古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

滋賀県野洲市・冨波古墳

2017-01-28 08:31:48 | Weblog
滋賀県野洲市冨波亀塚、大岩山丘陵の北西に広がる標高約93mの扇状地にあります。
亀塚古墳の西、約100mのところです。
1982年(昭和57年)、宅地造成に伴う事前調査の際発見された古墳です。
墳丘は既に削平されていて水田になっていました。
現在は復元されています。




                  (左が前方部、右が後方部)


                       (前方部)



                       (後方部)

全長42m、 後方部一辺長20.7m×22m・高さ?m、 前方部先端幅20m・高さ?m  の前方後方墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘の周りには幅4.5m~7mの周濠があります。


墳丘に葺石は施されていなかったものとみられます。
埴輪の出土がなく、墳丘には埴輪の配列はなかったようです。
周濠くびれ部付近で井戸状の遺構がみつかり、古墳時代初頭頃の近江地域の特徴を持つ土器が出土しています。
同じく周濠の東角から甕や東海地域の特徴を持つ丹塗りの壺片も出土しています。
埋葬主体については不明です。

この古墳の築造時期は古墳時代発生期・3世紀後半頃と推定されています。

大岩山古墳群を構成する1基として、国の史跡に指定されています。
古墳群中、最古の古墳です。

滋賀県野洲市・野洲亀塚古墳

2017-01-28 08:11:04 | Weblog
滋賀県野洲市冨波亀塚甲1437-1、大岩山丘陵の北西に広がる自然堤防上にあります。
墳丘は後世の土取りで大きく削平されています。

全長45m以上、 後円部径33m以上・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部を西に向けています。













2007年(平成19年)の試掘調査で、墳丘の周りに幅9mの周濠が確認されています。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・形象埴輪が採取されていて、墳丘に埴輪に配列がなされていました。
主体部については、かっての土取りの際石材が出土したと伝えられていることから、横穴式石室であったものとみられます。

この古墳の築造時期は古墳時代中期・5世紀末頃の築造と推定されています。

大岩山古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。

滋賀県野洲市・木部天神前古墳

2017-01-21 08:34:23 | Weblog
滋賀県野洲市中主町木部、野洲川下流右岸の沖積地にあります。
JR野洲駅の北約4Km、県道32号線沿いです。

全長60m、 後円部径40m・高さ2m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は削平を受けていて、現状では方墳状態です。











墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は、左片袖型横穴式石室です。

羨道の長さ(現状)6.2m・幅1.3m、玄室の奥行4.3m・幅2.2m・高さ(現状)1.2mの単室構造です。
玄室内はベンガラで彩色されているそうです。
鉄刀・竜鏃・碧玉製管玉・銀製耳環・水晶製切子玉・鏡板付轡・杏葉・革金具・辻金具・鞍金具・輪鐙・鉄製鋤先・有蓋装飾脚付壺・須恵器 などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀中葉ころの築造と推定されています。

滋賀県野洲市・野洲大塚山古墳

2017-01-21 08:05:21 | Weblog
滋賀県野洲市辻町六ノ坪604外にあります。
総合福祉保健センターの裏側です。
標高100mの扇状地にあり、古くは「王塚山」とか「茶臼山」と呼ばれていたそうです。

全長72m、 後円部径57m・高さ8m、 前方部先端幅54m・高さ?m  三段構築の帆立貝形前方後円墳です。
墳丘の大部分は盛土でつくられています。








              (左に見える建物が総合福祉保健センター)

平成11年(1999年)から史跡保存整備事業に伴う調査が行われています。
墳丘の周りには幅5~10mの堤を挟んで内側に幅13~20mと外側に幅3m以上の二重の馬蹄形をした周濠があります。
その外周部分から人物埴輪が出土しています。
墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部墳頂にある主体部は竪穴式石室で、滑石製勾玉・ガラス玉・刀子形模造品・甲冑・鉄鏃・須恵器片 などが出土しています。


北西側には幅33m、長さ8.5mの二つに区分された造り出しがあります。

東側(写真手前側)が幅11m、西側が幅22mあります。
東側の造り出し部周辺から、鶏(高さ80cm)・船(準構造船)・家・蓋・水鳥・盾・甲冑 などの形象埴輪がまとまって出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半頃の築造と推定されています。

大岩山古墳群の一つとして国の史跡に指定されています。

滋賀県野洲市・天王山古墳

2017-01-14 05:55:19 | Weblog
滋賀県野洲市小篠原桜生の桜生史跡公園内にあります。
国道8号線沿いです。
古墳は丘陵を利用(整形)して造られているため、盛土が少ないという特徴があります。

全長50m、 後円部径26m・高さ8m、 前方部先端幅25m・高さ6.5m バチ形の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。
前方部頂の標高119.9m、後円部の標高119.2mと前方部がわずかに高くなっています。


                        (奥が後円部)


                         (後円部)


                        (奥が前方部)



                         (前方部)


             (後円部斜面にある石室の石材の一部とみられる巨石)

墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったものとみられます。

1987年に発掘調査が行われています。
後円部から埋葬主体は見つかっていません。
ただ前方部で、西に入り口を持つ小さな右片袖型横穴式石室(長さ4.3m、玄室の長さ2.9m・幅1.0m)が見つかっています。
板石状の花崗岩を積み重ねて築かれています。
羨道は狭くて短く(長さ1.4m)、小石を積み上げて入り口を閉じています。
明治18年(1885年)の文書によると、朱や勾玉・管玉が出土したそうですが、出土場所は不明です。
後円部盛土内からは須恵器や土師器、斜格子文をもつ韓式土器や器面に波状文と突帯、円形浮文を施した韓式器台片などが出土しています。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀初頭前後と推定されています。

