古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

大分県豊後大野市・重政古墳

2007-06-30 16:32:24 | Weblog
大分県豊後大野市三重町内田久知良重政の台地先端にあります。
全長54m、 後円部幅25m・高さ4m、 前方部幅16m・高さ1.5m の前方後円墳です。
明確な造り出し部は設置されていなかったようです。
墳丘には葺石が施こされていました。
1988年に発掘調査が行われていて、壷形埴輪などが採集されているそうです。
三重中学校のグラウンド横にあり、はぼ完全な状態で保存されています。
古墳時代中期頃の築造と推定されています。
大分県の指定史跡になっています。

大分県豊後大野市・秋葉鬼塚古墳

2007-06-30 16:20:38 | Weblog
大分県豊後大野市三重町秋葉鬼塚の台地先端にあります。
全長45m、 後円部径24m・高さ3m、 前方部幅16m・高さ2m の前方後円墳です。
明確な造り出しは設置されていなかったようです。
墳丘には葺石が施されていました。
1988年に発掘調査が行われています。

この古墳については、地元の方数人に尋ね回りました。
が なかなかその所在がわからず、挙句いちばん最初に尋ねた場所の、すぐ脇の小高い林の中にありました。
大分県の指定史跡になっています。

大分県竹田市・七ツ森C号墳

2007-06-23 14:39:50 | Weblog
大分県竹田市菅生の国道57号線南側の台地端にあります。
竹田市の中心部を、しばらく熊本県阿蘇市方向へ抜けた台地上にあります。
七ツ森3号墳と呼ばれることもあります。
全長53m、 後円部径31m・高さ?m、 前方部幅12m・高さ?m の柄鏡式前方後円墳です。
明確な造り出し部は設置されていなかったようです。
七ツ森B号墳の東側に隣接しています。
1988年に発掘調査が行われています。
埋葬施設は箱形石棺が使われていて、鏡などが出土したそうです。
国の史跡に指定されています。

大分県竹田市・七ツ森B号墳

2007-06-23 14:26:45 | Weblog
大分県竹田市菅生の国道57号線南側の台地端にあります。
七ツ森2号墳と呼ばれることもあります。
全長51m、 後円部径28m・高さ6m、 前方部幅8m・高さ3m の柄鏡式前方後円墳です。主軸をほぼ東西に取っています。
後円部の中央で主軸と同じ方向に組合式石棺1基が発見されています。
一体の成人男子の遺骸が納められていたそうです。
垂玉類・碧玉製釧・鹿角装刀子などの副葬品が発見されています。
特に碧玉製釧は、九州では出土例が極めて少ないものだそうです。しかも破砕されて、遺骸付近に撒き散らされた状態で発見されたそうです。
この古墳は、墳形、石棺の構造、出土品などから、古墳時代前期のものと推定されています。
豊肥地区における、最古の畿内型古墳と考えられています。
七ツ森古墳群を形成しています。
昭和34年5月13日、国の史跡に指定されています。
側には立派な駐車場もあり、どこからでも観察できます。


史跡 「七ツ森古墳群」

この古墳群は名前が示すように、もともと7基の古墳があったそうですが、現在は円墳2基と柄鏡式前方後円墳2基が東西に並んで残っているだけです。
この古墳群は、豊肥地区で最古の畿内型古墳と考えられていて、この地域の古代文化を研究する上で、大変重要視されています。
国の史跡に指定されています。

大分県宇佐市・鶴見古墳

2007-06-16 13:55:38 | Weblog
大分県宇佐市川部鶴見の「宇佐風土記の丘」公園内にあります。
全長31m、 後円部径21m・高さ3m、 前方部幅17m・高さ2m の前方後円墳です。
後円部に比べ、前方部が極端に短く、広い幅を持つ特徴があります。
造り出し部が設けられています。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
墳丘の周りには、前方後円形をした3m~5.6mの周濠があります。
埴輪の出土はなく、墳丘には埴輪の配列はなかったものと見られます。
昭和48年に発掘調査が行われています。
内部主体は、奥行き2.8m、幅2m、天井高2.5mの、くびれ部方向に入り口を持つ、片袖式の横穴式石室です。
ガラス製小玉・銅釧・耳飾・鉄族・刀子・土師器・須恵器などが出土しています。
石室内部は見学できるようになっています。
この古墳の築造時期は、6世紀中頃と推定されています。
宇佐風土記の丘で、最後に造られた前方後円墳です。
国の指定史跡になっています。

