古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

岐阜県垂井町・勝宮古墳

2016-04-30 06:30:23 | Weblog
岐阜県不破郡垂井町表佐平地1729-1の平地にあります。
勝神社の本殿裏(北側)です。
中に入らないよう柵が設けてあります。

全長29m、 後円部径11m・高さ2.5m、 前方部先端幅?m・高さ1.3m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
墳丘は大きく破壊されていて、後円部頂部は削平され石槨の小石が見えています。

6世紀後半から7世紀初めころの築造と推定されています。

昭和35年1月26日、垂井町の史跡に指定されています。


               (勝神社)








                    (右に見えてるのが勝神社)


岐阜県垂井町・栗原2号墳

2016-04-30 06:11:44 | Weblog
岐阜県不破郡垂井町栗原、通称象鼻山と呼ばれる南宮山の南東の丘陵斜面にあります。
標高30~50mの傾斜面上です。

全長44m、 後円部径28.5m・高さ3m、 前方部先端幅12m・高さ2.5m  の前方後円墳です。








                            (後円部)


                            (前方部)



墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の出土がなく、埴輪の配列はなされていなかったものとみられます。

栗原古墳群を構成しています。
栗原古墳群は3基からなる古墳群です。
1号墳は「黄金塚古墳」と呼ばれる円墳です。
3号墳も円墳です。
築造時期はいづれの古墳も不明です。

古墳へは、イノシシ除けの柵を開けて(近所の方に了解を得ました。)斜面を進まなければなりませんでした。

昭和42年1月26日、垂井町の史跡に指定されています。

岐阜県垂井町・忍勝寺山古墳

2016-04-23 08:43:18 | Weblog
岐阜県不破郡垂井町府中野庵2086の平地にあります。
集落の西の外れです。
江戸時代末期の古地図に「ね里塚」と記されているそうです。













全長59.6m(現存値)、 後円部径54.6m・高さ2.8m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を中心にかなり削平を受けています。

墳丘の周りには周濠があります。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1991年に発掘調査が行われています。
埋葬施設はどのような埋葬かはっきりしていませんが、鉄鏃・銅鏃・直刀・石製合子 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和32年6月15日、垂井町の史跡に指定されています。

岐阜県垂井町・親ケ谷古墳

2016-04-23 08:11:21 | Weblog
岐阜県不破郡垂井町府中市之尾深谷569の山頂にあります。
垂井町の北部、標高185mの尾根上です。
関ケ原から大垣市街までもが見渡せるところです。

       (古墳への道の途中からみる垂井町)
天神神社の駐車場から、山道・尾根道を登ること20分ほどやっとのことで辿り着きました。
道の途中途中に案内標識があったおかげです。


                    (後円部墳頂)









全長85m、 後円部径42m・高さ6m、 前方部先端幅43m・高さ5.5m  二段構築の前方後円墳です。
あの箸墓古墳に代表される、前方部が先端に向かって曲線的に広がる特徴を持っています。

造り出しはありません。
墳丘には人頭大の川原石による葺石が施されています。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

埋葬施設は粘土槨です。
発掘調査は行われていません。
ただ明治時代に粘土槨の北端にあった木箱から、15点もの石製品が出土しています。
これら石製品は、東京国立博物館に収蔵されています。
倭製内行花文鏡・碧玉製鍬形石・碧玉製車輪石・碧玉製合子・碧玉製高坏・碧玉製壺・滑石製壺・碧玉製管玉 なども出土しています。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和32年2月15日、垂井町の史跡に指定されています。

垂井町は、「中山道・垂井の宿」があった所として知られています。

岐阜県大野町・南出口古墳

2016-04-16 08:23:47 | Weblog
岐阜県揖斐郡大野町野南出口641の平地にあります。
「城塚古墳」とか「野5号墳」とも呼ばれています。

全長82m、 後円部径42m・高さ7m、 前方部先端幅31m・高さ4.3m  三段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けていて、野古墳群中で一番南にあります。
くびれ部付近が低く細長くなっています。


