古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

奈良県天理市・西山古墳

2009-03-28 08:45:25 | Weblog
奈良県天理市杣之内町元山口方西ノ山の天理中学校前にあります。

全長183m、 後方部一辺長94m・高さ15m、 前方部幅72m・高さ10m 三段構築の前方部を西に向けた前方後方墳です。
前方後方墳としては全国最大の古墳です。
この古墳の特徴として、一段目は前方後方形で、二段目は前方後円形という変った形態をしています。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
墳丘の周りには、今も水を湛えている幅30~45mの、長方形をした周濠があります。
さらにその外側には幅85mほどの堤があります。
堤上からは、古墳の築造時期に近いと見られる埴輪棺や、5世紀代と見られる石棺墓、6世紀代の小石室が見つかっています。

埋葬施設は盗掘を受けていますが、竪穴式石室と推定されています。
墳丘頂上付近で石室の石材と見られる、芝山産の玄武岩割り石が採取されています。
波文帯神獣鏡、碧玉製車輪石、碧玉製鏃形品、鉄剣などが出土したと言われています。
円筒埴輪、鰭付円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、方形埴輪、円形透し埴輪などが採取されていて、各段の墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

この古墳の築造時期は、4世紀末から5世紀初頭と推定されています。
杣之内古墳群の中にあって、盟主墓的な古墳です。
布留川が平野部に流れ出た、その南岸の要害の地に造られています。
昭和2年4月8日、国の史跡に指定されています。
ほぼ何所からでも観察できます。保存状態も良く、印象に残る古墳の一つでした。


奈良県天理市・小墓古墳

2009-03-21 06:31:03 | Weblog
奈良県天理市杣之内町元山口方小墓29の低丘陵端にあります。
西乗鞍古墳の北西すぐに位置します。
天理市の水道施設の隣です。

全長85m、 後円部径50m・高さ7.8m、 前方部幅70m・高さ6.1m 三段構築の前方部を南西に向けた前方後円墳です。
後円部の墳丘は削平が著しく、また前方部もかなり削られ低くなっています。
墳丘の周りには、今は水田になっている幅約20~30mの盾形をした周濠があります。

濠の中から円筒埴輪、朝顔形埴輪、家型埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪、靫形埴輪、馬形埴輪、鶏形埴輪、人物埴輪、木製品などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
出土した埴輪のうち人物埴輪は、長岳寺と崇神天皇陵の間にある「天理市トレイルセンター」に展示してあります。
後円部にある埋葬施設は、横穴式石室の可能性が高いそうですが、調査は行われていません。

この古墳の築造時期は、6世紀前半から中頃と推定されています。
杣之内古墳群を構成しています。

奈良県天理市・西乗鞍古墳

2009-03-14 08:46:26 | Weblog
奈良県天理市杣之内町元山口方乗鞍1010の尾根先端にあります。
東乗鞍古墳の西側になります。

全長120m、 後円部径66m・高さ15.5m、 前方部幅88m・高さ16m 二段構築の前方部を南に向けた前方後円墳です。
墳丘の周りには、二重の幅約10~20mの盾形をした周濠があります。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
くびれ部の両側(東・西)に造り出しがあります。
墳丘からは円筒埴輪、朝顔形埴輪や須恵器の甕片などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
また濠の中からも円筒埴輪、朝顔形埴輪、家型埴輪、須恵器の甕や杯、土師器の甕などが採取されています。
後円部に大型の横穴式石室があるようですが、調査は行われていないそうです。

古墳公園になっていて、墳丘頂にも自由に登れます。
かって昭和天皇が陸軍大演習を統監し、野点をされたところだそうです。
大和三山や生駒、葛城、金剛連山が遠望できるすばらしいロケーションの地です。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・5世紀末から6世紀前半頃と推定されています。
杣之内古墳群を構成しています。




奈良県天理市・東乗鞍古墳

2009-03-14 08:24:47 | Weblog
奈良県天理市杣之内町元山口方東乗鞍89の尾根上にあります。

全長75m、 後円部径44m・高さ10m、 前方部幅68m・高さ6.5m 二段構築の前方部を西に向けた前方後円墳です。
墳丘の周りには幅約10mの周濠があります。
また種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

後円部南側のくびれ部寄りに、開口している左片袖式の横穴式石室があります。
石室は全長14.8mあり、南方向に開口しています。
羨道は長さ約7m、幅1.7m、高さ1.5m、玄室の長さは約7.8m、高さ3.3mです。
玄室内には2基の石棺があります。
前の方にあるのは、二上山産の白石凝灰岩製の組合式石棺の底石部分、奥の方にあるのは阿蘇溶結凝灰岩製の刳抜式家型石棺です。
石室の入り口には、なぜかお地蔵さんが祭られています。
甲冑の小札、馬具などが出土しています。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀前半頃と推定されています。
杣之内古墳群を構成しています。
周りにはイチゴ畑が結構ありました。



奈良県天理市・ヒジリ古墳

2009-03-07 08:31:57 | Weblog
奈良県天理市吉田町ヒジリの低地にあります。
大和川(初瀬川)と布留川の合流する地点、吉田町集落を抜けた北側の田圃の中にあります。
これまで紹介してきた一連の古墳群とは、すこし離れた場所にあります。
あの唐古・鑓遺跡へもそう遠くない地点です。

全長45m、 後円部径28m・高さ?m、 前方部先端幅20m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘は上部がかなり削平されています。
墳丘の周りには幅約15mの周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀前半頃と推定されています。

奈良県天理市・ヒエ塚古墳

2009-03-07 08:10:44 | Weblog
奈良県天理市萱生町ヒエ塚の平地にあります。
大和古墳群北端にあり、県道天理環状線を挟んでノムギ古墳と相対しています。

全長130m、 後円部径60m・高さ10m、 前方部幅55m・高さ7m 三段構築の前方後円墳です。
後円部南側の一部と前方部北西端が削平されています。
盾形をした周濠があります。

平成14年7月29日、橿原考古学研究所は、「かねてより調査中のこの古墳の周濠の外堤付近から、布留0式の土器が出土した。」と発表しました。
土器片は約800点もあったそうで、祭祀に使われたようです。
あわせて、周濠にたまった水を排出するためのものと思われる、溝も確認したそうです。
築造時期がはっきりしていなかったこの古墳が、これで3世紀後半以前・箸墓古墳とほぼ同じ時期のものと推定されました。
古墳北側を東西に走る農道拡幅に伴う調査で、墳丘の北約30mの地点だそうです。
私が訪ねたときは、農道はほぼ完成していて、一部舗装工事中でした。
その農道と交差するのが、天理環状線です。
写真には写っていませんが、右側前方にノムギ古墳があります。

大和古墳群を構成しています。