大岩山古墳群の中の1基として国の史跡に指定されています。


「大岩山古墳群」
合計8基からなる古墳群です。
昭和16年(1941年)12月13日に、「丸山古墳」と「甲山古墳」が国の史跡に指定されました。
昭和60年(1985年)2月に「大岩山古墳群」と名称が改められ、新たに「冨波古墳」「古冨波山古墳」「大塚山古墳」「亀塚古墳」「天王山古墳」「宮山2号墳」の計6基が追加指定されました。
その内の「丸山古墳」と「甲山古墳」、「天王山古墳」の3基が国道8号線脇に「桜生(さくらばさま)史跡公園」として整備され、2001年11月3日から公開されています。
天王山古墳はこの古墳群中唯一の前方後円墳です。

滋賀県野洲市・越前塚(こしまえづか)古墳

2017-01-14 05:27:19 | Weblog
滋賀県野洲市小篠原、妙光寺山の北西先端部の独立丘陵上にあります。
国道8号線、野洲駅口交差点の東側丘陵上です。

全長52.5m、 後円部径30m・高さ4.7m、 前方部先端幅25m・高さ3.5m  の前方後円墳です。
前方部を北東方向に向けています。


                  (後円部から前方部を見ています)

                  (後円部から前方部を見ています)

                  (後円部から前方部を見ています)



                      (奥が後円部)

墳丘には葺石が施されています。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

後円部中央にある埋葬施設は、右片袖型横穴式石室です。
石室は全長7.72m、 羨道の長さ2.4m・幅1.2~1.35m・高さ1.6m、 玄室の長さ5.25m・幅3m・高さ2.3m の単室構造です。
北方向に開口しています。
後円部墳頂付近から石室内(玄室の奥壁部分)に入れたようですが、訪ねた時は後円部にそのような開口部は見当たりませんでした。


古墳時代後期・5世紀末から6世紀初頭頃の築造と推定されています。

野洲市の史跡に指定されています。

滋賀県近江八幡市・安土瓢箪山古墳

2017-01-07 06:30:48 | Weblog
滋賀県近江八幡市安土町桑実寺の尾根先端にあります。
織田信長の居城、安土城からそう遠くないところです。






                       (後円部墳頂)


                        (前方部)


全長162m、 後円部径90m・高さ18m、 前方部幅70m・高さ14m  の前方後円墳です。
前方部を北西方向に向けています。
滋賀県内最大級の規模です。

墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や特殊円筒埴輪・壺形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
墳丘の周りに周濠はありません。

昭和10年、土取り作業中に石棺が見つかり、それをうけて京都大学により発掘調査が行われました。
主体部が五つ確認されています。
後円部中央にある埋葬施設は、安山岩でつくられた竪穴式石室(全長6.6m・幅1.1~1.3m・高さ1.08m)で、割竹形木棺が収められていました。

中国製キ鳳鏡・倭製二神二獣鏡・石釧・車輪石・鍬形石・管玉23・筒形銅器2・鉄刀3・鉄剣14・刀子5・柳葉銅鏃30・鉄鏃23・鎌3・鍬・ヤリガンナ・短甲・異形鉄器 などが出土しています。

後円部頂北西よりにある埋葬施設は、竪穴式石室に割竹形木棺が収められていました。
石英の粗面岩で造られていて、全長6.9m・幅0.8~1m・高さ0.9m あり、鉄刀などが出土しています。

後円部頂南東よりにある埋葬施設は、竪穴式石室に割竹形木棺が収められていました。
石英粗面岩と砂岩で造られていて、全長5.7m・幅0.75m あり、斧・刀子などが出土しています。

前方部北側には箱形石棺が埋葬されていました。
碧玉製管玉・ガラス製小玉・琥珀製勾玉・琥珀製丸玉・石釧 などが出土しています。

前方部南側には箱式石棺が埋葬されていました。

古墳時代前期・4世紀中頃の築造と推定されています。

昭和32年7月1日、国の史跡に指定されています。

滋賀県近江八幡市・供養塚古墳

2017-01-07 05:07:41 | Weblog
滋賀県近江八幡市千僧供町の平地にあります。
「黒山塚古墳」と呼ばれることもあります。
寛文年間(1661~1672)に発見された古墳です。













全長53m、 後円部径39m・高さ2m、 前方部幅25m・高さ?m  帆立貝形の前方後円墳です。

後円部東側に造り出し(奥行き4m、幅7.4m)があります。
墳丘の周りには幅9mの馬蹄形をした周濠があります。
その外側には周堤があります。
墳丘には30㎝~40㎝大の葺石が施されています。

主体部が後円部に二つ確認されています。
中心主体は竪穴式石室です。
鏡・鉄刀・水晶 などが出土しています。
昭和8年(1933年)の発掘で、後円部にある小石室から横矧板鋲留短甲・鉄刀・鉄剣 などが出土しています。
これらは近江八幡市の文化財に指定されています。
昭和57年(1982年)度の発掘調査で、帆立貝形の前方後円墳であることが確認されました。
円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋形埴輪、靱形埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
西側くびれ部周辺からは、繖(きぬがさ)・馬・人物 などの形象埴輪が出土しています。
造り出し部やその対岸の周堤近くの底部からは繖・靱・家(8棟以上)・馬・鶏・人物(武人・巫女)などの埴輪が出土しています。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。

この供養塚古墳を含む千僧供(せんぞく)古墳群は、昭和59年3月30日一括して滋賀県の史跡に指定されています。