古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

愛知県名古屋市・断夫山古墳

2011-08-27 08:02:59 | Weblog
愛知県名古屋市熱田区旗屋町の台地端にあります。
名古屋台地が伊勢湾に突きだしたその先端部(標高約6m)です。
熱田神宮から北西方向(伏見通り脇)そう遠くない所です。

全長151m、 後円部径80m・高さ13m、 前方部幅116m・高さ16.2m  三段構築の前方後円墳です。
東海地方最大の前方後円墳です。
全国でも63番目の大きさです。

墳丘の周りには盾形をした周濠(空堀)があります。
西側くびれ部には造り出し(須恵器などが出土)があります。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘(1段目)に埴輪の配列がなされていました。

6世紀初め頃の築造と推定されています。
かっては熱田神宮が管理していましたが、昭和55年(1980年)愛知県の所有になっています。
尾張連草香(おわりのむらじくさか)の墓と考えられています。
この人物は尾張南部に勢力を持っていた尾張氏の首長で、後の継体天皇であるオホド王に娘の目子媛(めのこひめ)を嫁がせた人物です。
地元では、日本武尊の妻・宮簀媛(みやずひめ)の墓と言い伝えられています。
日本武尊が亡くなった後も、再婚しなかったのでこの名前(断夫山)がついたとか.....

昭和62年7月9日、国の史跡に指定されています。






千葉県市原市・神門5号墳

2011-08-20 07:57:38 | Weblog
千葉県市原市惣社神門の養老川北岸の台地上にあります。
4号墳の南東側です。

全長38.5m、 後円部径32×31.5m・高さ3.2m、 前方部幅12m・高さ?m の前方後円墳です。

完全な形の前方後円墳ではなく、イチジクの形をしています。
3世紀中ころの築造と推定される古墳発生期のものです。
前方後円墳が定型化される前に出現した古墳です。

年代的には5号墳がいちばん古く、4号墳、3号墳の順に新しくなっています。
東日本最古の古墳で、纏向型の前方後円墳のひとつと言われています。

墳丘の周りには幅6mほどの周濠があります。

1976年に調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、墳丘主軸と並行する形で木棺が直葬されていたそうです。
鉄剣1、鉄鏃2、ガラス玉6、土器13以上などが出土しています。
土器の中には畿内から持ち込まれたと思われるものもあるそうです。

平成1年3月10日、千葉県の史跡に指定されています。






千葉県市原市・神門4号墳

2011-08-13 06:43:42 | Weblog
千葉県市原市惣社塚越の養老川北岸の台地上にあります。
3号墳のすぐ南側です。

全長49m、 後円部径34m・高さ6.9m、 前方部幅14m・高さ?m の前方後円墳です。

墳丘の周りには周濠があります。

1976年に調査が行われています。
埋葬施設は、後円部中央に墳丘主軸と斜交する形で木棺が直葬されていてそうです。
鉄剣1・鉄槍1・鉇1・鉄鏃41・碧玉製管玉73・ガラス玉420以上・硬玉製勾玉3・土器150以上などが出土しています。
土器の中には畿内から持ち込まれたと思われるものもあるそうです。

3号墳よりは古い3世紀後半頃の築造と推定されていて、古墳発生期頃のものと言われています。






千葉県市原市・神門3号墳

2011-08-13 06:17:56 | Weblog
千葉県市原市惣社塚越936の養老川北岸の台地上にあります。
神門(ごうど)と読みます。
上総国分僧寺跡の南西角にあります。

全長47.5m、 後円部径34m・高さ5.1m、 前方部幅12m以上・高さ?m の前方後円墳です。
完全な形の前方後円墳ではなく、前方部には盛り土は認められなかったそうです。

墳丘の周りには周濠があります。
後円部には戸隠神社が建っています。

1987年4月1日~1988年1月14日、調査が行われています。
埋葬施設は、後円部中央に墳丘主軸と並行する形で組合式箱型木棺が直葬されていたそうです。
墓坑は長さが4.12m・幅1.2~1.3mあるそうです。
木棺は、長さが3.82m、幅が0.94~1.00mあったそうです。
棺内から鉄剣1・鉄槍1・管玉11・鉇1・ガラス玉103・鉄鏃2、棺外から管玉2・土師器(壷6・坏3・鋺1など)などが出土しています。
土器の中には畿内から持ち込まれたと思われるものもあるそうです。


3世紀後半頃の築造と推定されていて、古墳発生期ころのものと言われています。







千葉県千葉市・大覚寺山古墳

2011-08-06 08:11:55 | Weblog
千葉県千葉市中央区生実町1861の台地先端にあります。
生実(おゆみ)丘陵の南端に舌状に延びた台地先端を利用して築かれています。

全長62m、 後円部径35m・高さ5.5m、 前方部幅25m・高さ4.1m の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。
千葉市最大の前方後円墳です。
墳丘は芝生で保護されています。

1969年(昭和44年)、宅地造成に先立つ山林伐採時に発見されました。
1989年、測量調査が行われています。
発掘調査は行われていませんが、墳丘の規模や墳形から4世紀中葉頃の築造と推定されています。
中央政権(大和政権)と東国との関係を知る上で貴重な古墳です。

昭和46年3月26日、千葉市の史跡に指定されています。
近くには、千葉市埋蔵文化財調査センターがあります。
現在、古墳を含む一帯が生浜公園になっています。


       ( 前 方 部 )


     


     (後円部から前方部を見ています。)