古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県西都市・西都原古墳群227号墳

2010-05-29 08:46:12 | Weblog
宮崎県西都市三宅尾筋東上の台地上にあります。
前方部を南東に向けています。
226号墳の前方部すぐにあります。

全長47m、 後円部径25m・高さ4.6m、 前方部幅19m・高さ3.1m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

一部損傷を受けています。
墳丘に登ることができます。
尾筋支群を構成しています。


   (前方部から後円部を望む)


   (後円部から前方部をのぞむ)


宮崎県西都市・西都原古墳群226号墳

2010-05-29 08:32:07 | Weblog
宮崎県西都市三宅尾筋東上の台地上にあります。
前方部を南に向けています。
225号墳のすぐ南の道路沿いにあります。
上記写真は227号墳の後円部から撮ったものです。

全長51m、 後円部径25m・高さ3.8m、 前方部幅21m・高さ2.5m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

一部損傷を受けているものの、ほぼ良好な状態で残っています。
墳丘にも登ることができます。
尾筋支群を構成しています。




   (手前が前方部)


   (手前が後円部)

宮崎県西都市・西都原古墳群225号墳

2010-05-29 08:16:15 | Weblog
宮崎県西都市三宅尾筋東上の台地上にあります。
前方部を南に向けています。

全長74m、 後円部径45m・高さ6.4m、 前方部幅23m・高さ2.3m 柄鏡式の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。
墳丘は一部損傷を受けています。

尾筋支群に属していて、その一番北(国分寺跡の南)にあります。
住宅に囲まれているため、墳丘の全体像を観察するのは容易ではありません。

尾筋支群は、西都原台地の南に延びる中間台地上の先端近くにあり、鷺田支群の南になります。
前方後円墳5基、円墳13基があります。






   (227号墳から見た後円部)

宮崎県西都市・西都原古墳群218号墳

2010-05-22 08:37:45 | Weblog
宮崎県西都市右松鷺田の台地上にあります。
宮崎県立妻高等学校のグラウンド東南角近くです。
前方部を南に向けています。
上記写真奥の建物は、妻高校の体育館と校舎です。前方部から後円部を見ています。

全長31m、 後円部径16m・高さ2.9m、 前方部幅11m・高さ3.6m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。
墳丘は一部損傷を受けています。

鷺田支群に属しています。

古墳傍の住人の方の好意で、庭を通らせていただいて、急な墳丘に登ることができました。


   (前方部から後円部を望む)


   (後円部から前方部を望む)


   (後円部)

宮崎県西都市・西都原古墳群212号墳

2010-05-22 08:13:49 | Weblog
宮崎県西都市右松鷺田の台地上にあります。
毘沙門塚古墳とも呼ばれています。
宮崎県立妻高等学校の正門横を北へすぐです。
前方部を南に向けています。
上記写真、左側木が生い茂っている所が後円部で右が前方部です。

全長51m、 後円部径29m・高さ3.8m、 前方部幅17m・高さ2.3m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

鷺田支群に属しています。
鷺田支群は、西都市街地と西都原台地の中間台地上にあり、妻高校や国分寺跡周辺に前方後円墳2基、円墳13基があります。因みに妻高校は国分尼寺の跡にあります。






   (左奥の茂みが後円部、手前が前方部です。)

宮崎県西都市・西都原古墳群190号墳(187号墳)

2010-05-15 08:24:44 | Weblog
宮崎県西都市三宅寺原の台地上にあります。
寺原集落の一角です。
前方部を南西に向けています。

全長42.5m、 後円部径22m・高さ2.6m、 前方部幅10m・高さ2.2m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

墳丘は、寺原集落を抜ける道路によって、くびれ部で切断されています。
切断された前方部が西都原古墳群187号墳、後円部が190号墳となっています。

寺原第二支群に属しています。

寺原第二支群は寺原集落にあり、前方後円墳1基、円墳12基があります。
西都原台地の西端にあり、寺原第一支群の少し南側です。


   (前方部から後円部を望む)


   (後円部から前方部を望む)


   (切断された右側が前方部、左側が後円部)

