古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

長野県飯田市・金山二子塚古墳

2017-07-29 06:09:30 | Weblog
長野県飯田市上川路19-1の下位段丘上にあります。
塚原古墳群の南(塚原二子塚古墳の前の道を南に下った突き当りの集落内)です。
9基が確認されている金山古墳群を構成しています。
開善寺(考古資料館)の東側になります。

全長約63m、 後円部径37.1m・高さ6.1m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。


                      (左後円部・右前方部)

前方部と後円部中央に横穴式石室があったそうですが、前方部の石室は今は消滅しています。


                         (前方部)


後円部にある石室は社の下にあり、全長3.64m・幅1.21m・高さ0.76m で南に開口しています。
ただ今は内部に入れる状態ではありませんでした。







古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

長野県飯田市・塚原3号墳

2017-07-29 05:51:13 | Weblog
長野県飯田市桐林2816、国道151号線のすぐ北西側です。



塚原古墳群の中で、一番西側にある古墳です。
国道151号線を挟んで、鏡塚古墳・鎧塚古墳・塚原11号墳(円墳)と東方向にほぼ一直線上に並んでいます。

全長約43m、 後円部径30m・高さ4.4m、 前方部先端幅?m・高さ?m  帆立貝形の前方後円墳です。
前方部を南東方向に向けています。







後円部中央には竪穴式石室があるようです。





古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

長野県飯田市・鏡塚古墳

2017-07-22 06:35:02 | Weblog
長野県飯田市桐林2888、国道151号線沿いです。
鎧塚古墳の北西、すぐのところです。
「塚原4号墳」とも呼ばれています。







全長約45m、 後円部径28m・高さ5.7m、 前方部先端幅?m・高さ?m  帆立貝形の前方後円墳です。
前方部を南方向に向けています。
墳丘上は果樹園で、また墳丘西側は道路でかなり削平を受けています。







墳丘には埴輪の配列がなされていたようです。
後円部中央には竪穴式石室があるようです。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

平成28年10月3日、飯田古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・飯田鎧塚古墳

2017-07-22 06:12:59 | Weblog
長野県飯田市桐林2875、駒沢橋の東側にあります。
「塚原5号墳」とも呼ばれています。
塚原二子塚古墳の前方部南西すぐのところです。

全長約45m、 後円部径40m・高さ3.8m、 前方部先端幅10m・高さ0.6m  帆立貝形の前方後円墳です。
前方部を南西方向に向けています。


                       (左側が前方部)



                      (樹木の奥が前方部)


                         (後円部)


墳丘には埴輪の配列がなされていたようです。
後円部中央に竪穴式石室があります。
倭製四獣鏡、鉄刀、横矧板鋲留短甲、馬鐸 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀末頃の築造と推定されています。

平成28年10月3日、飯田古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・塚原二子塚古墳

2017-07-14 14:17:00 | Weblog
長野県飯田市桐林3046の河岸段丘にあります。
「塚原1号墳」とも呼ばれています。

全長約73m、 後円部径41.5m・高さ6m、 前方部先端幅44.5m・高さ6.5m  二段構築の前方後円墳です。
飯田市内で2番目の大きさです。


                    (左側が後円部、右側が前方部)






                         (後円部)


                         (前方部)

墳丘の周りには二重の周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や蓋型埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室とみられています。



武具や馬具類が出土しています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

この古墳の周りには、かって16基の古墳があったそうで「塚原古墳群」と呼ばれています。
現在は6基(二子塚古墳・内山塚古墳・塚原3号墳・鏡塚古墳・鎧塚古墳・黄金塚古墳)が残っています。

昭和43年11月19日、飯田市の史跡に指定されています。
史跡指定を受ける前は、墳丘上を含め周りは桑畑だったそうです。

平成28年10月3日、飯田古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・大塚古墳

2017-07-14 14:04:08 | Weblog
長野県飯田市桐林2024、丸山古墳の西100m・兼清塚古墳の北東すぐのところです。



全長56m、 後円部径35m・高さ8m、 前方部先端幅17m・高さ?m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を南に向けていますが、かなり削平を受けています。



後円部墳丘上は墓地になっています。









墳丘の周りには幅約13mの周濠があります。
後円部にある埋葬施設は竪穴式石室とみられています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

平成28年10月3日、飯田古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・兼清(けんせい)塚古墳

2017-07-08 06:08:52 | Weblog
長野県飯田市桐林2043、国道151号線の西側です。

全長63.6m、 後円部径28m・高さ6.5m、 前方部先端幅28m・高さ5m  三段構築の前方後円墳です。
墳丘は大正時代の採土で低くなっており、今は畑として利用されていて古墳の面影はありません。


                         (前方部)





                         (後円部)




墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土もありません。
1985年に発掘調査が行われています。
埋葬施設は竪穴式石室です。
中国製画文帯神獣鏡、倭製内行花文鏡、倭製斜縁二神二獣鏡、倭製四神四獣鏡、硬玉製勾玉、ガラス製勾玉、ガラス製小玉、鉄刀、鉄鉾、長頸鎌、短甲 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

長野県飯田市・丸山古墳

2017-07-08 05:52:27 | Weblog
長野県飯田市桐林3195、竜丘小学校の西側・国道151号線の南にあります。



全長60m、 後円部径27m・高さ6.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  三段構築の前方後円墳です。
墳丘上は墓地になっていて、かなりの削平を受けています。
前方部は消滅しています。









1985年に発掘調査が行われています。
埋葬施設は竪穴式石室とみられています。
江戸時代に甲が出土したといわれています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

長野県飯田市・権現堂1号墳

2017-07-01 08:32:24 | Weblog
長野県飯田市駄科1185、国道151号線(遠州街道)・新川橋の東側です。

全長60.9m、 後円部径34m・高さ5m、 前方部先端幅35m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘北側は宅地で一部削平を受けています。
南側は水田になっています。


                       (前方部先端)


                    (左前方部、右後円部)

後円部墳頂には祠が建てられています。






                         (前方部)


墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
明治期と大正期に発掘調査が行われていますが、埋葬施設は発見されていません。
竪穴式石室とみられています。
鏡、剣、直刀、甲冑、鉾、土師器、須恵器 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

長野県飯田市・塚越1号墳

2017-07-01 08:04:18 | Weblog
長野県飯田市高駄科346の河岸段丘にあります。
県道444号線北の集落内です。
「十王堂ノ塚古墳」とも呼ばれています。




                        (後円部墳頂)

全長約72.2m、 後円部径26.4m・高さ7.8m、 前方部先端幅15.5m・高さ7.8m 二段構築の前方後円墳です。
前方部は法華堂の建設に伴い一部削平を受けています。
「五輪塔再建之記」などの石碑もたっています。





1989年、発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。
花崗岩の割石で造られていて、全長9.8m、羨道の長さ5.5m、玄室の長さ5.25m、幅3.8m、高さ3mあります。
南南西方向に開口しています。
残念ながら石室入り口はふさがれていて、中には入れませんでした。






古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。