古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

奈良県葛城市・塚畑古墳

2015-01-31 08:07:42 | Weblog
奈良県葛城市南今市原の丘陵傾斜地にあります。
磐城小学校前から少し西へ行ったところです。









全長72m、 後円部径44m・高さ?m、 前方部先端幅46m・高さ?m  三段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
墳丘はかなり削平を受けています。
後円部には立派な「慰霊碑」が建っています。


               (奥に見える竹林手前が前方部になります。)

墳丘の周りには幅18m余りの盾形をした周濠があります。
さらに周濠の外側には幅4mの堤があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

この古墳は未調査につき、埋葬施設やその他については不明です。

4世紀後半から5世紀末にかけての築造と推定されています。

奈良県葛城市・竹内22号墳

2015-01-24 08:06:30 | Weblog
奈良県葛城市竹内の丘陵上にあります。
竹内街道の北、二上山の麓の小丘陵上です。
「ほんみち竹内廟所ー宗教施設」の敷地内にあります。





全長42m、 後円部径25m・高さ5.5m、 前方部先端幅31m・高さ4.5m  の前方後円墳です。

墳丘の周りには幅5.5mの周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったものとみられます。

主体部は二つ確認されています。
前方部にある埋葬施設は、左片袖型横穴式石室です。
南西方向に開口しています。







後円部にある埋葬施設も横穴式石室です。
ただ石材が抜き取られていて、石室の跡だけが残っています。
出土品など詳しいことは不明です。

竹内古墳群を構成しています。
廟所の職員の方がわざわざ坂道を登って案内してくださいました。

昭和57年3月12日、奈良県の史跡に指定されています。



「竹内古墳群」
二上山の麓の小丘陵上に前方後円墳1基を含む34基の古墳が残っています。




福岡県宗像市・田野瀬戸古墳

2015-01-17 08:07:39 | Weblog
福岡県宗像市田野1522にあります。
岡垣町と接する湯川山(標高471.4m)から西へ延びる丘陵上です。
天候が良ければ墳丘上から遠く「沖ノ島」を見ることができるそうです。




                  (前方部から後円部をみています)


                  (後円部から前方部を見ています)






               (後円部墳丘)

全長38m、 後円部径25m・高さ5.7m、 前方部先端幅19m・高さ2.8m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

2006年に発掘調査が行われています。
北西側に周濠があります。
埋葬施設は単室の横穴式石室です。
石室は盗掘を受けていますが、挂甲小札や胡簶・鉄鏃、剣菱形杏葉や環状雲珠などの馬具、装身具 などが出土しています。

その他については資料が少なく詳細は不明です。

宗像市の史跡に指定されています。

なお前方部南側から「一石五輪塔」や「地蔵菩薩を刻んだ板碑」など鎌倉時代から室町時代にかけての中世集積遺構が見つかっています。

あいにく雨の中の観察になりました。

福岡県宗像市・牟田尻池田15号墳

2015-01-10 08:09:44 | Weblog
福岡県宗像市牟田尻池田、釣川河口の左岸丘陵縁辺にあります。
桜京古墳の前方部すぐ近くです。
墳丘からは「宗像ユーアイゴルフクラブ」のコースを眼下に見下ろすことができます。
プレー中の人の姿も見られました。
墳丘はかなり損傷を受けています。

全長32.5m、 後円部径22m・高さ?m、 前方部先端幅10m・高さ?m  の前方後円墳です。

墳丘に葺石は施されていなかったようです。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

この古墳は、未調査で資料も少なく詳細は不明です。

池田古墳群を構成しています。












福岡県宗像市・桜京古墳

2015-01-03 18:15:04 | Weblog
福岡県宗像市牟田尻2019、釣川河口の左岸段丘(標高約45m)にあります。
国道69号線から西へ少し山道を登って行ったところです。


                     (右が後円部です)


                      (奥が後円部です)


                      (奥が前方部です)


                (後円部)



全長41m、 後円部径18m・高さ5m、 前方部先端幅11m・高さ2.5m 二段構築の前方後円墳です。

後円部中央にある埋葬施設は両袖型横穴式石室です。
石室の全長が9m、玄室の長さが4.5m・幅3m・高さ3.5m 複室構造の装飾古墳です。
この装飾古墳は、昭和46年考古学好きの地元高校生によって確認されたものだそうです。
学園祭で地元宗像の遺跡について発表するため、開口していた石室の中にもぐりこみ、入り口から約8m進んだところにある石屋形を懐中電灯で照らし、三角文を見つけたのだそうです。
当時「福岡県北端初めての装飾古墳」と大きく報道されたそうです。

1973年(昭和48年)福岡県教育委員会の調査の結果、装飾文様壁画と確認されました。
石室の奥壁に設けられた石屋形の柱石(長さ約1.7m)と奥壁に、線刻による連続三角文が見つかりました。
三角形の内部が「赤」「青」「白」の3色の顔料で塗り分けられているそうです。

雨の中を訪ねましたが、入り口はビニールシートで塞がれていて、中を観察することはできませんでした。

石室はすでに江戸時代に開口していたようです。
玄室東壁に寛文13年(1673年)5月の落書きが残っているそうです。

平成15年から17年度にかけて、宗像市教育委員会が測量調査を行っています。
その際古墳くびれ部に「第二の石室」の存在が確認されています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和51年3月31日、国の史跡に指定されています。