日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「米国対中国」の「二項対立」的覇権抗争図式に替えて、その時々の状況に応じて、米国と中国が相互の協力関係の下で、「世界地図」の作成に与ってきたとの別の〈第三者的〉地点から捉え直す視角の必要性と有用性

2021-08-20 | 日記

「米国対中国」の「二項対立」的覇権抗争図式に替えて、その時々の状況に応じて、米国と中国が相互の協力関係の下で、「世界地図」の作成に与ってきたとの別の〈第三者的〉地点から捉え直す視角の必要性と有用性


(最初に一言)

米国がイラクやアフガニスタンの占領統治を何某かの事情によって終了させる=撤退を余儀なくさせられるに際して、私たちの発するコメントは、たとえば、米国の覇権的力の低下によるとか、もはや中国やロシアの力の前に屈したのだとか、そこからアフガニスタンやイラクは米国の手から離れて今や中国の手に握られようとしている等々の論評となるのだが。


勿論、これらの見方はすべてが間違いではなく、それなりの説得力を有しているのは確かだろうが、やはり問題は残る。というのは、こうした見解を披歴される論者の多くが二項対立的思考を何ら疑うこともなく、彼らの議論の前提としていることによるのだ。果たしてそうなのだろうか。

結論から先に述べるとすれば、アフガニスタンやイラクの占領統治を米国が終了したのは、もうその必要性が亡くなったからであり、そのための撤退であったということだ。そして、その撤退によって、イラクやアフガニスタンにおいて旧・反米勢力が復活したとしても、それは米国にはもう関係のないことだということである。米国はそれを予測・理解した上で手を引いたということだ。

そして、その米国の後に、たとえば中国がかつての米国の役割を引き継ぐとすれば、米国と中国との間には何かの事情が存在していると考えるべきではなかろうか。たとえば、中国は米国よりも先にイラクやアフガニスタンを占領統治することはなかったが、それは何もテロとの戦いを中国があの9・11事件によって当事者としての立場に立たされなかったということではない。

中国にはそんな力も余裕もまだなく、中国は世界の工場から一帯一路構想の実現に中国の国力を集中させる必要があったのだ。その点を踏まえて言えば、やがて、その中国が一帯一路の実現に向かう中で、中東や中央アジアの政治的安定は必要不可欠となってくるだろうから、その「露払い」とでもいうべき仕事を、米国が中国の代わりにいわば肩代わりしたとみることもできるのではなかろうか。それによって、中国とロシアの対決は避けられたであろうから。

逆に米国とロシアの対立が進展したとしても、それはロシアの対中国接近をさらに強化させるだろうから、中国主導の一帯一路構想の実現には支障ともならないだろう。中国主導の一帯一路とは、まさに「金の成る木」としての空間を中国からユーラシア大陸にかけて建設するということなのだ。

その「陸の道」と「海の道」に沿って、アフリカをはじめ世界各地からの工場移転や投資が集まってくるのは確かである。同時にまた、そうした世界各地からの中国をはじめユーラシア大陸に集結する企業や実業家、個人投資家等々に対しての投資によって大儲けをするのは、米国の世界的投資銀行(家)であるから、米国にとっても、この一帯一路構想の実現はまさに「金の成る木」なのである。

こうした文脈の下でのアフガンやイラクへの米国による侵攻作戦とその実現として、2001年からの今日に至る約20年間の歩みを振り返るとき、それは紛れもなく[[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる「システム」とその関係の歩みに貢献する米国と中国による「覇権連合」主導の占領統治であった、と私はみている。無論、中国は私たちの目に見える形では表には出てはいないのだが。

米国によるアフガニスタンとイラクによる占領統治とその下での「国づくり」は、その輪郭もいまだ見えないままに頓挫してしまった感があるのは否定できない。だが、これは米中覇権連合の共同作業の一環としての始まりを意味しているのは間違いないのだ。この点を強調することを忘れてはならない。

2005年刊の『アソシエ』に掲載された拙稿では、この点を十分に主張できないままにあった。先のB、C、Aの図式で描かれる世界地図のCに位置したイラクや、アフガニスタンの占領統治と国づくりを主導するのは、新たな「システム」の形成と発展とその強化・育成を主導するのは、本来ならばBグループの中国でなければならなかったのだ。

だが、それは先述したように、当時の中国では、その国力と対ロシアの関係から着手できないために、中国との覇権連合を担うAグループの米国が肩代わりしていたということだ。それゆえ、その結末は最初から見えていたのも事実である。とは言え、米国は、中国主導の1970年代以降から今日に続く「システム」とその関係の歩みの発展に際して、大きく「貢献」したのは疑うことのできない事実であった。

それゆえ、そのことが世界各地で悲惨な戦争をつくり出したのであり、それがイラクやアフガニスタンでのいわゆる「テロとの戦い」を導くところとなったということである。何のことはない。中国主導の「金の成る木」としての「一帯一路」の儲け話を現実のものとするための戦争だったということなのだから。

ここで読者に注意してほしいのは、何か他人事のように述べているように思われたなら、それは大変だ、ということである。。日本に暮らす私もあなたも、そして私たちも、「システム人」として、その金儲けを担い支えていることを銘記しておかなければならない。この点をユメユメ忘れてはならない。それがわかれば、今の中国やロシア、あるいは米国、そしてアフガニスタンのタリバン報道を見る目は、自ずと変わるに違いない。

 


(最後に一言)

昨日の記事もそうだが、言い訳だとして聞いてほしいのだが、投稿後に誤字脱字がたくさん出てきて訂正はしたものの、それなら初めから、もっとゆっくり見直した後で投稿すれば、とはならないのだ。申し訳ないが、判読お願いするのみ。今回記事も、何か要点のみで、細かい話にまではいかないままで終わってしまったが、それでも少しはお伝え出来たのではあるまいか。次回も、この続きを話してみたい。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アフガニスタンにおけるタリ... | トップ | 「米国対中国」の「二項対立... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事