彦命陵墓)」として管理している大きな方墳があります。