古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

愛知県安城市・姫塚古墳

2017-04-29 08:12:17 | Weblog
愛知県安城市姫小川町姫49にあります。

全長50m、 後方部20×18m・高さ3.75m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後方墳です。





墳丘は大きく削平を受けていて、後方墳か円墳かはっきりしていません。
古墳の南側に住宅を挟んで「崖古墳」といわれる小さな高まりがあります。
この崖古墳が前方部の一部(先端部?)だとも言われています。





埴輪の出土は確認されておらず、墳丘への配列はなされていなかったものとみられます。

後方(円)部墳頂には中世以降に建てられた、綾姫(孝徳天皇皇女)伝説にちなむ宝筺印塔があります。





古墳時代前期の築造と推定されています。

昭和40年11月3日、安城市の史跡に指定されています。

桜井古墳群を構成しています。

愛知県安城市・獅子塚古墳

2017-04-29 07:56:24 | Weblog
愛知県安城市東町獅子塚1の洪積台地縁辺にあります。
秋葉神社の境内内です。





全長55m、 後円部径28m・高さ5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を南南西に向けています。
ただその前方部は長さが28mほどあったようですが、明治時代の鹿乗川の堤防工事のため封土が削り取られ消滅しています。
後円部には秋葉神社が建っています。









造り出しはありません。
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

古墳時代前期の築造と推定されています。

桜井古墳群を構成していて、昭和40年11月3日安城市の史跡に指定されています。

愛知県安城市・比蘇山古墳

2017-04-22 05:15:09 | Weblog
愛知県安城市桜井町桜林17にあります。
桜井二子古墳の南約200mのところです。
桜井神社の境内内にあり、墳丘上に神社本殿が建っています。





全長40m、 後方部一辺長?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後方墳です。
墳丘は大きく削平を受けています。









埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなかったものとみられます。

その他については、資料が少なく詳細は不明です。

桜井古墳群を構成しています。

愛知県安城市・桜井二子古墳

2017-04-22 04:46:29 | Weblog
愛知県安城市桜井町二タ子印内の洪積台地縁辺にあります。
墳丘東側を東海道新幹線が、西側を県道44号線が通っています。
塚越古墳の南約750mのところです。







全長74m、 後方部36.2×36.4m・高さ7m、 前方部先端幅29.6m・高さ4.3m の前方後方墳です。
前方部が後方部に比べかなり低くなっています。





東側くびれ部に造り出しがあります。


墳丘の周りには幅9.5mの周濠があります。
墳丘に葺石は施されていません。
埴輪の出土もありません。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設や副葬品は不明です。

古墳時代前期・3世紀後半から4世紀前半頃の築造と推定されています。

当初は前方後円墳とされていましたが、昭和31年(1956年)現地を調査した「大塚初重」氏によって前方後方墳と確認されました。

昭和2年10月26日、国の史跡に指定されています。

桜井古墳群を構成していて、古墳群中最古の古墳です。

愛知県安城市・塚越古墳

2017-04-15 08:38:03 | Weblog
愛知県安城市古井町塚越の台地縁辺にあります。
願力寺の裏側です。



全長46m、 後円部径?m・高さ4.5m、 前方部先端幅13.4m・高さ2.6m  の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。







墳丘の両側と後円部後側がかなり削平を受けています。
そのためもあってかこの古墳は、一辺長23mの前方後方墳とも言われています。


                       {後円(方?)部}


造り出しはありません。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなかったものとみられます。
昭和25年(1950年)後円部墳頂の一部が発掘調査されています。
碧玉製紡錘車の破片、鉄製工具の破片、土師器破片が出土しています。
ただ主体部は見つからず、粘土槨か木棺直葬の可能性が高いといわれています。

古墳時代前期・4世紀末頃の築造と推定されています。

21基からなる桜井古墳群を構成していて、昭和36年10月1日安城市の史跡に指定されています。

愛知県岡崎市・経ヶ峰1号墳

2017-04-15 08:14:36 | Weblog
愛知県岡崎市丸山町経ヶ峰6-1の丘陵頂にあります。
東名高速・岡崎ICの南東、県道岡崎設楽線と東名高速が交差するすぐ西側の高徳寺・妙見閣の裏山です。

