日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

アフガニスタンにおけるタリバン勢力の政権復帰劇を、私の語る「システム」論から捉え直すときー「歴史」の主役は誰なのか、「システム」?米国、中国といった国家?、あるいはエスニック・グループやその他の集団?

2021-08-19 | 日記

アフガニスタンにおけるタリバン勢力の政権復帰劇を、私の語る「システム」論から捉え直すときー「歴史」の主役は誰なのか、「システム」?米国、中国といった国家?、あるいはエスニック・グループやその他の集団?


(最初に一言)

今回は「妄想話」から、アフガニスタンのタリバン復活の動きへと目を転じたい。その際、とくに心がけておきたい点は、アフガニスタンを巡る政治劇を、たとえば、イスラム主義勢力グループ間の、また彼らと非・イスラム主義勢力間の様々なグループ・ポリティッつクスの観点から描くのではなく、また米国とその友好国(イスラエルや英国や日本等を含む)対中国・ロシア(シリアやイランを含む)間の対立・敵対という構図からアプローチするのでもなく、取りあえずこれまでの分析視角や枠組みを捨て去ることから始めることを提唱したい。


それを踏まえて、簡潔に言えば、「システム」の指示に従って、すべてのプレイヤーが相互に関係しながら動いているということだ。つまり、たとえ表面的には激しく戦ってはいても、それは「システム」とその関係の歩みを支持し強化するために演じられている劇だということである。

それゆえ、劇の観察(劇)者である私たちが心掛けるべきは、のめりこみ過ぎないことが何よりも大事だという点だ。マスコミ情報に対しても、自国の政治的プロパガンダに対しても、等しく距離を保ちながら観察し続けるだけである。中国包囲網の一員になる必要もなく、またタリバン政権をことさら非難・批判する政治勢力グループに与することなどないのだ。

私たちが常に念頭においておくべきことは、この先の2,30年にかけて導かれるであろう国際関係とそれによりつくられる世界地図の概要である。私がこれまで論及してきたように、1970年代を分水嶺とするかのように、それ以前と以後の世界地図は次第に変容していくのだが、それを導いたのは「システム」とその関係の歩みに見られた構造転換・変動に他ならない。

すなわち、{[A]→(×)[B]→×[C]}にみられる欧米主導の世界から、{[B]→(×)[C]→×[A]}の非・欧米主導の世界へと大きく様変わりしたと言っていいだろう。その代表的例が中国が主導する「一帯一路」構想の提唱とその実現に向けたこれまでの歩みである。

この「システム」の構造転換・変動の中に、世界各国とそこに暮らす人々は直接・間接の影響を受けるところとなった。そのきっかけは、これまた何度も指摘してきたようにニクソン訪中とニクソン・ショックである。この二つの出来事がその転換・変動の合図を告げるベルであった。

なぜ1971,2年であったのかと言えば、従来の「システム」が名実ともに「金の成る木」としての機能を十分に担い発揮できなくなったということに尽きるだろう。そのために「システム」はこれまでの覇権国であった米国に替えて、新たな覇権国として中国を選択したのである。

そのための準備がいくつか必要であった。これからの「システム」の形成と発展を導くBグループ内での中国の地位を安定。安泰とさせるために、同グループ内のソ連の力を削いでおく必要が生じたのだ。そのための具体策として用意されたのがソ連によるアフガン侵攻であった。その侵攻の長期化を狙った米国によるアフガニスタン国内へのタリバンとイスラム原理主義者の結集が図られ、彼らに対する軍事訓練と武器供与が行われたのだ。

すべてが、1970年代以降の「システム」を牽引する重要な役割を担うことを託された中国のために画されたことであった。覇権国としての中国を台頭させるために、米国はその他の友好国を誘って中国の世界の工場化への道のりを整備した。そこから、今日の一帯一路へとつながっていくのだ。余談だが、日本の高度経済成長の終えんとプラザ合意、そしてその後の停滞へと続く流れは、こうした「システム」の構造転換・変容とその中での中国の発展と結び付けて捉え直すことが必要である。

こうした中国の覇権国としての力の蓄積とそれを支える世界の工場化、一帯一路路線の着実な歩みは、アジアは勿論、ヨーロッパ諸国や中東、アフリカ諸国をも巻き込んでいったのだ。当然ながら、そうした中国の台頭を促した、かつてのA、B、Cから構成された「システム」の盟主であった覇権国の米国にも大きな影響を与えたのである。単刀直入に言えば、米国の衰退である。

その米国の衰退を、米国自らが導いたということなのだ。それはかつての覇権国の英国も同様であった。覇権国といえども、覇権システムと、世界資本主義システム、世界民主主義システムから成る一つの「システム」の歩みには逆らうことなどできないということである。

それを踏まえて言えば、アフガニスタンであれ、イランであれ、イスラエルであれ、サウジやその他の中東諸国、アフリカ諸国も、勿論のこと例外ではないのだ。言うまでもなく日本もそうである。ましてやアフガニスタンのタリバン政権は、「システム」の新たな構造転換・変動の激流の中で浮き沈みを繰り返すだけである。

ただし、私たちの目に映るのは、「システム」それ自体ではなく、それを介した中国とアフガニスタン、中国と米国、中国・ロシアと米国とその友好国といった具合に、それらを背後で関係づけて操作している「システム」という本丸は容易には見えないのである。誤解のないように言えば、これは私が何か尊大ぶった物言いをしているというわけでも何でもない。

そうではなく、たとえば、多くの人たちは未だに、「民主主義」体制対「全体主義」体制という「神話」を疑ってはいないだろうし、「民主主義」と「帝国主義」とは「水」と「油」の関係にあるとの見解に対しても、何ら疑うこともないだろう。ましてや覇権国の興亡史を、関係論の観点から考察することもほとんどないだろうから、先の私のエラソーな物言いに対しても、単純に嫌悪されるだけだろうが、これだけは仕方がない。


(最後に一言)

本当はもう少し続けて書くはずであったが、今回はこの辺でやめておきたい。なお次回もこの続きを話してみたい。その際、拙稿「イラクに「民主主義」を押しつけているのは何か―「民主主義」の「構造」と「発展」方向の転換という観点から―」(『アソシエ』15号(『ポスト・イラクの自由と民主主義』)所収 )単著 御茶の水書房 2005を今一度、思い起こしながら、当時の私の分析能力というか「システム」に関する説明能力の不十分さのために、語ることのできなかった話をゆっくり・じっくりとしてみたいので、お付き合いいただければありがたい限りだ。

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