古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

大阪府藤井寺市・市野山古墳

2006-11-25 16:29:28 | Weblog
大阪府藤井寺市国府1丁目、国府台地の北縁、近鉄南大阪線・土師ノ里駅北側にある三段築造の前方後円墳です。
墳丘長220m、前方部幅160m・高さ23.3m、後円部径140m・高さ22.3mの全国でも20番目の大きさを誇る巨大古墳です。
倭の五王の一人である「済」とされている允恭(いんぎょう)天皇の墓(恵我長野北陵)として宮内庁が管理しています。
くびれ部の両側に造出しがあり、盾形の周濠がめぐっています。又堤の外側にも周豪がめぐっていることがわかっています。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪をはじめ、朝顔形、盾形、家型、人物などの形象埴輪が採集されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていたようです。
これら出土した埴輪の特徴からこの古墳は、誉田御廟山古墳(応神陵)よりは新しく、岡ミサンザイ古墳(仲哀陵)より古い5世紀後半の築造と考えられています。
市野山古墳には唐櫃山(からとやま)古墳や長持山古墳など、少なくとも6基の陪塚があるとされています。
今月になって新たに7,8基目の陪塚が発見され、それぞれ「兎塚(うさぎづか)古墳」「兎塚2号墳」と名付けられたそうです。
古墳の周りは住宅街のため一部からしか観察できません。

大阪府藤井寺市・野中宮山古墳

2006-11-18 14:01:17 | Weblog
大阪府藤井寺市野中2丁目、古市古墳群のほぼ真ん中にある前方後円墳です。
前方部幅75m・高さ10.1m、後円部径100m・高さ14.1m、墳丘長154mの全国でも61番目の大きさです。
周濠がめぐらされています。
三段築造でくびれ部には造出があります。ここから円筒埴輪をはじめ、家、囲い、盾、衣蓋、鶏、水鳥、馬、猪などの形象埴輪が多量に出土しています。
これらの埴輪の特徴から5世紀前半に造られた事がわかっています。
古墳はかなり崩されており、後円部には野中神社が建っています。
はざみ山古墳とは道路を挟んで南側に対峙しています。

大阪府藤井寺市・はざみ山古墳

2006-11-10 20:01:23 | Weblog
藤井寺市野中1丁目248の古市古墳群のほぼ中央部にあります。
前方部の幅66m・高さ9.1m、後円部の径60m・高さ9.5m、全長103mの前方後円墳です。
墳丘は一段目が大きく変形していますが、本来は三段築造で、くびれ部の両側には造出しがあります。
墳丘斜面には葺石が施され、平坦部には埴輪列がめぐっています。
家型、盾形、衣蓋形等の形象埴輪が出土しています。
墳丘の周りは今も水を湛えた盾形をした周濠がめぐっています。
1990年に発掘調査が行われています。後円部にある埋葬施設は、組合式石棺で埋葬されていたそうです。
ほぼどの位置からも観察することができます。

大阪府藤井寺市・古室山古墳

2006-11-04 19:50:27 | Weblog
大阪府藤井寺市古室2丁目412の、国府台地西側縁辺の地形を利用して造られた、三段築造の前方後円墳です。
近鉄土師の里駅からそう遠くないところにあり、誉田御廟山古墳と仲津山陵のほぼ真中にあります。
全長150m、前方部幅100m・高さ9.3m、後円部径96m・高さ15.3m、全国57番目の大きさです。
墳丘には葺石が施され、円筒埴輪列が確認されています。他にも朝顔形埴輪、盾形埴輪、靭形埴輪、蓋形埴輪、甲形埴輪、家形埴輪などが採取されています。
現在周濠は埋没してその存在はうかがい知れませんが、周濠はあります。
造り出しは、現在東側だけ残っています。
出土した円筒埴輪の特徴から、仲津山陵や誉田御廟山古墳より古く、古市古墳群のなかでは初期(5世紀前半頃)に築造された古墳の一つに挙げられています。