古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

鹿児島県肝付町・塚崎39号墳

2009-05-30 08:17:19 | Weblog
鹿児島県肝属郡肝付町新富花牟礼小原7579-1の台地縁辺にあります。
花牟礼古墳とも呼ばれています。

全長71m、 後円部径45m・高さ9m、 前方部幅21m・高さ2.9m の前方後円墳です。
墳丘は段築なしに造られていて、葺き石は施されていなかったようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
1987年に発掘調査が、1992年に測量調査が行われています。

この古墳は、日本の最南端にある前方後円墳として有名です。
東経130度58分11秒、北緯31度20分00秒にあります。
この古墳の築造時期は、はっきりしていません。

塚崎古墳群を構成しています。
これまで紹介してきました、この古墳群内にある4基の前方後円墳は、10号墳をはじめすべてが柄鏡式と呼べるくらい、前方部が低く幅が狭い特徴を持っています。

今まで案内してきました鹿児島県内、大崎町から東串良町、そしてここ肝付町の古墳は、横瀬古墳以外からは埴輪の出土がありません。
またいづれの墳丘も段築なしに造られています。
これら三つの古墳群に眠る人物達は、お互い何らかのつながりがあったのかもしれません。



大きな方の画面にマウスを持ってくると、「デジブックをみる」とメッセージが出ます。円の中のマークをクリックすると連続画面が見れます。BGM付きです。

鹿児島県肝付町・塚崎16号墳

2009-05-30 08:05:55 | Weblog
鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎田淵2001の台地縁辺にあります。

全長41m、 後円部径26m・高さ4m、 前方部幅8.5m・高さ1m の前方後円墳です。
個人の所有地内にあり、一部損傷を受けています。
墳丘は段築なしに造られていて、葺き石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったとみられています。
1987年に発掘調査調査が、1994年に測量調査が行われています。
この古墳の築造時期は、古墳時代後期と推定されています。

塚崎古墳群を構成しています。

鹿児島県肝付町・塚崎11号墳

2009-05-23 08:50:44 | Weblog
鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎田淵2003の台地縁辺にあります。
瓢箪塚古墳とも呼ばれています。

全長56m、 後円部径22m・高さ3.5m、 前方部幅12.5m・高さ2m の前方後円墳です。
墳丘は段築なしに造られていて、葺き石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
1986年に発掘調査が、1995年に測量調査が行われています。
この古墳の築造時期は、古墳時代後期と推定されています。

塚崎古墳群を構成しています。
県道・高山~波見線を挟んで10号墳と対しています。

鹿児島県肝付町・塚崎10号墳

2009-05-23 08:33:46 | Weblog
鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎長五郎2214の台地縁辺にあります。
柄鏡塚古墳とも呼ばれています。

全長39m、 後円部径23m・高さ2.6m、 前方部幅9.5m・高さ1m の柄鏡式前方後円墳です。
墳丘は段築なしに造られていて、葺き石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土もなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
1989年に発掘調査が、1993年に測量調査が行われています。
古墳の築造時期ははっきりしていません。
ただこの古墳は、奈良県天理市の行燈山古墳(崇神天皇陵)の6分の1の平面規格で造られていることが知られています。

塚崎古墳群を構成しています。
個人所有地内にあるため、墳丘は竹林に覆い尽くされていて、墳丘に近づくことも、ましてその形状を確認することも容易ではありませんでした。

鹿児島県肝付町・塚崎古墳群

2009-05-23 08:08:36 | Weblog
鹿児島県肝属郡肝付町(旧高山町)野崎塚崎の国見山系のすその・標高20mほどの畑地に広がっています。
唐仁古墳群から車で20分くらいの距離です。
古墳時代中・後期の古墳群です。
現在、前方後円墳4基、円墳39基、地下式横穴墓19基が残っています。
古墳群内には、肝付町立歴史民俗資料館があり、出土物が展示してあります。
古墳群内・花牟礼地区で、鹿児島県内初の弥生時代の住居跡も発見されています。
昭和20年2月22日、国の史跡に指定されています。

鹿児島県東串良町・唐仁100号墳

2009-05-16 08:27:50 | Weblog
鹿児島県肝属郡東串良町大塚1527の畑の中にあります。
役所塚古墳とも呼ばれています。

全長57m、 後円部径27m・高さ3.3m、 前方部幅35m・高さ2.7m の前方後円墳です。
墳丘は段築なしに造られています。
一部損傷を受けていますが、おおむね良好な状態で残っています。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

