群馬県前橋市西大室町内堀の大室公園内にあります。
「後二子古墳」のすぐそばです。
「荒砥村56号墳」と呼ばれることもあります。
全長38m、 後円部径30.4m・高さ5.4m、 前方部先端幅17.8m・高さ2m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
一部地山を利用して造られています。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・鞆形埴輪・靫形埴輪・鉾形埴輪・盾形埴輪・大刀形埴輪・矛形埴輪・武人埴輪・盛装した男子埴輪・巫女埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
テラス面に円筒埴輪80~90本が、後円部には家形埴輪の周りを翳が囲み、その外側に大刀や鞆、靱、盾などの埴輪が取り囲んでいたそうです。
さらに前方部には人物埴輪(武人、盛装した男子、巫女、農夫)や馬、盾、鞆形埴輪が並べられていたそうです。
現在復元して並べられています。
後円部にある埋葬施設は、半地下式の無袖型横穴式石室です。
明治時代に盗掘を受けていて、天井部分が破壊されていました。
入り口は石で塞がれています。
石室は全長6.0m、奥壁幅1.8m、高さ1.8mあります。
直刀3、鉄鏃10、飾り弓金具9、刀子1、金銅製耳環3、ガラス製小玉14、須恵器などが出土しています。
前方部からも土師器製坏8、須恵器製堤瓶1などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
大室古墳群を構成しています。
昭和2年4月8日、後二子古墳と並んで(付けたしとして?)国の史跡に指定されています。
「後二子古墳」のすぐそばです。
「荒砥村56号墳」と呼ばれることもあります。
全長38m、 後円部径30.4m・高さ5.4m、 前方部先端幅17.8m・高さ2m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
一部地山を利用して造られています。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・鞆形埴輪・靫形埴輪・鉾形埴輪・盾形埴輪・大刀形埴輪・矛形埴輪・武人埴輪・盛装した男子埴輪・巫女埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
テラス面に円筒埴輪80~90本が、後円部には家形埴輪の周りを翳が囲み、その外側に大刀や鞆、靱、盾などの埴輪が取り囲んでいたそうです。
さらに前方部には人物埴輪(武人、盛装した男子、巫女、農夫)や馬、盾、鞆形埴輪が並べられていたそうです。
現在復元して並べられています。
後円部にある埋葬施設は、半地下式の無袖型横穴式石室です。
明治時代に盗掘を受けていて、天井部分が破壊されていました。
入り口は石で塞がれています。
石室は全長6.0m、奥壁幅1.8m、高さ1.8mあります。
直刀3、鉄鏃10、飾り弓金具9、刀子1、金銅製耳環3、ガラス製小玉14、須恵器などが出土しています。
前方部からも土師器製坏8、須恵器製堤瓶1などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
大室古墳群を構成しています。
昭和2年4月8日、後二子古墳と並んで(付けたしとして?)国の史跡に指定されています。