古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

熊本県玉名市・東(藤)光寺古墳

2012-06-30 07:54:14 | Weblog
熊本県玉名市高道大馬場、本町内高道農業協同組合の東側丘陵上にあります。
天満宮の東隣です。
道路からは一段高い所です。

全長87m、 後円部径35m・高さ9m、 前方部先端幅50m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。

昭和39年(1964年)調査が行われています。
後円部の南側と東側が一部削平されています。

築造時期は、古墳時代中期・5世紀ころと推定されています。
その他については、資料が少なく詳しいことは不明です。

後円部には仏様をまつったお堂が建っていて、幼い姉妹がおばあさんに連れられて遊びに来ていました。




        (後円部に登る階段)


        (後円部に立つお堂)

熊本県玉名市・大塚古墳

2012-06-23 08:02:27 | Weblog
熊本県玉名市立花桜坂の三ノ岳から西へ延びる丘陵先端にあります。
墳丘からは有明海が一望できます。

全長100m、 後円部径54m・高さ7.4m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
現在、前方部は消滅しています。

墳丘には葺き石が施されていたようです。
壷形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

永らく、直径が42mほどの円墳と見られていました。
平成11年(1999年)の発掘調査で「くびれ部」の葺き石が発見され、前方後円墳であることが判明しました。
埋葬施設は、後円部頂上で粘土槨(舟形石棺)が発見されました。
他にも後円部の裾部で、4つの箱形石棺が見つかっています。

鉄鏃・刀・斧などが出土しています。

4世紀末から5世紀はじめころの築造と推定されています。

平成10年9月16日、熊本県の史跡に指定されています。
経塚古墳・経塚西古墳・小塚古墳(いづれも円墳)ともども、経塚・大塚古墳群を構成しています。

現在、前方部があった所には、納骨堂(?)が建っています。
墳丘上からは、天候も良かったので素晴らしい有明海の風景を眺めることができました。







          (遠くに有明海が....)

熊本県玉名市・大坊古墳

2012-06-16 08:08:15 | Weblog
熊本県玉名市玉名出口2818-5・6、菊池川右岸の玉名平野を望む丘陵先端です。

全長42.3m、 後円部径21m・高さ5m、 前方部先端幅25m・高さ5m  の前方後円墳です。

造り出しはありません。
墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部に、南に開口する両袖型横穴式石室があります。

大正6年に京都帝国大学による調査が行われています。
昭和38年の調査で、石室内の土砂を取り除いた結果、彩色による装飾古墳であることが分かりました。
昭和52年2月17日国指定の史跡となり、保存整備工事が行われました。
上記写真は、保存整備された後円部です。

石室は複室構造で、手前側に前室、その奥に玄室があります。
羨道は長さが1.4m、幅1.35mあります。
前室は、長さ3.2m・幅1.4~1.8m・高さ1.4mあります。
玄室は、長さ3.2m・幅2.8m・高さ2.85mあります。
玄室の一番奥には石屋形が設けられているそうです。
扉石の前面や前室・玄室の入り口、石屋形の内壁三面と前面、などに連続三角文に円文を配する赤や黒、青の顔料で描かれた壁画があり、良好な状態で残っています。
残念ながら石室は閉じられていて、中を見ることはできませんでした。
年1回一般公開されているそうで、今年は秋頃(日時はまだ未定とか...)だそうです。
装飾古墳は全国で現在600基ほどが見つかっていて、そのほとんどが熊本県と福岡県に集中しています。
中でもこの大坊古墳がある菊池川流域は、多くの装飾古墳があります。

出土したものとして、碧玉製管玉・瑪瑙製栫玉・ガラス製小玉・真珠製切子玉・水晶製勾玉・金銅製耳環・金製垂飾・銀製垂飾などの装身具、 鉄地金銅張杏葉・鞍金具・木心鉄輪鎧などの馬具、 鉄剣・鉄刀・鉄鎌・長頸鎌・刀子・斧・鉾などの武器、 土師器・須恵器などの土器、 等があります。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀前半ころと推定されています。


           (石室入り口)


     (前方部から後円部を見ています。)


     (後円部から前方部を見ています。)

熊本県玉名市・稲荷山古墳

2012-06-09 08:01:08 | Weblog
熊本県玉名市繁根木宮中、繁根木川右岸の標高15mほどの丘陵上にあります。
玉名市役所の西、繁根木八幡宮北隣です。
墳丘は大きく破壊されていて、現在は後円部が残るのみです。

全長110m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅45m・高さ?m の前方後円墳です。

前方部を西に向けていますが、今は削平されて残っていません。
昭和40年代の造成工事の際、葺き石と共に二列に巡らされた円筒埴輪や朝顔形埴輪などの埴輪列が見つかっています。
後円部は、中世に寿福寺の境内になり削平されました。
現在は墓地と稲荷神社になっています。
古墳の下からは、弥生時代末期の竪穴式住居址が発見されています。

築造時期は5世紀中ころと推定されています。

現状を見る限りでは、これが古墳と分かる人はほとんどいないと思われるほど破壊されています。

古墳の東隣にある文化センターの職員の方が、100mほど北にある伝佐山古墳(円墳ー前方後円墳との説もあります)ともども親切に案内してくださいました。


       (稲荷神社の鳥居)




   (車が止まっているところが前方部だった所です。)

熊本県和水町・松坂古墳

2012-06-02 08:28:27 | Weblog
熊本県玉名郡和水町瀬川浦646、清原台地の南東部にあります。
墳丘はかなり損傷を受けています。
「江田船山古墳」の南すぐ近くです。

全長120m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

墳丘には葺き石が施されていたようです。

1996年に新しく発見された古墳です。
1997年に発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設には、箱形石棺と舟形石棺の二つが埋葬されていたそうです。
舟形石棺からは4体の人骨が出てきたそうです。
同時に合葬されたのか、追葬されたのかは不明です。
箱形石棺には熟年と思われる男女それぞれ1体・計2体が葬られていたそうです。
注目されるのは、女性の頭骸骨が変形していたことです。
下唇が前に剥き出していて、両側頭部も圧迫痕が見られるそうです。
幼少のころから目的を持って、意図的に変形されていたようです。
シャーマンとして育てられたのかも ??

築造時期については、資料が少なく特定されていません。

現在前方部は墓地になっています。
地元の人何人かに尋ねましたが、なかなか場所が分からず苦労しました。
最後に尋ねた方の息子さんの友人が詳しいとのことで、わざわざその方の職場に電話して聞いてくださり、ようやく辿り着けました。
親切にただただ感謝するのみです。




     (後円部ー現在は平坦になっています。)


   (前方部ー現在は墓地になっています。奥が後円部)

熊本県和水町・若宮古墳

2012-06-02 08:13:43 | Weblog
熊本県玉名郡和水町江田中小路原の丘陵南端にあります。
和水町中央公民館前(駐車場端ー和水町役場南側)です。
墳丘は大きく損傷を受けています。


全長(現状)30m、 後円部径20m・高さ3.5m、 前方部先端幅8m・高さ2m の前方後円墳です。

墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
造り出しもありません。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

1989年に発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設には家形石棺で埋葬されていました。
須恵器などが出土しています。

築造時期については、古墳時代中期ころと推定されています。

昭和48年(1973)、熊本県の史跡に指定されています。
ここから南へ約900mほど行くと、あの「江田船山古墳」があります。