古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

奈良県橿原市・新沢千塚古墳群213号墳

2015-11-28 08:54:27 | Weblog
奈良県橿原市川西町道山の丘陵斜面にあります。
新沢千塚古墳群・南群の212号墳東隣りの一段高いところです。













全長25.5m、 後円部径18m・高さ3.5m、 前方部幅7m・高さ1.2m の前方後円墳です。
前方部を北方向に向けています。

墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1965年(昭和40年)に発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、割竹形木棺を用いた粘土槨です。
棺内からは、半三角縁二神二獣鏡・三獣形鏡・倭製六弧内行花文鏡・半丸縁流雲文鏡・碧玉製石釧・管玉・硬玉製勾玉・ガラス製小玉・鎌 などが出土しています。

古墳時代前期・4世紀ころの築造と推定されています。

新沢古墳群で調査された古墳の中では、500号墳に次いで古い古墳だそうです。

奈良県橿原市・新沢千塚古墳群212号墳

2015-11-28 08:23:45 | Weblog
奈良県橿原市川西町道山の丘陵上にあります。
新沢千塚古墳群・南群の中にあります。
県道133号線脇から登る遊歩道を右(反時計回り)に進むとすぐ左手斜面にあります。
南群西端部の北に延びる尾根上です。













全長26m、 後円部径14.5m・高さ2m、 前方部幅10.6m・高さ1m 三段構築の前方後円墳です。
前方部を南々西方向に向けています。

埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

埋葬施設が五つ確認されています。

後円部北西寄りにある埋葬施設には、組合式箱型木棺が直葬されていました。
ガラス製小玉・銀環・刀子・斧・須恵器・土師器などが出土しています。

後円部中央にある埋葬施設には、組合式箱型木棺が直葬されていました。
鉄刀・鹿角装刀子・鉄鏃・曲刃鏃・鎌・鉋・須恵器 などが出土しています。

後円部南寄りにある埋葬施設には、組合式箱型木棺が直葬されていました。
鉄刀・斧・曲刃鎌・ などが出土しています。

前方部中央東寄りにある埋葬施設には、刳抜式木棺が直葬されていました。

前方部中央西寄りにある埋葬施設には、組合式箱型木棺が直葬されていました。
刀子・錐・砥石 などが出土しています。

後円部中央にある埋葬施設の被葬者が、この古墳の中心人物とみられています。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀ころとみられています。

奈良県橿原市・新沢千塚古墳群160号墳

2015-11-21 08:23:49 | Weblog
奈良県橿原市川西町外山の丘陵上にあります。
156号墳の西隣です。

全長30m、 後円部径21m・高さ4.5m、 前方部幅25m・高さ2.5m の前方後円墳です。
前方部を西方向に向けています。
新沢千塚古墳群・北群の中では最も南にあり、かつ一番高いところにあります。

後円部北側に1段のテラス(造り出し?)があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。













1963年(昭和38年)に発掘調査が行われています。
埋葬施設が三つ確認されています。

後円部東側にある埋葬施設には、木棺が直葬されていたようです。
木棺は、長さ3.6m・西幅0.77m・東幅1.05m の大きさで、棺底は地表面から3.4mも下だったそうです。
古墳群中最も深いところにある埋葬施設です。
滑石製小玉・鉄刀2振り・鉄鏃30本・類銅鏃・長頸鏃・鹿角装刀子・直刃鎌・ヤリガンナ・轡・辻金具・シオデ金具・カコ などが出土しています。

後円部北側にある埋葬施設には、東側同様木棺が直葬されていたようです。
木棺は、長さ1.57m・西幅0.45m・東幅0.43mあったそうです。
鉄鏃1本が出土しています。

前方部頂東寄りにある埋葬施設には、やはり木棺が直葬されていたようです。
長さ2.25m・南幅0.75m・北幅0.5m の木棺が埋葬されていたそうです。
棺内の南端から須恵器坏蓋・高坏・はそう・堤瓶 などが出土しています。

この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀後半頃と推定されています。

奈良県橿原市・新沢千塚古墳群109号墳

2015-11-07 08:20:11 | Weblog
奈良県橿原市川西町北ノ脇の丘陵上にあります。
新沢千塚古墳群・北群のほぼ中央です。

全長28m、 後方部一辺長15m・高さ2m、 前方部幅12m・高さ1.5m の前方後方墳です。
前方部を南東方向に向けています。
後方部は盛り土で、前方部は地山を利用していて盛土ではありません。













墳丘に種類ははっきりしていませんが埴輪の配列がなされていました。
1964年(昭和39年)に発掘調査が行われています。
後方部墳頂と前方部墳頂に埋葬施設があります。

後方部にある埋葬施設は盗掘を受けていて、大きく破壊されていたそうです。
木棺が直葬されていたようです。
鉄製の刀子1点が出土しています。

前方部にある埋葬施設には割竹形木棺が直葬されていたようです。
棺内からは半円方格画文帯神獣鏡・倭製珠文鏡・鉄剣・挂甲1領(騎馬用)・金製垂飾付耳飾・銅製三環鈴 などが、棺外からは平縁変形獣文鏡・鉄刀・槍先・鉄鉾・鉄鏃・長頸鏃・横矧板鋲留短甲1領(歩兵用)・ガラス製小玉約300個 などが出土しています。
副葬品の多くが武器・武具であることから、武人が埋葬されていたものとみられます。
全国的にみてもほとんどの古墳では後方(円)部が主体部ですが、この古墳に関してはその出土品の内容から前方部が主体部とみられています。
出土した副葬品の数は、126号墳(長形墳)に次ぐ多さです。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。