鹿児島県肝属郡肝付町新富花牟礼小原7579-1の台地縁辺にあります。
花牟礼古墳とも呼ばれています。
全長71m、 後円部径45m・高さ9m、 前方部幅21m・高さ2.9m の前方後円墳です。
墳丘は段築なしに造られていて、葺き石は施されていなかったようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
1987年に発掘調査が、1992年に測量調査が行われています。
この古墳は、日本の最南端にある前方後円墳として有名です。
東経130度58分11秒、北緯31度20分00秒にあります。
この古墳の築造時期は、はっきりしていません。
塚崎古墳群を構成しています。
これまで紹介してきました、この古墳群内にある4基の前方後円墳は、10号墳をはじめすべてが柄鏡式と呼べるくらい、前方部が低く幅が狭い特徴を持っています。
今まで案内してきました鹿児島県内、大崎町から東串良町、そしてここ肝付町の古墳は、横瀬古墳以外からは埴輪の出土がありません。
またいづれの墳丘も段築なしに造られています。
これら三つの古墳群に眠る人物達は、お互い何らかのつながりがあったのかもしれません。
大きな方の画面にマウスを持ってくると、「デジブックをみる」とメッセージが出ます。円の中のマークをクリックすると連続画面が見れます。BGM付きです。
花牟礼古墳とも呼ばれています。
全長71m、 後円部径45m・高さ9m、 前方部幅21m・高さ2.9m の前方後円墳です。
墳丘は段築なしに造られていて、葺き石は施されていなかったようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
1987年に発掘調査が、1992年に測量調査が行われています。
この古墳は、日本の最南端にある前方後円墳として有名です。
東経130度58分11秒、北緯31度20分00秒にあります。
この古墳の築造時期は、はっきりしていません。
塚崎古墳群を構成しています。
これまで紹介してきました、この古墳群内にある4基の前方後円墳は、10号墳をはじめすべてが柄鏡式と呼べるくらい、前方部が低く幅が狭い特徴を持っています。
今まで案内してきました鹿児島県内、大崎町から東串良町、そしてここ肝付町の古墳は、横瀬古墳以外からは埴輪の出土がありません。
またいづれの墳丘も段築なしに造られています。
これら三つの古墳群に眠る人物達は、お互い何らかのつながりがあったのかもしれません。
大きな方の画面にマウスを持ってくると、「デジブックをみる」とメッセージが出ます。円の中のマークをクリックすると連続画面が見れます。BGM付きです。