古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

愛知県豊川市・船山1号墳

2017-03-25 06:12:44 | Weblog
愛知県豊川市八幡町上宿33、標高約26mの洪積台地(白鳥台地)にあります。
名鉄名古屋本線・国府駅の北東徒歩約5分、西三河から東三河にぬける旧東海道の北側です。




                     (前方部南側先端部)

全長96m、 後円部径50m・高さ6.5m、 前方部先端幅56m・高さ6.5m  三段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
後円部は戦前の採土で大きく削平されています。


その後円部には上宿神社がまつられています。


墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。


昭和20年(1945年)、くびれ部墳頂付近に防空壕が掘られた際、鉄刀3・鉄鉾3・鉄鏃約70などの鉄製品が出土しています。
昭和63年の前方部北側の調査では葺石や周濠が確認され、あわせて2基の埴輪棺が見つかっています。
平成20年の調査では南側くびれ部に、平成27年4月から11月の調査では北側くびれ部からほぼ相似形の造り出し(南側8.3m×4.0m、北側8.5m×4.5m)が見つかっています。
南側造り出しからは、食物供献儀礼に使われたと思われる土器類(土師器小型高坏25点・土師器はそう2点・笊形土器3点・匙形土製品1点・異形注口土器1点・食物土製品2点ーあけび?ーなど)が出土しています。


北側の造り出しからは、儀礼祭祀を行ったと考えられる円筒埴輪列に囲まれた家形・蓋形・盾形などの形象埴輪が見つかっています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和40年7月1日、豊川市の史跡に指定されています。

訪ねたのは平成27年の調査開始頃かと思います。
前方部がブルーシートで覆われていました。

愛知県豊川市・御津船山古墳

2017-03-25 05:51:35 | Weblog
愛知県豊川市御津町広石船山17の段丘上にあります。
「竹本古城址」のすぐ北側です。
「舟塚山古墳」とか「舟山塚古墳」と呼ばれることもあります。

全長38m、 後円部径22m・高さ4m、 前方部先端幅16m・高さ3m  の前方後円墳です。




                        (後円部)



                         (前方部)


墳丘の周りには周濠があります。
須恵質の円筒埴輪片が採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
後円部墳頂付近には3mほどの盗掘跡とみられる陥没部があります。



古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和44年、豊川市の史跡に指定されています。

愛知県豊橋市・狐塚古墳

2017-03-18 08:40:45 | Weblog
愛知県豊橋市石巻平野町二之沢の段丘斜面にあります。

全長35m、 後円部径20m・高さ3m、 前方部先端幅13m・高さ2.9m  の前方後円墳です。

1988年に発掘調査が行われています。
埋葬施設は横穴式石室です。
金環、鉄器鍔、直刀、勾玉、須恵器 などが出土しています。

築造時期をはじめその他については資料が少なく、詳細は不明です。

近くの方の話では、発掘時は墳形もよく見えていたとのことですが、現状はブッシュに覆われていて、墳形もさることながら古墳かどうかも見分けがつかない状態でした。




                    (手前が前方部で奥が後円部?)










愛知県豊橋市・東田(あずまだ)古墳

2017-03-18 08:23:55 | Weblog
愛知県豊橋市御園町にあります。
東田神明社の西すぐ近くです。

全長40m、 後円部径25m・高さ3m、 前方部先端幅16m・高さ4m  の前方後円墳です。


                    (右が後円部で左が前方部)







土師質の円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

後円部墳頂には御嶽社が建っています。





その御嶽社を建てるため墳丘を削平したところ、鳥文鏡や鉄刀などが出土しました。

古墳時代中期の築造と推定されています。

愛知県豊橋市・馬越長火塚古墳

2017-03-11 08:37:38 | Weblog
愛知県豊橋市石巻本町紺屋谷18の東から西に向かって延びる段丘端部にあります。
周りは柿畑です。





全長70m、 後円部径33m・高さ5.75m、 前方部先端幅26m・高さ2m  二段構築の前方後円墳です。
後円部の中央がドーム状に著しく高いのに比べ、前方部は低く細長い形をしています。



