大阪府八尾市大竹5丁目、平安時代以来の古道「東高野街道ー府道・旧170号線」沿い東側です。
心合寺山古墳の西約300m、標高約17mの所です。
俗に松山とか腹痛山とか呼ばれています。
ここの土に触る(取る)と腹痛を起こすとの言い伝えがあり、そこから腹痛山と呼ばれるようになったとか・・・・・
全長50m、 後円部径28m・高さ5m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
墳丘はかなり削平を受けています。
墳丘の周りには周濠が廻っていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・蓋形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部の上部に粘土槨が残っています。
火葬跡が二か所発見されていて、石櫃の蓋の破片が出土しています。
古墳時代中期末ころの築造と推定されています。
墳丘は一部採土(昭和33年3月)されていて、その跡に小さな祠が建てられています。
入口に「宝山神社」の碑があります。
昭和34年4月、大阪府の史跡に指定されています。
墳丘上にはたくさんの桜の木が植えてあります。
花の頃はさぞ綺麗だろうなと思いつつ後にしました。