宮崎県西都市・西都原古墳群176号墳

2010-05-15 08:12:15 | Weblog
宮崎県西都市三宅寺原の台地上にあります。
174号墳の南側です。
前方部を北に向けています。

全長38m、 後円部径24m・高さ2m、 前方部幅10m・高さ1.1m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

墳丘は一部損傷を受けています。
西都原古墳群の中では、一番小さな前方後円墳です。
これが前方後円墳と一見しただけでは判らない(特に夏場草が生い茂っているときは...)くらいです。

寺原第一支群に属しています。






宮崎県西都市・西都原古墳群174号墳

2010-05-08 08:34:38 | Weblog
宮崎県西都市三宅寺原の台地上にあります。
173号墳のすぐ南側です。
西都原古墳群で二番目に高い所にある古墳です。
前方部を北に向けていて、173号墳を見上げる格好です。
上記写真にある、小さな筒状のもの(3個)は蜂蜜を採るための巣箱です。

全長70m、 後円部径45m・高さ8m、 前方部幅27m・高さ6.2m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

西都原古墳群の古墳は整備・保存状態が極めてよく、墳丘の形を一目で確認することができます。
そんな中にあって唯一この古墳だけが雑木林に覆われ、全体像を確認することができません。

寺原第一支群を構成しています。


   (後円部)


   (くびれ部)


   (前方部)

宮崎県西都市・西都原古墳群173号墳

2010-05-08 08:11:39 | Weblog
宮崎県西都市三宅寺原の台地上にあります。
西都原台地より一段高い、標高90mの丘陵上です。
西都原古墳群で一番高い場所にある古墳で、男狭穂塚・女狭穂塚古墳を見下ろす高台です。
前方部を南に向けています。

全長43m、 後円部径27m・高さ4m、前方部幅12m・高さ2m 柄鏡式の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

100号墳と相似形をしていることで知られ、100号墳を造った勢力との関係が注目されています。
平成12年~13年にかけて発掘調査が行われています。
高杯の脚部のほかは、ほとんど何も出土しなかったそうです。

西都原台地の西端にある寺原第一支群(前方後円墳3基、円墳12基)を構成しています。






宮崎県西都市・西都原古墳群265号墳

2010-05-01 08:24:48 | Weblog
宮崎県西都市童子丸新立の台地上にあります。
船塚古墳とも呼ばれています。
第三古墳群唯一の前方後円墳で、台地北端にあります。
前方部を西北西に向けています。

全長58m、 後円部径34m・高さ5.9m、 前方部幅38m・高さ5.85m 二段構築の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。
墳丘の周りには周溝があります。

第6次調査(大正6年1月5日~6日)が濱田耕作、梅原末治、原勝郎、原田淑人らによって行われています。
倭製十文字四獣鏡(銅鏡)、碧玉製管玉、鉄刀、鉄矛、鉄鏃、刀子、須恵器(杯・堤瓶)などが出土しています。
そのほか特筆される出土品として麻布片があります。
埋葬施設がどんなものだったのかは不明です。
この古墳の築造時期は、出土品や墳形の特徴(前方部と後円部の高さがほぼ同じ)から、6世紀後半ころと推定されています。




   (手前が前方部)

第三古墳群は西都原台地の北側にあり、前方後円墳1基と円墳85基があります。
西都原古墳群の中では比較的新しい集団で、円墳が群をなして造られるのは古墳時代後期の特徴です。
第三古墳群の南端にある111号円墳(径28m)の墳丘の下から、昭和31年に南九州独特の「地下式横穴墓」が発見されています。
「西都原地下式4号墳」と命名されています。
玄室の床面は地表下約2.7mにあり、奥行き5.5m・幅2.2m・高さ1.7mもあります。
111号墳の墳丘真下になります。
屋根型の天井と壁面には朱が塗られ、内部からは鉄製短甲3・直刀5振・鉄鏃1束(約50本)・珠文鏡(銅鏡)1・玉類などが発見されています。
5世紀後半ころのものだと推定されています。
現在すぐそばに観察用の建物が建てられ、内部のCCDカメラを手元で操作して中の様子が確認できるようになっています。


(建物と111号円墳・建物左側に横穴墓の入口があります。)