東京都台東区上野公園5丁目の上野台(武蔵野台地末端の舌状台地)にあります。
上野公園・東京文化会館の裏で正岡子規記念野球場の南側です。
JR上野駅から徒歩5分ほどのところです。
「天神山古墳」と呼ばれることもあります。
全長70m、 後円部径43m・高さ5m、 前方部先端幅23m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。
前方部がかなり低くなっています。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設がどんなものかは不明です。
葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や須恵器などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

(後円部)

(前方部)






この古墳の名前の由来は、その形状が擂鉢を伏せた形に似ていることから名付けられたそうです。
後円部墳丘上は平坦になっていて、前方部も含めかなり削平されています。
かって墳丘上に五条天神(1487年・文明19年)が鎮座、また1631年・寛永8年には清水観音堂が建立されたためです。
現在後円部には石製のベンチも置かれ、休憩所になっています。


古墳時代後期の築造と推定されています。
この古墳は史跡指定されていません。
上野公園・東京文化会館の裏で正岡子規記念野球場の南側です。
JR上野駅から徒歩5分ほどのところです。
「天神山古墳」と呼ばれることもあります。
全長70m、 後円部径43m・高さ5m、 前方部先端幅23m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。
前方部がかなり低くなっています。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設がどんなものかは不明です。
葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や須恵器などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

(後円部)

(前方部)






この古墳の名前の由来は、その形状が擂鉢を伏せた形に似ていることから名付けられたそうです。
後円部墳丘上は平坦になっていて、前方部も含めかなり削平されています。
かって墳丘上に五条天神(1487年・文明19年)が鎮座、また1631年・寛永8年には清水観音堂が建立されたためです。
現在後円部には石製のベンチも置かれ、休憩所になっています。


古墳時代後期の築造と推定されています。
この古墳は史跡指定されていません。
初めてコメント致します。
この度、ヤフーブログ閉鎖に伴い、goo blogに引っ越してきました。よろしくお願い致します。
以前、当ブログの熊本県和水町「松坂古墳」のぺ-ジを参照させていいただき、現況、松坂古墳は消滅していることを確認できました。有難うございました。
当ブログの発展を祈念いたします。