古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

京都市・黄金塚2号墳

2013-08-31 07:58:01 | Weblog




京都市伏見区桃山遠山町の丘陵尾根上にあります。
明治天皇「伏見桃山陵」の東、宇治川と山科川の合流点近くです。
宮内庁が「伊予親王の陵墓・巨幡墓」として管理しています。

全長140m、 後円部径73.2m・高さ10m、 前方部先端幅74m・高さ7m の前方後円墳です。
前方部は養護施設・桃山学園になっていて消滅しており、現在は後円部が残っているだけです。
後円部には小さな石製の五輪塔が立っています。

円筒埴輪や朝顔形埴輪、鰭付円筒埴輪、楕円筒埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1995年に発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設がどんなものだったのかはっきりしていません。
小札革綴冑、刀子、鉄製円形金具 などが出土しています。

古墳時代前期・4世紀後半ころの築造と推定されています。










宮内庁が「伊予親王の陵墓・巨幡墓」として管理していますが、伊予親王は桓武天皇の第3皇子で、807年に没したとされていて年代が合いません。
4世紀から6世紀にかけて渡来して、この地を支配した「秦一族」の有力者の墓ではないかと言われています。

近くには黄金塚1号墳(推定墳長100m)もありましたが、いまは消滅していて残っていません。

現在、後円部すぐそばまで民家が逼っています。

京都府八幡市・八幡西車塚古墳

2013-08-24 08:00:28 | Weblog



               (後円部墳頂・・・平坦になっています。)

京都府八幡市八幡荘式部谷の段丘緩斜面にあります。
東車塚古墳の西すぐ近くです。

全長115m、 後円部径70m・高さ8m、 前方部先端幅32m・高さ4m  の前方後円墳です。
前方部は開墾などで原形を失っています。

墳丘の周りには周濠(空堀)があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室で木棺が収められていました。
水成岩板石で造られた竪穴式石室は、全長2.7m、幅0.6m、高さ0.9m あります。
墳丘上に八角堂が建っていたため、破壊は免れていました。
明治35年6月18日、境内の工事の際石室が見つかっています。
石室内にあった副葬品は取りだされ、東京博物館に保存されましたが、石室は破壊されてしまいました。
倭製方格規矩四神鏡(径21.8cm)、倭製六獣鏡(径24.5cm)、中国製三角縁唐草文帯二神二獣鏡(径21.7cm)、中国製画文帯環状乳四神四獣鏡、中国製盤竜鏡(径10.3cm)、硬玉製勾玉、瑪瑙製勾玉、滑石製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉、水晶製丸玉、碧玉製鍬形石、碧玉製車輪石、碧玉製石釧、碧玉製合子、鉄剣、鉄刀、木片 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半ころの築造と推定されています。








(八角堂)
明治の廃仏毀釈の際、石清水八幡宮本殿の南西・西谷に建っていたものを移したものです。
鎌倉時代の建保年間(1213~19)、石清水の祠官家・善法寺祐清が順徳院の御願により阿弥陀如来像を本尊とする堂を西谷の地に建立したと伝えられています。
慶長12年(1607)には、大破した建物を「豊臣秀頼」が再建しています。
その後も何度か再建・再興されています。
西車塚古墳の後円部墳頂に建っています。

京都府八幡市・八幡東車塚古墳

2013-08-17 08:02:49 | Weblog




京都府八幡市志水女郎花43の段丘傾斜面にあります。
史跡・松花堂庭園の出口近くです。



全長94m、 後円部径53m・高さ?m、 前方部先端幅30m・高さ?m の前方後円墳です。
小山(墳形)が公園の景観に取り入れられたため、一部損傷を受けています。


墳丘には葺き石が施されていました。
墳丘に埴輪(種類ははっきりしていません)の配列がなされていたようです。

主体部は二つ確認されています。
後円部にある埋葬施設は、どんなものだったのかはっきりしていません。
倭製ダ龍鏡(径21.5cm)、倭製六神獣鏡(径16.7cm)、中国製長宜子孫内行花文鏡(径22.3cm)、硬玉製勾玉2個、鉄剣、直刀、素環頭太刀、鉄鏃、草綴短甲、斧頭 などが出土しています。
前方部にある埋葬施設には、木棺が直葬されていまいた。
中国製三角縁尚方作二神二獣鏡(径22.7cm)、鉄剣 等が出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半ころの築造と推定されています。

昭和27年(1952年)、国の史跡に指定されています。


(史跡・松花堂庭園)
この地はかって個人(西村芳次郎氏)の所有地でした。
そこにあった小山(東車塚古墳)をメインの景観として庭園が築かれました。



寛永の三筆の一人と言われた「松花堂昭乗」が、男山の山中に建てた方丈を松花堂と言います。
明治の廃仏毀釈のさい、泉坊書院、玄関とともにこの地に移築され、松花堂庭園として公開されました。
松花堂と言えば京都・吉兆の高級弁当が有名です。

奈良市・野神古墳

2013-08-10 08:03:38 | Weblog


奈良市南京終(きょうばて)町2丁目、桂木団地の入り口左側にあります。
JR桜井線・京終駅から徒歩12分~13分の所です。

全長40m、 後円部径?m・高さ4m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
古墳は大きく破壊されていて、原形を留めていません。
現状の墳丘は、南北22m、東西11m、高さ4m です。




墳丘に葺き石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

埋葬施設は竪穴式石室で、凝灰岩を刳り抜いて造った家形石棺が残っています。
石室は東壁だけが当時のまま残っています。
明治9年8月14日、干ばつに見舞われた農民が、古くから井戸が埋蔵されていると言い伝えられていた古墳の場所を掘削した所、石棺が出てきたそうです。
石棺は、縦約2.10m、横約0.82m、深さ約0.36m あります。
石棺内からは、鉄刀3振、銅鏡1面、金銀玉 などが出土しました。
石棺の底には丹朱が残っていたそうです。
その後、馬具類も出土しているそうです。




残っている墳丘上には、小さな祠が祀ってあります。


古墳時代中期・5世紀後半から6世紀初頭の築造と推定されています。

昭和59年3月3日、奈良市の文化財に指定されています。

奈良市・大安寺墓山古墳

2013-08-03 08:00:47 | Weblog


奈良市大安寺5丁目の平地にあります。
杉山古墳から東へ約5分ほど行った道路北側です。
道路反対側(南側)には、奈交自動車整備(株)があります。
JR桜井線・京終(きょうばて)駅(奈良駅の次の駅)の西寄りです。。

全長80m、 後円部径?m、高さ5.5m、 前方部幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。



名前の通り、現在墳丘は融福寺の墓地になっていて、大きく改変され古墳の面影はありません。
この墓地が古墳の上にあると気付く人はほとんどいないと思います。
ただ墓地は道路より一段高くなっていて、古墳の墳丘上にあることが判ります。

         (手前が道路です。)

墳丘の周りには、すでに埋没している周濠があります。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・蓋形埴輪・人物埴輪・形象埴輪 等が採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代中期・5世紀中ごろの築造と推定されています。