京都市伏見区桃山遠山町の丘陵尾根上にあります。
明治天皇「伏見桃山陵」の東、宇治川と山科川の合流点近くです。
宮内庁が「伊予親王の陵墓・巨幡墓」として管理しています。
全長140m、 後円部径73.2m・高さ10m、 前方部先端幅74m・高さ7m の前方後円墳です。
前方部は養護施設・桃山学園になっていて消滅しており、現在は後円部が残っているだけです。
後円部には小さな石製の五輪塔が立っています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪、鰭付円筒埴輪、楕円筒埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1995年に発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設がどんなものだったのかはっきりしていません。
小札革綴冑、刀子、鉄製円形金具 などが出土しています。
古墳時代前期・4世紀後半ころの築造と推定されています。
宮内庁が「伊予親王の陵墓・巨幡墓」として管理していますが、伊予親王は桓武天皇の第3皇子で、807年に没したとされていて年代が合いません。
4世紀から6世紀にかけて渡来して、この地を支配した「秦一族」の有力者の墓ではないかと言われています。
近くには黄金塚1号墳(推定墳長100m)もありましたが、いまは消滅していて残っていません。
現在、後円部すぐそばまで民家が逼っています。