日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

21世紀の現時点における私たちの政治に対する意識及び行動の仕方は、中世や近世における農民一揆に垣間見られる農民の政治意識と政治行動と比べてみても、すこぶる劣化しているのではあるまいか!

2021-08-18 | 日記

21世紀の現時点における私たちの政治に対する意識及び行動の仕方は、中世や近世における農民一揆に垣間見られる農民の政治意識と政治行動と比べてみても、すこぶる劣化しているのではあるまいか!


(最初に一言)

ここ数回の私の記事で、私が感じているのは、まさに今回の題目に示されることなのだ。私たちは見事に飼い馴らされてしまった、いやそれ以上に飼い殺されてしまったのではあるまいか。


白戸三平の『忍法カムイ伝』や、私たちが中学や高校で学んだ日本史の教科書にも描かれているように、当時の農民というか百姓たちは、「圧政」に対しては見事に立ち上がったものなのだ。いわゆる日本版「レジスタンス」というやつだが、このレジスタンスが今の我々の政治意識や政治行動には、どういうわけなのか組み込まれてはいないように、私には思われて仕方がないのである。

今の状況・状態は、第2次世界大戦中のフランスのド・ゴール将軍がイギリスのチャーチル首相の後ろ盾を得ながら、ナチス・ドイツのフランスにおける傀儡政治に対して、レジスタンスを展開したように、まさに当時の政治環境と酷似しているように、私は理解しているのだ。「ああ、また始まった」、と読者諸氏は思われるかもしれないが、そう、もう始まっているのだ、私の妄想話は尽きることを知らない。

そもそも、民主主義的政治というかデモクラシーの一番大切な要素は、権力に対する抵抗なのだ。それはR・ダールの言うような「異議申し立て」とか「参加」という二つの基本的要素によって語られる次元に留まるものなどではなく、それにプラスした抵抗運動なのだ。中世や近世の農民一揆を鑑みれば、21世紀のそれが、はるかに強力な抵抗運動であったとしても何も不思議なことではあるまい。

とくに、今回のようなコロナ禍における政治の無策というか意図的かつ恣意的な作為を感じる対応による「国民見殺し作戦?」をみるとき、なんらの抵抗運動も展開できない私たちの不甲斐無さに唖然というか憮然としてしまうだけなのだ。おそらく、こうした感慨を抱くのは私一人ではなかろう。「やられたら、倍返しでやり返す」のは決してテレビ番組の中の出来事に押しとどめる必要など微塵もないのだ。

「衆人が見守る中で、はっきりと、殺されているのだよ、今も、昨日や一昨日から、否その前からも、ずっと続いているのだよ。」立ち上がるのは当然だろう。それがどうしてなのか、できないのだ。試みようとはしないのだ。そこには社会や学校を始めとした「教育」の力があるのは確かである。いわゆるヘゲモニーというソフトな力が働いている。そのソフトを機能させているのは、勿論荒々しいハードな暴力の存在が後押ししているのだが。とにかく、「いかなる暴力も駄目ですよ」と「お上」によって教化されながら、そのダメなはずのお上の暴力行使をずっと甘受行しながら、フクシマにおいても、今のコロナ禍の社会においても、お上とその構成期間は、一貫して人殺しを推進し続けているのではあるまいか。

当然ながら、私たちも、自分自身の命と暮らしを守るためには、無法な不当な権力の抑圧に対して、レジスタンスを展開する必要があるのは、疑うことのない生きるための重要な手段なのだ。ところが、残念ながら、これまでの私たちはこうした考え方を抱くことさえも自ら否定すると同時に、それは「危険思想」だと放擲してきたのではあるまいか。


(最後に一言)

私は妄想話だと謙虚に留意して語っているが、私の周りの現実は、まさにお上による合法的見殺し状況・状態が常態化しているのだ、お上によって推進されているこの現実は、決して妄想話などではないのだ。事実として行われているのだ。一刻の猶予も許されないはずなのに、それにもかかわらず、与党も野党も、連日のマスコミ報道が伝えるように、それこそ他人事のような向き合い方なのだ。

そしてここが一番肝心なところだが、コロナ禍騒動で生活が成り立たなくなった人たちとその家族と関係者、およびコロナ感染(コロナ・ワクチン接種も含む)により死に至った人たちとその家族と関係者の、お上を呪い訴える叫び声が、私たちのすぐ傍にまでは届かないのだ。

おかしな話ではあるまいか。この日本は、日本人が喜んで非難・批判する中国でも北朝鮮でもベラルーシやロシアでもないはずなのに、なぜか私たちに必要な情報は知らされないままなのだから。勿論、その理由もわかっている(お上には都合の悪い情報だから)。「夜郎自大」的な日本報道とその内容にも、腹も立たないし呆れもしない。ただひとえに悲しいだけである。

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