また前方部と後円部の比高差が大きいのも特徴です。


円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

1969年(明治2年)、後円部頂東北部に石室が露出しているのが見つかっています。
全長2.4m・幅1mの竪穴式石室です。
中国製鎏金獣帯鏡・鉄剣・鉄刀・鉄鏃・轡引手・革帯金具 などが出土しています。
鎏金獣帯鏡は直径20.3cmあり、金メッキが施されています。
「尚方作竟・・・」の銘があることでも知られています。
昭和28年に国の重要文化財に指定されています。
現在、東京の五島美術館が所蔵しています。

古墳時代前期の築造と推定されています。

通称「城塚古墳」と呼ばれていますが、これは南北朝時代に城が築かれていたとの伝承があり、そこから来ているのだそうです。







            (後円部)


岐阜県大野町・南屋敷西古墳

2016-04-16 07:57:18 | Weblog
岐阜県揖斐郡大野町野南屋敷西の平地にあります。
「野3号墳」とも呼ばれています。

全長76m、 後円部径54m・高さ5.4m、 前方部先端幅28m・高さ3m  二段構築の前方後円墳です。

1982年(昭和57年)史跡整備に伴う周濠の範囲確認調査が、大野町教育委員会の手で実施されています。

墳丘の周りには、二重で幅17mの馬蹄形をした周濠があります。
周濠の外側には外堤があります。
墳丘には割石による葺石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埴輪は、愛知県春日井市の下原古窯群で焼成されたものとみられています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。











              (後円部)


              (前方部)

岐阜県大野町・登越(のぼりごえ)古墳

2016-04-09 08:18:12 | Weblog
岐阜県揖斐郡大野町野登越にあります。
「野4号墳」とも呼ばれています。

全長83.3m、  後円部径55m・高さ6.8m、 前方部先端幅46.2m・高さ5.5m  三段構築の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。

野古墳群の中では最大規模の古墳です。
前方部は先端に行くほど外に拡がりを見せています。


後円部頂は平坦(径が16mほど)になっています。


墳丘の周りには二重の周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。








岐阜県大野町・モタレ古墳

2016-04-09 07:59:04 | Weblog
岐阜県揖斐郡大野町野モタレにあります。
「野1号墳」とも呼ばれています。
野古墳群の北西端です。

全長54m、 後円部径41m・高さ6m、 前方部先端幅?m・高さ2.5m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
その前方部は土地改良などで大幅に削平されています。
そのため円墳とみられていたそうですが、1987年(昭和62年)の測量調査で南側の前方部が確認されました。

墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪片などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
その他資料が少なく詳細は不明です。


                    (左側が前方部です)




                    (右側が前方部です)




          (前方部先端部)


           (後円部墳頂)

岐阜県大野町・ばい塚古墳

2016-04-02 08:38:27 | Weblog
岐阜県揖斐郡大野町野南屋敷内の平地にあります。
「野7号墳」とも呼ばれ、北屋敷古墳前方部に接するようにしてあります。

全長29m、 後円部径16.2m・高さ4.24m、 前方部先端幅6.4m・高さ2.8m  の帆立貝式前方後円墳です。
前方部を南東方向に向けています。

1983年(昭和58年)に範囲確認調査が実施されています。

墳丘の周りには幅約4.4mの馬蹄形をした周濠があります。
円筒埴輪片や朝顔形埴輪片などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
石室内から坏、鉄鏃、刀子 などが出土しています。













岐阜県大野町・北屋敷古墳

2016-04-02 08:19:46 | Weblog
岐阜県揖斐郡大野町野西中屋敷の平地にあります。
「野9号墳」とも呼ばれています。

全長30.5m、 後円部径23m・高さ6m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
南に向けた前方部は、削平を受けています。

墳丘の周りには周濠があります。
その周濠から円筒埴輪片や須恵器片が出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
その他は資料が少なく詳細は不明です。












                    (手前が前方部です。)