大分県宇佐市・角房古墳

2007-06-16 13:35:48 | Weblog
大分県宇佐市高森角房の「宇佐風土記の丘」公園内にあります。
全長46m、 後円部径30m・高さ4m、 前方部幅18m・高さ?m の前方部を西北に向けた前方後円墳です。駅館川に直面しています。
墳丘には葺石がが施されていました。
造り出し部は設けられていなかったようです。
墳丘の周りには、幅7m~12mの空濠があります。
埴輪の出土がなく、墳丘には埴輪の配列はなされていなかったようです。
埋葬主体は未調査のため不明です。
古墳は一部破壊されていて、今は円墳のように見えます。
福勝寺古墳や車坂古墳に次いで築造されたものと見られています。
国の指定史跡になっています。

大分県宇佐市・車坂古墳

2007-06-09 14:22:12 | Weblog
大分県宇佐市高森車坂の「宇佐風土記の丘」公園内にあります。
全長58m、 後円部径36m・高さ4.5m、 前方部幅21m・高さ3.5m の前方部を東に向けた前方後円墳です。
墳丘には葺石が施されていました。
造り出し部は設けられていなかったようです。
墳丘の周りには、幅11m~22mほどの空濠があります。ただ古墳北側は駅館川の河谷に接するため、濠は造られていません。
埴輪の出土がなく、墳丘には埴輪の配列はなかったようです。
埋葬主体部は未調査に付不明です。
福勝寺古墳についで築造されたものと見られています。
古墳のすぐ横に、地蔵堂古墳と呼ばれる小円墳があります。
国の指定史跡になっています。 

大分県宇佐市・福勝寺古墳

2007-06-09 14:09:12 | Weblog
大分県宇佐市川部福勝寺の「宇佐風土記の丘」公園内にあります。
全長78m、 後円部径54m・高さ7.5m、 前方部幅22m・高さ3.5m の前方部を東に向けた、三段構築の柄鏡式前方後円墳です。
墳丘には葺石が施されていました。
奥行8m程の低い造り出し部が設けられています。
墳丘の周りの周溝はありません。
春日山古墳とも呼ばれ、風土記の丘公園内で最も大きく、大分県内でも4番目の規模です。
駅館川をはさんで、宇佐平野を見下ろす位置にあります。
未調査に付、内部主体は不明です。
赤塚古墳、免ケ平古墳に次ぐ5世紀前半頃の築造と推定されています。
国の指定史跡になっています。

大分県宇佐市・免ケ平古墳

2007-06-02 13:21:00 | Weblog
大分県宇佐市川部免ケ平の「宇佐風土記の丘」公園内にあります。
全長52.5m、 後円部径30.5m・高さ4m、 前方部幅16m・高さ3m の前方後円墳です。ただ現在前方部は消滅しています。
墳丘の周りには盾形をした空濠があります。墳丘には葺石が施されていました。
造り出し部は設けられていなかったようです。
又埴輪の出土はなく、墳丘には埴輪の配列はなかったものと見られています。
1972年に発掘調査が行われています。主体部は2つ確認されています。
後円部中央の第1主体は、安山岩で造られた竪穴式石室で、割竹形木棺が納められていました。中国製斜縁二神二獣鏡・倭製三角縁三神三獣鏡・硬玉製勾玉・ガラス製玉・鉄剣・鉄槍・鎌・ヤリガンナ・斧・刀子などが出土しました。
後円部南寄りの第2主体には、箱形石棺が収められていました。中国製斜縁二神二獣鏡・硬玉製勾玉・碧玉製管玉・石釧・刀子などが出土しました。また若い女性の人骨も見つかっています。
4世紀後半頃の築造と推定されていて、赤塚古墳に続いて造られたものと見られています。
国の指定史跡になっています。