古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

熊本県氷川町・端ノ城古墳

2007-04-28 14:18:40 | Weblog
熊本県氷川町野津上北山王・氷川右岸の丘陵地(旧竜北町の野津古墳群南端)にあります。
全長66m、 後円部径40m・高さ6.9m、 前方部幅42.5m・高さ7.5m の前方後円墳です。
墳丘の周りには、盾形をした周濠があります。
円筒埴輪や鶏形埴輪、馬形埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていたようです。また葺石も施されていました。
1990年に発掘調査が行われています。その結果、後円部にある埋葬施設は、横穴式石室で家型石棺が収められていたそうです。鉄製品やガラス製玉などが出土したそうです。
古墳時代後期6世紀頃の築造と推定されています。
古墳は、墳丘全体が公園化されています。


「野津古墳群」
八代平野を見下ろす、氷川右岸の丘陵(旧竜北町)にある、前方後円墳5基(1基は消滅)からなる古墳群です。
これらの古墳はいずれも6世紀頃の築造と推定されています。
この時期、長さ100m近い前方後円墳が集中して作られるのは、全国的に非常に珍しいといわれています。
この地に勢力をもっていた「火の君」一族の墓と見られています。
古墳群全体が、熊本県の史跡に指定されています。


熊本県和水町・塚坊主古墳

2007-04-21 14:40:06 | Weblog
熊本県玉名郡和水町江田清原の「肥後古代の森」の中にあります。
全長44.0m、 後円部径30.0m・高さ5.0m、 前方部幅21.3m・高さ1.0m の前方後円墳です。国の指定史跡になっています。
墳丘の周りには空堀となっている前方後円形をした周濠があります。
6世紀初頭の築造と推定されています。ただ墳丘は破壊されていて、現在残っているのは復元されたものです。
平成2年度の石室調査で、石屋形内壁に赤と白色で描かれた三角幾何学紋が見つかりました。菊池川流域の装飾古墳の源流を知る上での、貴重な資料となっているそうです。
また埋葬施設は横穴式石室で、家型石棺が収められていて、多数の副葬品が出土しています。倭製四獣形鏡・直刀・矛・鉄鏃・鉄鉾・純金製及び銀製耳環各1対・小玉・くつわなどがありました。このほかに以前の調査で、石枕鳥状埴輪が出土しているそうです。
近くには駐車場もあり、どこからでも観察することができます。

「肥後古代の森」
古墳や遺跡などを広域的に保存し、その環境整備を図ることを目的とした文化庁の構想をもとに、山鹿市、旧鹿央町(現山鹿市)、旧菊水町(現和水町)の3地区で整備が進められているものだそうです。今までに紹介してきた古墳の中で、山鹿地区にはチブサン古墳が、鹿央地区には岩原双子塚古墳が、菊水地区には江田船山古墳などがあります。


熊本県和水町・虚空蔵塚古墳

2007-04-14 16:27:44 | Weblog
熊本県玉名郡和水町江田清原平の「肥後古代の森」の中にあります。
全長44.5m、 後円部径32.0m・高さ7.0m、 前方部幅27.0m・高さ 不明
帆立貝式の前方後円墳です。国の史跡になっています。
昭和50年度と56年度の2回の調査で、帆立貝式とわかりました。
墳丘の周りには、今は空堀となっている馬蹄形をした周濠があります。
周濠からは、円筒埴輪や人物埴輪が出土していて、墳丘には埴輪の配列がなされていたようです。
墳丘は破壊されましたが、現在は復元されています。
この古墳は、古墳時代後期の築造と推定されています。
なおこの古墳の名前の由来は、かって墳頂に虚空蔵菩薩が祭られていたからだそうです。
古墳はどこからでも観察することができます。

熊本県和水町・江田船山古墳

2007-04-07 13:57:40 | Weblog
熊本県玉名郡和水町大久保原の「肥後古代の森」の中にあります。
全長61.0m、後円部径41.0m・高さ10.0m、 前方部幅40.0m・高さ7.5m 三段構築の前方後円墳です。国の指定史跡になっています。
墳丘の周りには空堀となっている盾形をした周濠があり、その外側には周庭があります。また両方のくびれ部には造り出しがあります。
5世紀後半から6世紀初頭の築造と推定されています。その形は日本一の巨大古墳、大阪・堺市の仁徳天皇陵と同じだそうです。
この古墳は明治6年(1873)、家型石棺が池田佐十氏により発掘されました。
その名が全国に知れ渡ったのは、なんといっても当時日本最古の文字とされた、75文字の刻まれた銀象嵌銘大刀をはじめ、沢山の副葬品が出土したからです。200余点が一括して国宝に指定され、東京国立博物館に保存されているそうです。
主な出土品は、先の大刀をはじめ、金銅製冠帽・純金製耳飾2対・銅鏡6面・金銅製冠・くつわ・あぶみ・金銅製くつ・太刀・剣 等々多数にわたっています。
銀象嵌銘大刀の75文字は、峯に銀で象嵌されており、刀身の根元にはペガサス(伝馬)と菊花紋が、またその反対面には魚形と鳥形の紋様があるそうです。
75文字は 「ワカタケル大王の世に、ムリテが奉じ、80たび練り、90たび打って造ったこと、この刀を所持する人は子孫繁栄、またひとの恩を得る。作ったものの名は伊太、書したのは張安」 というような意味のことが記されているそうです。
公園内には、肥後民家村や石人の丘、資料館、交流広場などもあり、一体化した大歴史ゾーンができています。
九州自動車道・菊水インターから近く、公園内には駐車場もあります。
古墳はどこからでも観察できます。