古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県高鍋町・高鍋古墳60号墳

2012-03-31 08:19:58 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋水谷原の台地端にあります。
墳丘は損傷を受けています。
水谷原7号墳とも呼ばれています。
28号墳の西すぐです。

全長25m、 後円部径12.7m・高さ3.6m、 前方部先端幅7.5m・高さ0.7m の前方後円墳です。

資料が少なく、築造時期など詳しいことは不明です。

水谷原古墳群(前方後円墳3基、円墳11基)を構成しています。

台地端にあって、杉林や雑木林、竹林などで一部からしか観察できません。






宮崎県高鍋町・高鍋古墳55号墳

2012-03-31 08:04:09 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町上江山王の段丘上にあります。
墳丘は損傷を受けています。
山王(さんのう)9号墳とも呼ばれています。
51号墳の南側です。

全長29m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m、 の前方後円墳です。

資料がほとんどなく、築造時期を含め詳しいことは不明です。

山王古墳群(前方後円墳3基、円墳9基)を構成しています。

どこからでも観察できます。






宮崎県高鍋町・高鍋古墳51号墳

2012-03-24 08:22:25 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町上江山王の段丘上にあります。
墳丘は損傷を受けています。
山王(さんのう)5号墳とも呼ばれています。
47号墳のすぐ南側で周りは畑地です。
上記写真、奥の鉄塔脇にあるのが47号墳です。

全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

資料がほとんどなく、築造時期を含め詳しいことは不明です。

山王古墳群(前方後円墳3基・円墳9基)を構成しています。

どこからでも観察できます。
墳丘上は47号墳同様墓地になっています。




         ( 後 円 部 )

宮崎県高鍋町・高鍋古墳47号墳

2012-03-24 08:04:50 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町上江山王の段丘上にあります。
墳丘は損傷を受けています。
山王(さんのう)1号墳とも呼ばれています。
周りは畑地です。

全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。

資料がほとんどなく、築造時期など詳しいことは不明です。

山王古墳群を構成しています。
小丸川右岸(南岸)の標高20mほどの段丘上に、前方後円墳3基・円墳9基が残っています。
水谷原古墳群や牛牧古墳群のある台地よりは、一段低い所です。

どこからでも観察できます。
ただ墳丘上は墓地になっていて、前方部脇には送電用の大きな鉄塔が建っています。






         ( 後 円 部 )

宮崎県高鍋町・高鍋古墳41号墳

2012-03-17 08:24:07 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町上江北牛牧の段丘上にあります。
墳丘は一部損傷を受けていますが、ほぼ良好な状態で残っています。
牛牧(うしまき)10号墳とも呼ばれています。
37号墳とはそんなに離れていません。

全長44.3m、 後円部径?m・高さ?m、前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

墳丘には葺き石が施されています。
埴輪の出土は不明で、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
資料がほとんどなく、築造時期を含め詳しいことは不明です。

ほぼどこからでも観察できますが、墳丘上は杉の木が、また周りは竹林になっています。
牛牧古墳群(前方後円墳2基を含む14基)を構成しています。






宮崎県高鍋町・高鍋古墳37号墳

2012-03-17 08:04:24 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町上江北牛牧の段丘上にあります。
墳丘は大きく損傷を受けていて後円部が残るのみです。

全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

資料がほとんどなく、築造時期を含め詳しいことは不明です。

ほぼどこからでも観察できますが、辿り着くまでが大変で畑と竹藪の境界付近を、畑の持ち主の方の了解を得て苦労して進みました。

牛牧古墳群(前方後円墳2基を含む14基)を構成しています。






宮崎県高鍋町・高鍋古墳28号墳

2012-03-10 08:31:11 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋水谷原の日向灘を望む台地端にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
水谷原6号墳とも呼ばれています。

全長23m、 後円部径14m・高さ2m、 前方部先端幅2.5m・高さ0.7m  の前方後円墳です。
前方部を東に向けています。

資料が少なく、築造時期など詳しいことは不明です。

竹林や農業用ハウス等で観察はあまり良くできません。
水谷原古墳群を構成しています。






宮崎県高鍋町・高鍋古墳26号墳

2012-03-10 08:08:54 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋水谷原の台地端近く、牧草畑の中にあります。
墳丘はかなり損傷を受けています。
水谷原(みずやばる)11号墳とも呼ばれています。

全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

資料がほとんどなく、築造時期を含め詳しいことは不明です。

どこからでも観察できます。
水谷原古墳群(前方後円墳3基を含む14基)を構成しています。

高鍋町には小丸川の左岸に持田古墳群がありますが、ここはその反対側右岸一帯の高台に広がる古墳群です。








福岡県糸島市・銭瓶塚古墳

2012-03-03 08:07:47 | Weblog
福岡県糸島市曽根中405-1、標高62mの曽根丘陵のほぼ中央・ワレ塚古墳から北東へすぐです。
(ぜにがめづか)古墳と呼びます。

全長50m、 後円部径37m・高さ6m、 前方部先端幅28m・高さ5m 三段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘は、くびれ部あたりから前方部にかけて道路によって破壊されていて、前方部の先端部と後円部が残るのみです。
主体部は未調査につき詳細は不明です。

墳丘には葺き石が施されていたようです。
造り出しはありません。
墳丘の周りには、盾形をした幅約6mの周濠があります。
周濠からは円筒埴輪や朝顔形埴輪、形象埴輪の破片などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
また自然石を削って創った岩偶も出土しています。
その他、後円部墳頂付近から出土したと言われている家形埴輪が、伊都歴史資料館にあります。

この古墳は出土した埴輪などから、5世紀中ころから終りころの築造と推定されています。

昭和57年10月4日、曽根遺跡群として国の史跡に指定されています。

後円部には国土地理院の地理調三角点の標柱が立てられていました。
見過ごしがちですが、前方部の先端部が道路反対側にわずかに残っています。