全長35m、 後円部径27.5m・高さ2.8m、 前方部先端幅10m・高さ1.3m  帆立貝形の前方後円墳です。


                   (石段の奥に古墳があります)







墳丘の周りには馬蹄形をした周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や短甲形埴輪・草摺形埴輪・冑形埴輪・盾形埴輪・蓋形埴輪・囲形埴輪・家形埴輪・鶏形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1991年発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設は横口式石室で、割竹形石棺が収められていたそうです。





石室は長さが3.8m、幅が1.3mあり、花崗岩の割石でつくられています。
碧玉製管玉、金銅製鋲、金銅製歩揺、環状金具、鉄剣、鉄刀、斧、刀子、轡、カコ、辻金具、土師器、須恵器 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

愛知県岡崎市・宇頭大塚古墳

2017-04-08 06:32:42 | Weblog
愛知県岡崎市宇頭北町1丁目の薬王寺境内にあります。



全長70m、 後円部径30m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。

後円部には「薬王寺」本堂が建てられています。



そのため後円部は改変されていて、古墳の面影は残っていません。
前方部は国道1号線の工事などで消滅しています。









昭和34年(1959年)、岡崎文化研究会の調査が行われています。
墳丘の周りには周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設がどのような埋葬だったのかははっきりしていません。
乳文鏡、土製勾玉、鉄刀 などが出土しています。

古墳時代中期(5世紀)の築造と推定されています。

愛知県岡崎市・和志山古墳

2017-04-08 06:08:05 | Weblog
愛知県岡崎市西本郷町和志山92の台地縁辺にあります。
名鉄名古屋線・宇頭駅の南、曹洞宗・蓮華寺の西隣です。
昭和16年(1941年)、宮内庁が「第12代景行天皇の皇子・五十狭城入彦命(いさきいりひこのみこ)の陵墓として管理しています。



全長60m、 後円部径30m・高さ6m、 前方部先端幅26m・高さ3.4m  の前方後円墳です。











平成22年(2010年)、宮内庁書陵部による墳丘測量調査が行われています。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

愛知県豊川市・船山2号墳

2017-04-01 08:28:15 | Weblog
愛知県豊川市上長山小南口原の細長い独立丘陵にあります。

全長42m、 後円部径21m・高さ3.3m、 前方部先端幅24m・高さ3m  の前方後円墳です。

墳丘の周りには周濠があります。

昭和34年(1959年)、南に開口する両袖型横穴式石室の発掘調査が行われています。
玄室の長さ2.3m、奥壁幅2.2mとほぼ正方形をしています。
金環、方頭大刀、鉄鏃、長頸鎌、刀子、須恵器 などが出土しています。




平成元年(1989年)には墳丘・石室の測量調査が行われています。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。


                       (手前が前方部)






                       (後円部)

近くにお住いの元日本史の先生だったという方が、山道をわざわざ現地まで案内してくださいました。

愛知県豊川市・念仏塚1号墳

2017-04-01 08:04:43 | Weblog
愛知県豊川市大木山の奥27-4の丘陵端部にあります。
シロキ精機工場の前です。

全長32m、 後円部径17m・高さ?m、 前方部先端幅12m・高さ?m  の前方後円墳です。

種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
墳丘には葺石が施されています。


主体部については、どのようなものか不明です。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。




                       (奥が前方部)






                         (前方部)

念仏塚古墳群を構成しています。
日吉原台地上にある5世紀後半から6世紀初めにかけて造られた古墳群です。
前方後円墳3基を含む8基からなります。
東名高速道の工事で7基が消滅、今はこの1号墳が残るのみです。
工事に伴う調査で、5号墳から力士埴輪が出土しています。

昭和42年4月1日、豊川市(合併前の一宮町)の史跡に指定されています。