古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

福岡県糸島市・西堂古賀崎古墳

2012-01-28 08:14:35 | Weblog
福岡県糸島市(旧前原市)大字西堂字深町の丘陵上にあります。
怡土(いと)平野の最も南にある丘陵上です。
日向峠から県道大野城二丈線を下ってきたあたりで、怡土平野を一望できる所です。

全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

昭和32年(1957年)春、納骨堂周辺の公園化に伴う造成工事中に石室が発見され多くの遺物が出土しました。
現在墳丘は大きく破壊されていて、盛り土もほとんど無くなっています。
また古墳の裾も削り取られています。
わずかに後円部に、南側に羨道を設けた単室の横穴式石室が残っているだけです。
玄室は長さ2.9m、幅約2.2mで天井石はありません。
天井石がないのは、この天井から開口したためだそうです。
その為、現在も羨道部は閉ざされたままです。

発見当時は径10mほどの円墳と推定されていました。
ところが、近年になって古墳周辺の地形測量調査を行ったところ、現墳丘の東側にも墳丘が延びていることがわかり、前方部を東に向ける前方後円墳と判明したそうです。

単龍環頭太刀や小刀・胡ろく金具などの武具、鎧板や杏葉・革金具などの馬具、鉄斧や鋤先等の農耕具、金環や管玉・銀製丸小玉・ガラス玉などの装身具、須恵器、土師器などが出土しています。
なかでも、装飾性に富んだ(表面に勾玉状の突起や小壷を付けた)須恵器壷は全国で2例しか出土していない珍しいものだそうです。
単龍環頭太刀は当時の大和政権が各地の首長や、朝廷から派遣された武人に授けた威信財です。
この古墳に眠る人物もそういった権力者だったのだろうと思われます。

6世紀中ころの築造と推定されています。

古墳のある(納骨堂のある)高台への道の入り口付近に畜舎があって、ハエの大群に群がられて閉口しました。
4月には地元の人々により、古墳祭りが行われているそうです。








福岡市・飯氏二塚古墳

2012-01-21 08:16:55 | Weblog
福岡県福岡市西区飯氏(いいじ)鏡原792-2、糸島平野の東縁部に延びる標高30~35mの丘陵上にあります。
子捨塚古墳とも呼ばれています。
兜塚古墳からそう離れていません。

全長49.6m、 後円部径27.3m・高さ5m、 前方部先端幅36.9m・高さ5m 二段構築の前方後円墳です。
東西方向に主軸を持っています。
墳丘はすべて土盛りで築かれています。

造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されています。
埴輪の出土はありません。
周濠も掘られていなかったようです。

1993年2月~6月、2002年11月~2003年1月にかけて発掘調査が行われています。
主体部は後円部中央にある横穴式石室です。
古墳の主軸に直交するように造られています。
石室は、その石材の大半が失われていて、わずかに石室の基礎石(腰石)や入り口を塞ぐ石が残るのみです。
石室は花崗岩で造られていて、全長3.5m・幅2.3m・高さ1mほどあるそうです。
墓道の調査で、最低2回の埋葬が行われていたのが確認されています。
石室内からはガラス製丸玉やガラス製小玉などの装身具、雲珠や辻金具などの馬具が、くびれ部からは須恵器(甕・壷・高坏など)が出土しています。

古墳時代後期・6世紀初めころの築造と推定されています。

平成16年4月5日、国の史跡に指定されています。
今宿古墳群を構成しています。
一部削平を受けているものの、ほぼ良好な状態で残っています。


      (前 方 部)


      (石 室 跡)


福岡市・兜塚古墳

2012-01-14 08:22:22 | Weblog
福岡県福岡市西区飯氏マツヲ地内の丘陵上にあります。
高祖山から伸びる丘陵の先端部・牟田坂池の南東側です。

全長54m、 後円部径43m・高さ6m、 前方部先端幅?m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。

古墳の前方部は削られてほとんど残ってなく、永らく円墳とみられていました。
平成6年~平成7年、及び平成15年の発掘調査で前方後円墳であることが判明しました。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪・朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

後円部にある埋葬施設は横穴式石室です。
江戸時代に盗掘を受けて開口し、入り口部分の半分と床面の大半が破壊されていたそうです。
短い羨道の奥に長さ4.4m・幅2.2~2.4m・高さ1.6mの石室があります。
床には石が敷かれていて、数度の埋葬が行われていたそうです。
出土したものとして、碧玉製管玉、ガラス製丸玉、鎧、鉄刀、鉄鏃、手鎌、鋲留短甲、須恵器などがあります。
石室は自由に見学することができます。

この古墳の築造時期は、5世紀後半ころと推定されています。
今宿古墳群を構成していて、平成16年4月5日国の史跡に指定されています。

1958年(昭和33年)、後円部の頂上付近から平安時代の経筒が発見されています。
経筒は高さが約41cm、直径が約10cmで2枚の銅板を貼り合わせて作られている珍しいものだそうです。
仏教の経典を納めた経塚として使われていたようです。

墳丘の周り(周濠?)には、猪が掘ったとみられる「えさ」をあさった跡が結構残っていました。


   (後 円 部)


   (破壊された石室入り口部)


   (石室内部)

福岡市・山の鼻1号墳

2012-01-07 08:50:38 | Weblog
福岡県福岡市西区徳永山ノハナの果樹園の中にあります。
若八幡宮古墳の東北、今宿バイパスの反対側の丘陵上です。

全長44m、 後円部径27m・高さ?m、 前方部先端幅25m・高さ?m 前方部二段、後円部三段構築の前方後円墳です。
墳丘は大きく破壊されています。

墳丘には葺き石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。

1990年、発掘調査が行われています。
後円部にある主体部は、削平されて消失していましたが、残っていた石などから竪穴式石室とみられています。
半肉彫獣帯鏡片・土師器などが出土しています。

古墳時代前期・4世紀前半代の築造と推定されています。
今宿古墳群を構成していて、平成16年4月5日国の史跡指定を受けています。






福岡市・若八幡宮古墳

2012-01-07 08:20:27 | Weblog
福岡県福岡市西区徳永引地280-2の今宿バイパス徳永交差点の南側、若八幡宮神社の社殿背後(東側)の丘陵上にあります。
高祖山山塊から延びる標高29mの所です。

全長47m、 後円部径25.4m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ2.2m  前方部二段、後円部三段構築の前方後円墳です。
前方部を北に向けていますが、先端部は消失しています。

造り出し(2×3mの方形)があります。
墳丘には葺き石が施されていたようです。

1970年10月26日~12月30日にかけて発掘調査が行われています。
今宿バイパス建設に先立って確認調査されました。
後円部にある内部主体部は、刳抜式舟型木棺が直葬されていたそうです。
木棺西側(頭部)に集中するようにして、三角縁二神二獣鏡・鉄製環頭太刀・剣・刀子・ヤリガンナ・鉄斧・鏃・銅製有孔円盤・碧玉製管玉・ガラス製小玉・土師器製の器台や丸底壷などが出土しています。

古墳時代前期・4世紀後半ころの築造と推定されています。

今宿古墳群を構成していて、平成16年4月5日国の史跡に指定されています。
今宿古墳群最古の古墳です。

墳丘からは今宿平野を一望することができます。


   (左が若八幡宮の社殿です。)


   (後 円 部)


   (前 方 部)