古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

岡山県総社市・秦茶臼山古墳

2010-08-28 08:44:48 | Weblog
岡山県総社市秦南山にあります。
金子大池の南です。
墳丘は大きく損傷を受けています。

全長38m、 後円部径12.6m・高さ?m、 前方部幅16.6m・高さ?m の前方後円墳です。

墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
造り出しはありません。

1988年発掘調査が行われています。
後円部頂にある埋葬施設は竪穴式石室です。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
資料が少なく、築造時期など詳しいことはわかっていません。

後円部は平坦に削られていて、墓地になっています。
墓地の隅には台座に座る弘法大師?(誰なのか知識がなく、はっきりわかりません)像が、ひときわ目立っていました。






岡山県総社市・砂子山1号墳

2010-08-28 08:13:48 | Weblog
岡山県総社市山田古町の丘陵尾根上にあります。
古町1号墳と呼ばれることもあります。
総社市西公民館山田分館横の小高い山の中です。
墳丘は損傷を受けています。

全長52m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

1961年発掘調査が行われています。
埋葬施設は竪穴式石室(全長2.5m、幅0.85~1m、高さ1m)です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
造り出しはありません。

出土品や築造時期など詳しいことは、資料が少なくはっきりしていません。

砂子山(サゴヤマ)古墳群(前方後円墳3基、円墳1基)を構成しています。

この古墳を訪ねるのに、何人かの人に場所を尋ねまわりましたが、誰一人ご存知の方がなくあきらめて帰るところでした。
帰り際たまたま公民館に来られた年配の女性の方に聞いてみたところ、ご主人が知っているとのことでわざわざ連絡をしてくださいました。
ご主人も親切な方で、道なき山の傾斜を10数分案内していただき、ようやくたどり着くことができました。
親切なご夫婦のおかげで観察することができ、ただただ感謝するのみです。
古墳の周りは雑木林等で覆われ、その形状は確認できませんでした。
わずかに墳丘の高まりと、石室の開口部が見れただけです。
石室の中には入れるようですが、訪ねた時は落ち葉などがたまっていて無理な状態でした。






大阪府羽曳野市・古市墓山古墳

2010-08-21 08:21:01 | Weblog
大阪府羽曳野市白鳥3丁目にあります。
羽曳野市役所の駐車場西側です。
宮内庁が、「第15代応神天皇恵我藻伏崗陵ほ号陪冢」として管理しています。

全長225m、 後円部径135m・高さ20.7m、 前方部幅153m・高さ19.3m 三段構築の前方後円墳です。
全国で23番目の大きさを誇る巨大古墳です。

墳丘の周りには、幅15mほどの今も水を湛えた周濠があります。
くびれ部の両側に造り出しがあります。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪、朝顔形埴輪、靭形埴輪、楯形埴輪、家形埴輪、人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1976年に調査が行われています。
後円部頂にある埋葬施設は竪穴式石室で、竜山石製の長持型石棺が確認されています。
滑石製勾玉などが出土しています。
周辺には陪塚と思われる4基の方墳があり、大量の鉄製武器、武具、農工具などが出土しています。

築造時期は埴輪や石棺の特徴から、古墳時代中期の5世紀前半ころと推定されています。
近くにある応神天皇陵よりは古く、仲津姫陵よりは新しいようです。
古市古墳群を構成していて、古墳群内5番目の大きさです。
一部、住宅で観察しにくい所もあります。




   (後円部より前方部を見ています)


   ( 後 円 部 )

大阪府羽曳野市・峯ケ塚古墳

2010-08-14 08:34:56 | Weblog
大阪府羽曳野市軽里2丁目の段丘東縁舌状地にあります。

全長98m、 後円部径56m・高さ9m、 前方部幅74.4m・高さ10.5m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘北側に造り出しがあります。
同じく北側に二重の濠(幅約7.2~9.2mと幅約20m)と堤(幅約10m)が確認されていて、墳丘の周りには周濠があったようです。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1992年後円部にある主体部の発掘調査が行われています。
埋葬施設は竪穴式石室で、刳抜式石棺(熊本県宇土産のピンク色をした阿蘇凝灰岩製)が納められていました。
石室は、全長4.5m・幅2m・高さ1.8mあり、安山岩亜角礫で造られているそうです。
出土したものとして大刀などの武器、武具、馬具、装飾品など3000点にも上るそうです。
なかでも「銀製三叉垂飾り」は、他に出土例がないものだそうです。
大刀15本以上、刀子、碧玉製管玉、ガラス製玉、滑石製勾玉、銅製鈴、金銅製歩揺ほか多岐にわたっています。