その前方部の中央は、戦時中に陸軍が土取りをするため大きな穴が掘られたそうです。



またその先端部は柿畑に改変されています。

墳丘には葺石が施されています。

後円部中央にある埋葬施設は、南に開口する横穴式石室です。





昭和43年(1968年)石室内の発掘調査が行われています。
石室は柱状の3対からなる石材によって、羨道・前室・後室の三つの部屋に分かれています。
石室は羨道部の長さ2.6m・幅1.6m、前室の長さ4.3m・幅1.8m、後室の長さ3.5m・幅2.3m あります。
床面にはこぶし大の石が敷き詰められています。
金銅製棘葉(きょくよう)形杏葉、雲珠、辻金具、鉄製鐙、轡、ガラス製勾玉、ガラス製丸玉、ガラス製トンボ玉、ガラス製小玉、水晶製切子玉、琥珀製棗玉、耳環、大刀、鉄鉾、鉄鏃、刀子、斧、鎌、須恵器 などが出土しています。
金銅製棘葉形杏葉は、大和政権が地方の最有力者に贈ったものです。
これら出土品は、平成24年9月6日国の重要文化財に指定されています。

この古墳は、昭和55年(1980年)と平成17~21年(2005年~9年)にも発掘調査が行われています。

昭和56年11月20日、愛知県の史跡に指定されています。
東海地方屈指の有力者(穂国造を務めた人物)の墓といわれています。

愛知県豊橋市・勝山1号墳

2017-03-11 08:17:19 | Weblog
愛知県豊橋市石巻本町口明塚の独立丘陵上にあります。
白山神社右手の丘陵上です。




                         (後方部)


                        (奥が後方部)



                        (奥が前方部)


                        (手前が前方部)

全長44m、 後方部一辺長25×26m・高さ3.4m、 前方部先端幅13m・高さ1.7m  の前方後方墳です。
後方部墳頂には水準点の石柱があります。

造り出しはありません。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。

前方部が後方部に比べかなり低いことから、古墳時代前期の築造の可能性があります。
資料が少なくその他詳細は不明です。

愛知県豊橋市・権現山2号墳

2017-03-04 08:45:44 | Weblog
愛知県豊橋市石巻本町別所、標高68.5mの山頂にあります。
1号墳とは90mほど離れています。

全長33m、 後円部径24.6m・高さ3.3m、 前方部先端幅9.2m・高さ1.8m  の前方後円墳です。

後円部は平面が楕円形に近いかたちをしています。



埋葬施設がどのようなものかはっきりしていません。
後円部北側の裾から、3世紀後半頃の土師器の高坏1点が出土しています。
このことから、この古墳は古墳時代発生期・3世紀末頃の築造と推定されています。
前方部は、後円部に比べかなり小さく立ち上がりもわかり難く未発達のようです。


                         (奥が前方部)


                        (手前が前方部)

墳丘に葺石は施されていません。
埴輪の出土もなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
耳環などが出土しています。

昭和48年4月4日、権現山古墳群として1号墳ともども愛知県の史跡に指定されています。






愛知県豊橋市・権現山1号墳

2017-03-04 08:20:04 | Weblog
愛知県豊橋市石巻本町別所北入田、標高68.5mの権現山の尾根筋先端にあります。
豊川下流域を臨む丘陵上です。
豊川市権現調整池の貯水タンク手前の細道を左に100mほど進んだところにあります。
最初見えてくるのは2号墳で、1号墳はさらに90mほど下ったところです。

全長38.4m、 後円部径23m・高さ3.8m、 前方部先端幅14.8m・高さ1.5m  の前方後円墳です。

1996年発掘調査が行われています。
墳丘には葺石が施されています。
ただくびれ部の葺石は角礫で、一部には大きな石材も使われておりほかの葺石とは少し違っています。
石で囲った時期不明の小型埋葬施設が1基見つかっています。
墳丘には壺形埴輪(二重口縁壺)が並べられていたようです。
後円部中央にある埋葬施設は竪穴式石槨です。
天井石には石灰岩が使われていたそうです。

古墳時代前期・4世紀中頃の築造と推定されています。

昭和48年4月4日、愛知県の史跡に指定されています。


                       (奥が後円部)



                         (後円部)



                         (前方部)