古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

兵庫県姫路市・清盛塚古墳

2014-05-31 08:07:36 | Weblog


兵庫県姫路市山田町北山田ソウジウ、標高93mの観音山山頂にあります。
天満神社の裏です。


姫路市の東北部に位置し、「多駝の里」と呼ばれています。

全長44.8m、 後円部径25m・高さ4m、 前方部幅25m・高さ4m 二段構築の前方後円墳です。









後円部中央には竪穴式石室の埋葬施設があります。
埴輪の出土は不明で、また墳丘に葺石が施されていたのかもはっきりしていません。
ただ昭和17年に発行された「神崎郡誌」によると「中央土を盛り上げ隅々又は段々に玉石および埴輪をうづめてある。」と記されているそうです。

古墳時代前期の築造と推定されています。

ちなみに「清盛塚」の名称の由来は、北山田出身の平清盛の乳母が、清盛が信仰した観音の像を山頂に祀ったと言い伝えられていることから、後世に清盛塚と呼ばれるようになったのだそうです。

兵庫県姫路市・山戸4号墳

2014-05-24 08:00:31 | Weblog
兵庫県姫路市勝原区山戸の丘陵上にあります。
前述の「丁瓢塚古墳」の南にある丘陵上です。
江戸末期の狛犬や絵馬が残る「春日神社」左手の鳥居を抜けて稜線を歩きました。

全長35m、 後円部径16m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。









埋葬施設は竪穴式石室です。
人を埋葬するには少し狭い感じがする、ほぼ正方形に近い石室です。
盛り土は流されていて、石組みが現れています。

そのほかについては資料が少なく詳細は不明です。

築造時期は、邪馬台国・卑弥呼の時代(3世紀初めころ)で、奈良県桜井市にある「ホケノ山古墳」と同時代のものと推定されています。
「丁瓢塚古墳」よりは1世紀以上古いといわれています。


兵庫県姫路市・丁薬司古墳

2014-05-17 08:03:08 | Weblog
兵庫県姫路市勝原区丁、京見山の西端尾根の先端にあります。
薬司神社右手にある墓地横の長い石段を上り詰めた先の尾根を左に約100mほど行ったところです。

全長22m、 後円部径13m・高さ2.5m、 前方部先端幅8m・高さ2m の前方後円墳です。







1993年、測量調査が行われています。

後円部には、墳丘と直交する南に開口した左片袖式の横穴式石室があります。
ただ盛り土は長年の時間経過で大半が流出しています。





石室は 全長が7m、羨道の長さ3m・幅1.3m・高さ1.87m、玄室の長さが4m・幅2.5m・高さ2.5m以上 あります。
石室は天井石が一部欠損しています。
側壁がアーチ状になっていて、初期横穴式石室の特徴を持っています。




築造時期など、資料が少なく詳細は不明です。
ただ横穴式石室が埋葬施設として使われるようになったのは、古墳時代中期以降ですから、それ以降の築造と思われます。

丁古墳群を構成しています。


「薬司神社」
   祭神は 「少名彦那命」 「素盞鳴命」

兵庫県姫路市・丁瓢塚(よろひさごつか)古墳

2014-05-10 08:10:19 | Weblog
兵庫県姫路市勝原区丁家久田、揖保川下流の平地にあります。
県道421号線脇です。
前述の檀特山の山頂からもよく見えます。

全長104m、 後円部径58m・高さ7m、 前方部先端幅40m・高さ4.25m 前方部二段・後円部三段構築の前方後円墳です。
前方部が、あの「箸墓古墳」同様にバチ形に広がっています。
揖保川下流平地最大で、姫路市内でも2番目の大きさです。
前方部を南に向けています。


                       (右手前が前方部です)


                         (後 円 部)


                         (前 方 部)

1987年(昭和62年)に実測調査が行われています。
ただ発掘調査は行われていません。
山陰地方にみられる竹管文のある特殊壺型土器が数点採取されています。

墳丘の周りに周濠はありません。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部の中央やや南寄り(前方部寄り)に竪穴式石室の埋葬施設があります。
今は埋め戻されていますが、小型の石槨が露出していたそうです。
10数年前までは、墳丘全体が竹林で覆われていたそうです。


古墳時代初期・3世紀中頃の築造と推定されています。

昭和53年3月24日、国の史跡に指定されています。

丁古墳群を構成しています。


           (前方部先端)




           (後円部墳頂)

兵庫県姫路市・檀特山1号墳

2014-05-03 08:02:19 | Weblog
兵庫県姫路市勝原区大谷檀特山の尾根上にあります。
檀特山の頂上から西側の登山道を少し下ったところです。
JR山陽本線・網干駅から檀特山のふもとまで徒歩で約30分かかりました。

全長50m、 後円部径26m・高さ3m、 前方部先端幅12m・高さ1.5m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。









墳丘には葺石が施されていたようです。

埴輪の出土は不明で、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
墳頂にある埋葬施設には壺棺が収められていたそうです。
碧玉製管玉などが出土しています。

築造時期は古墳時代初期(発生期)と推定されています。

麓の登山道でどう行ったらいいのかわからず半ばあきらめかけていたところに、毎日山に登っているという高齢の女性グループに出会いました。
その中の一人が、同じ登山仲間で古墳に詳しい方を知っているということでわざわざ電話連絡をしていただきました。
その方と頂上で待ち合わせることになり、足場の悪い急な山道を息を切らしながら登りどうにかたどり着きました。
その方の案内がなかったらとても古墳観察は無理だったと思います。
ただただ感謝するのみです。
一人で山に入っていたらきっと迷っていたと思います。

檀特山古墳群(現在10基がのこっています。)を構成しています。


「檀特山」
標高165m。
仏道に関係のある山として、北インド・ガンダーラ地方にある山と同じ名前が付けられたそうです。
山上からは素晴らしい眺めの勝原地区一帯を見渡すことができます。
山頂には大きな岩があり、応神天皇が四方を見渡した岩との言い伝えがあるそうです。
またその岩には窪みがあって、聖徳太子が山頂に登った時の馬(駒)のひづめ跡との言い伝えも
残っているそうです。