出土物などから、5世紀末から6世紀初頭ころの築造と推定されています。
副葬品の数やこの時代の古墳の規模から、大王かそれに匹敵する人物の墓と考えられています。

明治13年、すぐ西にある「前の山古墳」が白鳥陵に治定されるまでは、この古墳が「日本武尊・白鳥陵」とされていたようです。
古市古墳群を構成しています。




大阪府羽曳野市・小白髪山古墳

2010-08-14 08:17:13 | Weblog
大阪府羽曳野市西浦1丁目にあります。
宮内庁が、「第22代清寧天皇河内坂門原陵い号陪冢」として管理しています。
主軸線が清寧陵古墳と同一線上にあります。

全長47m、 後円部径24m(現在は22m)・高さ4.8m、 前方部幅23m・高さ4.5m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘の周りには幅約10m、深さ1m以上の周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

出土した埴輪が、清寧陵古墳の埴輪と同じ特徴を持っていることから、古墳時代後期・6世紀前半ころの築造と推定されています。

古市古墳群を構成しています。
清寧陵古墳とこの古墳は、古市古墳群の中で最後に造られたもので、古墳群の南端にあります。






大阪府羽曳野市・高屋城山古墳

2010-08-07 08:50:45 | Weblog
大阪府羽曳野市古市5丁目にあります。
近鉄南大阪線・古市駅前の国道170号線を左折、踏切を渡ってすぐ左側(古市駅の南側)にあります。
墳丘は、室町時代に城郭の一部として利用されたため、変形しています。
宮内庁が、「第27代安閑天皇古市高屋丘陵・継体天皇皇女神前皇女墓」として管理しています。

全長122m、 後円部径78m・高さ13m、 前方部幅100m・高さ12.5m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘の周りには幅15mほどの周濠があります。
特筆されるのは、北西隅が直角になっていることです。
そのことから「片直式」の古墳と呼ばれています。
築造当時からこうだったのか解っていません。
造り出しの有無や葺き石が施されていたかは、はっきりしていません。

資料が少なくてはっきりしたことはわかっていませんが、古墳時代後期・6世紀前半ころの築造と推定されています。
東京国立博物館には、この古墳から出土したと伝わるペルシャ製のガラス碗(正倉院の御物と同種)が保管されています。
古市古墳群を構成しています。




大阪府羽曳野市・白鳥神社古墳

2010-08-07 08:24:58 | Weblog
大阪府羽曳野市古市1-1にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
前方部は国道170号線や近鉄南大阪線・古市駅で削られています。
後円部には白鳥神社が建っています。

全長120m、 後円部径65m・高さ?m、 前方部幅70m・高さ?m の前方後円墳です。

前方部の端と想定されるところから、円筒埴輪、楯・家・衣蓋などの埴輪片が出土しています。
しかしその周辺の調査では、前方後円墳とする根拠が見つかっていないようです。
そのため古墳ではないのでは?との説もあるようです。
資料が不足していてはっきりしたことは判っていません。
前方部が後円部より発達していることから、古墳時代後期の築造と推定されています。


「白鳥神社」
古市の氏神。
1596年慶長大地震の際、峰ケ塚古墳に祭られていた祠が倒壊したため、江戸時代の寛永末期に今の地に移されました。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と須佐之男命(スサノオノミコト)・・・天照大神の弟で、天岩戸を開いたり、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで有名・・・を祭神としています。
10月の祭りには、古市の各町から地車(だんじり)が繰り出し、勇壮な宮入りで知られています。