古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

大阪府池田市・池田茶臼山古墳

2013-01-26 08:03:40 | Weblog


大阪府池田市上池田町、五月山南麓の標高約90mの五月丘にあります。
茶臼山公園内です。

全長62m、 後円部径33m・高さ6.45m、 前方部先端幅18m・高さ3.45m  三段構築の前方後円墳です。
前方部を南西方向に向けています。

墳丘には葺き石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1958年(昭和33年)、旧宮内省による発掘調査が行われています。
主体部が三つ確認されています。

後円部中央にある埋葬施設は、竪穴式石室で割竹形木棺が収められていたそうです。
竪穴式石室は、全長が6.35m・幅0.7~1.1m・高さ1.2mあり、内面にベンガラが塗られていたそうです。
天井石は9枚ありました。
現在開口部を含め埋め戻されています。
碧玉製管玉、ガラス製小玉89点・鉄剣・碧玉製石釧、脚付椀型土師器 などが出土しています。

後円部北側の埋葬施設には、頭巾型埴輪円筒棺が収められていました。
棺の大きさから、埋葬されていたのは子供ではないかとみられています。
刀子などが出土しています。

くびれ部にある埋葬施設には、朝顔形埴輪円筒棺が収められていたそうです。

古墳時代前期・4世紀後半ころの築造と推定されています。

昭和47年、大阪府の史跡に指定されています。

この古墳は、1958年の発掘調査後宅地として取り壊されることになっていたそうです。
しかし地元の人々の保存を求める声が強く、史跡公園「茶臼山公園」として整備されることになったそうです。
公園内には桜の木が植えられていて、春には花見客で賑うそうです。
私が訪ねたのは、晩秋の冷たい雨の降る日でした。


         (後円部墳頂)


          (前方部)


     (後円部から前方部を見ています)

兵庫県神戸市・吉田王塚古墳

2013-01-19 08:12:54 | Weblog


兵庫県神戸市西区王塚台、明石川右岸の段丘上にあります。
王塚公園(丸山公園)内に保存されています。
檜笠岡王塚古墳とも呼ばれています。

全長74m、 後円部径44m・高さ?m、 前方部先端幅42m・高さ?m  三段構築の前方後円墳です。

墳丘の周りには、今も水を湛えた幅約15mの馬蹄形をした周濠があります。
墳丘には明石川で採石された葺き石が施されています。
平成12年、宮内庁による発掘調査が行われています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・壺形埴輪・盾形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
これらの埴輪などから、この古墳の築造時期は5世紀前半と推定されています。

埋葬施設は竪穴式石室です。

現在この古墳は、宮内庁が「玉津陵墓参考地」として管理しています。
602年、用明天皇と飯之子の子供で聖徳太子の弟・当麻皇子(たぎまのみこ)の妃、舎人皇女(とねりのひめみこ)がここ明石で突然の病死をします。
当麻皇子は舎人皇女を伴なって、征新羅の将軍として難波津から出兵したと「日本書紀」に書かれています。
この王塚古墳がその墓ではないかとして、宮内庁が管理しているのです。

訪ねた時は曇り空でしたが、見事な紅葉が周濠に映えていてとてもきれいでした。

 




兵庫県神戸市・大歳山2号墳

2013-01-12 08:03:46 | Weblog


兵庫県神戸市垂水区西舞子4丁目の丘陵上、大歳山遺跡公園内にあります。
明石海峡大橋の素晴らしい眺めが見渡せる高台です。
上記写真の後方がそれです。
遺跡公園はそんなに広くはありませんが、弥生時代後期の竪穴建物が古墳のすぐそばに復元されています。

全長37m、  後円部径22m・高さ1.75m、 前方部先端幅13m・高さ1.5m  の前方後円墳です。
墳丘は復元されています。

墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなかったようです。

後円部中央には、南西方向に開口する横穴式石室がありました。
須恵器の坏・高坏・甕・装飾付壺(壺に小さな人形を貼り付けたもの)などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀ころの築造と推定されています。

後円部のすぐ東側には、竪穴式石室をもつ円墳(大歳山1号墳)がありました。
さらにその東側にも、粘土槨を埋葬施設とする小さな古墳があったそうです。



曇り空でおまけに夕暮れが近い時間帯でしたので、あたりは少し薄暗くなりかけていました。
灯りも点き始めた舞子の街並み越しに見る、明石海峡大橋の美しい眺めは印象的でした。




兵庫県神戸市・五色塚古墳

2013-01-05 08:06:44 | Weblog
兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目 の住宅地の中のあります。
JR山陽線・垂水駅西へ徒歩約10分、山陽電鉄・霞ヶ丘駅東へ徒歩約5分 の所です。
千壺古墳と呼ばれることもあります。
明石海峡がすぐ目の前です。

全長194m、 後円部径125m・高さ18m、 前方部先端幅81m・高さ11.5m 三段構築の前方後円墳です。
一段目は地山を利用し、二・三段目は盛り土で造られています。
前方部は、JR・山陽電鉄線で一部削平されています。
兵庫県内最大の前方後円墳で、全国でも39番目の大きさです。

墳丘の周りには幅約10mの周濠があります。
墳丘には、円礫による葺き石が施されています。
築造当時の葺き石の総数は223万個、総重量2,784トンと推定されています。
使用されている円礫は「日本書紀」にある通り、淡路島からは運ばれたものだそうです。
墳頂と墳丘2段目テラスから円筒埴輪や鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・盾形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
その数2,200本にもなると推定されています。
くびれ部東側には、一辺が20m・高さ5mの造り出しがあります。
後円部東側にも、外側から濠の中に向かって方形の造り出しがあります。
これらはいづれも葺き石で覆われていたようです。

神戸市教育委員会が、10年の歳月(1965年10月1日~1975年3月31日)をかけて整備事業を行っています。
墳丘は築造当時のように復元されていて、墳丘には埴輪のレプリカが並び、葺き石が綺麗に補修・整備されています。


1965年には発掘調査も行われています。
後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室に長持型石棺が収められていたそうです。
碧玉製合子などが出土しています。

古墳時代前期・4世紀末ころの築造と推定されています。

大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。

整備される前、墳丘は樹木に覆われていたそうです。
戦時中、墳丘上の樹木を船材として伐採し、また農地としても耕されていたそうです。

墳丘上へは、管理事務所の許可(午前9時~午後5時)を受ければ自由に登れるそうです。
所が私が訪ねた日は、事務所が休み(毎週月曜日・年末年始)で登ることができませんでした。
墳丘からの明石海峡の素晴らしい眺めを期待していたのに残念でした。
またいつか機会を見つけて訪ねたいと思います。
当日は曇り空で、おまけに夕刻が迫る時間帯でした。





   (前方部ー奥に見えるのは明石海峡大橋)