奈良県葛城市寺口布施二塚184の尾根上にあります。
葛城山系から東に延びる標高約200mの、幅の広い尾根筋を切断して造られています。
全長60m、 後円部径36m・高さ13m、 前方部先端幅41m・高さ13m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を北方向(上記写真右手)に向けています。
墳丘の周りには、幅約15mの長方形をした周濠があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/23/f41b710152303887e207183781982901.jpg)
(東側周濠)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d8/12e42a164f961ecf19cbccfdf0466c36.jpg)
(西側周濠)
墳丘表面には扁平な石を張り付けた葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
1958年(昭和33年)に橿原考古学研究所による発掘調査が行われています。
主体部が三つ確認されています。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。
南方向に開口しています。
石室は全長が16.41m、 羨道の長さ9.68m・幅1.73m・高さ2.65m、 玄室の長さ6.73m・幅2.98m・高さ4.1m の大型のものです。
羨道部分には排水溝がつくられています。
ガラス製小玉・水晶製三輪玉・鉄剣・鉄刀・鉄鏃・細身の長頸鏃・U字形鋤先・鑿・鉄製心葉形杏葉・金銅花形座金具・須恵器・銅器片・鉄小札 などが出土しています。
前方部中央西寄りにある埋葬施設は、片袖型横穴式石室です。
南西方向に開口しています。
凝灰岩製の組合式石棺が収められていたそうで、現在底部分のみが残っています。
石室は全長が9.0m、 羨道の長さが5.10m・幅1.40m・高さ1.50m、 玄室の長さが3.90m・幅1.70m・高さ1.90m あります。
金製中空玉・銀製中空玉などの玉類、金銅製沓、長柳葉、U字形鋤先・斧・砥石などの農具、心葉形透杏葉・轡鏡板・引手・引手壺・鞍金具・飾り金具などの馬具、土師器・須恵器などの土器 が出土しています。
造り出し部中央にある埋葬施設は、無袖型横穴式石室です。
南東方向に開口しています。
花崗岩で造られた石室の全長は7.82m、 羨道の長さ3.34m・幅1.37m、 玄室の長さ4.48m・幅1.47m・高さ1.26m あります。
朝鮮半島の一部でみられる、玄室が羨道部分より低く(約0.9m)つくられた特殊な石室です。
琥珀製瑪瑙玉・鉄刀・雁股・ヤリガンナ・鑿・手鉤・鞍カコ・針金状鉄器・多量の須恵器や土師器 が出土しています。
いづれの石室も盗掘を免れていたため、副葬品の出土総数は118点にもなるそうです。
昭和53年12月27日、国の史跡に指定されています。
古墳時代後期・6世紀中葉頃の築造と推定されています。