こじんまりとした古墳で、なんとなく愛着を覚えました。
この古墳の築造時期は、特定する資料が少なく、いつ頃の築造なのかはっきりしていません。
唐仁古墳群を構成しています。
古墳群中2番目の大きさです。

鹿児島県東串良町・唐仁64号墳

2009-05-16 08:14:15 | Weblog
鹿児島県肝属郡東串良町大塚1492-1の台地上にあります。

長径が28m、 高さが2.7m の前方後円墳です。
民家の裏庭の一画にあり、かなり損傷しています。
資料がなく、築造時期や葺き石、埴輪の有無等は不明です。

私が訪ねた時、お家の飼い犬に激しく吠えられました。
その家のおばあさんが、私が古墳を観察している間、犬を押えていてくださいました。

唐仁古墳群を構成しています。
唐人大塚古墳の西側、道路を隔てた反対側すぐにあります。

鹿児島県東串良町・唐仁16号墳

2009-05-09 15:44:18 | Weblog
鹿児島県肝属郡東串良町新川西小村5081~2の台地上にあります。
薬師堂塚古墳とも呼ばれています。

全長45m、 後円部径31.1m・高さ3.9m、前方部幅22m・高さ3m の前方後円墳です。
墳丘に葺き石は施されていません。
埴輪の出土もなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
古墳の東側のみに周濠があります。

この古墳の築造時期は、はっきりしていません。
唐仁古墳群を構成しています。
道路わきの林の中にあります。
唐人大塚古墳から北へ歩いて数分の距離です。

鹿児島県東串良町・唐仁12号墳

2009-05-09 15:31:20 | Weblog
鹿児島県肝属郡東串良町新川西小村5074、唐仁大塚古墳のすぐ北側にあります。
大山塚古墳とも呼ばれています。

全長14m、 後円部径11m・高さ2m、 前方部幅?m・高さ?mの前方後円墳です。
前方部は道路のため削られてなくなっています。
墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったものとみられています。
この古墳の築造時期を特定する資料が少なく、いつ頃の築造なのかはっきりしていません。

唐仁古墳群を構成しています。
道路わきの畑の一角にポツンと茂みがあるだけで、これが古墳と気付く人はほとんどいないようです。

鹿児島県東串良町・唐仁大塚古墳

2009-05-02 08:04:02 | Weblog
鹿児島県肝属郡東串良町新川西小村5095の低台地縁辺(肝属川上流約1Kmの左岸)にあります。
唐仁1号墳とも呼ばれています。
全長140m、 後円部径65m・高さ9.7m、 前方部幅36m・高さ3m の前方後円墳です。
鹿児島県内最大の古墳で、全国でも65番目の大きさです。
埴輪の出土はなく、埴輪の配列はなされていなかったようです。

この古墳の特徴として、
①平地の上に築かれていて、周堀の土を封土とした段差のない古墳。
②前方部が低い前期古墳。
③寄生石棺(箱形)を持っている。
④後円部の中心が削られ、石室が露出していて、その上に神社(大塚神社)が建立 されている。
⑤この古墳を中心に、放射状に百数十基の古墳が築かれている。

後円部にある埋葬施設は竪穴式石室で、周囲を板石で重ねた大きなものです。
5枚の花崗岩を持って蓋石としています。
花崗岩は、近くの国見山から運ばれたものです。
石室内は朱塗りされているそうです。
石室の深さは84cm、長さは359cm、幅は約124cmあるそうです。
石室の中央に、高山町本城産の凝灰岩製一枚石の舟形石棺が安置されています。
石棺の長さは268cm、蓋石と下石を合わせた高さは70cmあり、両端に取手が付いています。
石棺は堅固で重量があるため盗掘を免れ、これまで一度も開かれたことはないそうです。
なお蓋石は、長さが293cm、幅が87cm、厚さが30cmもあり、全国有数の大きなものです。
棺外の北側には横矧板鋲留式短甲が納めてあるそうです。
石棺と蓋石はともに一枚石で、鉄のみで丹念に細工されています。
現在石室の上には、大塚神社の社殿が建っています。

この古墳の築造時期は、5世紀後半ころと推定されています。
昭和9年1月22日、国の史跡に指定されています。
ちなみに、肝属郡は西暦713年までは日向の国の一部でした。



画面の中央にマウスを持ってくると「デジブックを見る」とメッセージが出ます。
それをクリックするとスライド画面を見ることができます。音声もONにしてください。


(唐仁古墳群)
鹿児島県肝属郡東串良町新川西地区、唐仁、大塚、大塚原などに、合計144基(前方後円墳5基を含む)の古墳が密集しています。
古墳群は一括して、昭和9年1月22日、国の史跡の指定を受けています。