古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

茨城県石岡市・長堀6号墳

2020-02-29 05:54:02 | Weblog
茨城県石岡市柿岡字長堀の台地上にあります。
長堀公民館の西200m、長堀2号墳の南東約450mのところです。

全長37m、 後円部径27m・高さ3m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。









ただこの古墳は円墳とされていますが、前方後円墳の可能性があるといわれています。
現場を見ると確かに道路で分断はされていますが、道路わきに前方部とみれなくもない高まりがあります。


墳丘頂上は平らになっていて、小さな祠が祀られています。







長堀古墳群を構成する1基です。

茨城県石岡市・長堀2号墳

2020-02-29 05:28:10 | Weblog
茨城県石岡市柿岡字長堀4691の台地上にあります。

全長46m、 後方部一辺長30m・高さ3.5m、 前方部先端幅16m・高さ2m  の前方後方墳です。
同じ前方後方墳である丸山古墳同様、前方部を南東方向に向けていて、その前方部はやや低くなっています。


                (右が前方部)


               (手前が前方部)

                
(後方部)











     (後方部でくつろいでいたキジを追いやったようです)

(前方部)


1972年(昭和47年)2月、早稲田大学考古学研究所「市毛勲」先生による測量調査が実施され、前方後方墳と判明しました。
平成22年にも測量調査が行われています。
葺石や埴輪の出土はありません。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設や副葬品については不明です。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されていて、丸山古墳ともども茨城県内最古級の古墳の可能性が高いといわれています。

長堀古墳群を構成する1基です。

茨城県石岡市・佐自塚古墳

2020-02-22 05:34:07 | Weblog
茨城県石岡市佐久字佐自塚170ほか、細長い丘陵の南端近くにあります。
「佐久2号墳」とも呼ばれています。

全長58m、 後円部径35m・高さ6m、 前方部先端幅27m・高さ4.3m  の前方後円墳です。
前方部を南西方向に向けています。



後円部墳頂には、小さな祠が祀られています。




(後円部)








(前方部)








墳丘の周りには周濠があります。


1963年(昭和38年)2月、発掘調査が行われています。
墳丘には、三日月形や水滴形などの透かしがある円筒埴輪の配列がなされていました。
後円部中央下約1.5mの地点で、全長約6mの粘土槨の埋葬施設が見つかっています。
粘土棺内から硬玉製勾玉や碧玉製管玉・ガラス製小玉・堅櫛・刀子・壺形土師器などが出土しています。
粘土槨の上部やその周辺からも、高坏2点・坩・壺などの土師器が出土しています。

古墳時代前期後半・4世紀後半から5世紀初頭頃の築造と推定されています。

昭和43年3月15日、石岡市の史跡に指定されています。

茨城県石岡市・丸山4号墳

2020-02-15 05:46:06 | Weblog
茨城県石岡市柿岡字丸山4118-2、恋瀬川を望む標高50~60mほどの丘陵部にあります。
丸山古墳の東30mのところです。
「二子塚古墳」とも呼ばれてます。

全長36.5m、 後円部径20.5m・高さ3m、 前方部先端幅18m・高さ2.66m  の前方後円墳です。
前方部を北西方向に向けています。





円筒埴輪や人物埴輪・馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1952年と1954年に発掘調査が行われています。
1954年(昭和29年)には明治大学考古学研究室と地元の方々の奉仕作業で、明治時代に乱掘された横穴式石室の修復作業が行われています。
南方向に開口している石室は片袖型横穴式石室で、全長6m、羨道の長さ3m・幅1m、玄室の長さ2.8m・幅1.4m・奥壁高さ1.9mの単室構造です。
滑石製模造品・大刀・鉄鏃・須恵器などが出土しています。
開口部は落ち葉などで半ば埋もれた状態で、残念ながら中に入ることはできませんでした。







2007年には測量調査が行われています。

(後円部)






(前方部)






古墳時代後期の築造と推定されています。

丸山古墳群を構成しています。

茨城県石岡市・丸山古墳

2020-02-08 05:26:52 | Weblog
茨城県石岡市柿岡高友4123の恋瀬川を望む標高50~60mほどの丘陵中央にあります。
「円山1号墳」とも呼ばれています。
古くから「崇神天皇」の第一皇子「豊城入彦命」の奥津城として伝承されています。
周囲には中世の城館「高友古塁(高友城址)」の空堀が巡っています。




全長55m、 後方部一辺長34×30m・高さ7m、 前方部先端幅22m・高さ4m  の前方後方墳です。
前方部を南東方向に向けています。




                 (右が前方部)

(後方部)











     (広い後方部墳頂には五輪塔がたっています)

(前方部)






墳丘に葺石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土もありません。
1952年(昭和27年)12月、明治大学「後藤守一」教授のもとで発掘調査が行われています。
その結果、後方部の墳頂下約2mのところで粘土床(木棺)が発見されました。
倭製内行花文鏡や勾玉(瑪瑙・硬玉・碧玉・琥珀・蛇紋岩製)・碧玉製管玉・ガラス製小玉・ガラス製丸玉・銅鏃・鉄剣・鉄刀・刀子などが出土しています。
また遺骸の頭部分と推定される場所には水銀朱が撒かれていたそうです。

古墳時代前期後半・4世紀後半から5世紀初頭頃の築造と推定されています。

約30基からなる丸山古墳群を構成する1基として、昭和27年12月18日茨城県の史跡に指定されています。


茨城県かすみがうら市・戸崎古墳群

2020-02-01 05:36:26 | Weblog
茨城県かすみがうら市戸崎、市の南西部・土浦市との境界付近です。
前方後円墳(帆立貝形)2基・円墳4基からなる古墳群です。

(3号墳)
全長21.5m、 後円部径18m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  帆立貝形の前方後円墳です。
すぐそばには八坂神社の社がたっています。




















 
(5号墳)
全長26.5m、 後円部径20.1m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  帆立貝形の前方後円墳です。
3号墳のすぐ近くです。














2基とも比較的小型の帆立貝形古墳です。
詳細は不明です。