日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(修正版)私の語る「システム」論から、「日本外交」を見直すときー今こそ日米安保条約と並び、日中安保条約の締結とアジアにおける日本の「緩衝地帯」化の実現を目指すべきー

2021-04-08 | 日記

(修正版)私の語る「システム」論から、「日本外交」を見直すときー今こそ日米安保条約と並び、日中安保条約の締結とアジアにおける日本の「緩衝地帯」化の実現を目指すべきー

(最初に一言)

少し文章を手直ししたことを断っておく。それで、修正版と記事のタイトルの前に追加した次第。

日本の首相の訪米を目前にして、マスコミ報道が喧しくなってきた。聞いていて思うのは、米国に対する「忖度」話だということでは、ほとんどみな同じだということである。それは立場上、仕方がないとしても、寂しいものであるのは間違いない。


それにしてもなのだが、その報道の仕方には恥ずかしさを禁じを得ない。米国の大統領が今年になって初めて謁見を受けるリーダーがなんと日本の首相だと、はしゃぎまわるかのような物言いがやけに耳に響く。正直、耳障り以外の何物でもない。これほどまでに子分として仕え続け、在日米軍基地をはじめとして、米国が欲しいと要求する品々を与え続けてきたはずの日本に、わざわざ会ってやるから出て来いと言われている様を、世界中にさらし続けているのだから。

わざわざ出かけていく必要もないのだ。このコロナ禍の大変な時期を考えれば、いくらでも断れたはずなのに。たとえ親分に忖度するのは必要不可欠だとしても、あまりにも芸がなさすぎるのではあるまいか。これほどまでに、親分の使い走りを嬉々としてやることはないのに、もう自ら進んで米国の次はインドに出かけますとのことだから、これにはもう絶句ーーー。

今の一連の流れは、日本外交とか日本の「国益」に関連したものではなく、すべてが個人プレイというか「私人」の見えとかメンツというか、その欲求を満たすためのものにしか見えないのだ。首相になったのだから、せめて一度くらいは首相の立場で何々がしてみたい云々のオンパレードのようで、また将来の出世のために、そこに取り入ろうとする金魚の糞たちがいっぱいで、もう気色悪いのを通り過ぎている。

「子分」たる日本の外交を、もっと世界に喧伝することが日本には望まれているのではあるまいか。世界は勿論、そう見てきたし、見ている。アジアの人たちは冷ややかに観察している。だが、日本と日本人は、自らの口で、私たちは米国に言われるままに使えざるを得ない哀れな子分としての役割を担い続けてきたとは、決して言わないままなのだ。実際の振る舞いは、その逆であった。

日本と日本人は、自分たちの実際の姿を勘違いしたままで、大親分の米国には追随した存在ではあったとしても、アジアにおいては、中国に対して、インドに対しても互角かそれ以上の力を有している親分の存在だとみているのだ。これほどおめでたい見方はないし、そうした夜郎自大の態度は、遠からず、危険極まりない事態に日本と日本人を導くのは必至となるだろう。こうした当然ともいえる今日の世界の「常識」を、メディアに登場する御用学者ならぬ御用役者たちは、決して語らない。

そんな日本と日本人がどうしてアジアで偉そうな顔をして出しゃばろうとするのか。隅の方で生きるべきなのだ。世界に向かって語るべきなのだ。自分たちは「子分」としての生き方しか知らないし、これまでずっと米国の親分に従うしかなかった。今の国際環境は、もはや米国一辺倒では立ちいかないし、中国の台頭は看過できない現実である。

尖閣諸島をはじめ、中国の進出に日本は何も対抗できないのが現状だ。米国との安保条約の下で、なんとか日本は防衛に努めようとはしていても、米国も踏み込んで日本と日本人を守ってはくれない。さりとて、中国も、尖閣諸島への侵入をやめようとはしないから、日本は米国に頼るしかないのだ。しかしながら、そうすることによって、日本と日本人は今後ますます厄介な事態に直面し続けるに違いない。何しろ太平洋と日本海を挟んで、二つの大親分に接して生きていかざるを得ないからだ。そんな両親分に対して、日本が選択できるのは子分としての立場以外に他にはない。米国に対しても、中国に対しても、子分として使える以外に生きるすべはない。

そうした現実を踏まえた上で、世界に向かって、以下のように発信すべきなのだ。すなわち、今の東アジア・アジア情勢を踏まえるとき、日本は両親分に対しての子分の立場から、どちらにもくみせず、静観していくのが賢明であると自覚している。それゆえ、日米安保条約と同様に、日中安保条約の締結を模索している。日本は平和憲法を掲げていることから、日本をアジアにおける「緩衝地帯」とすることを目指している、と。

こうした「宣言」を世界に向かって発するべきなのだ。今の首相は、訪米前にそれを日本のマスコミに語っておくことが大事である。子分として、何もできないわけではないし、子分としての自覚や認識を深めれば深めるほどに、逆に、やれることの多さにも気が付くのではあるまいか。


(最後に一言)

今回の話も「戯言」の域を出るものではない。「金の成る木」としての「システム」はそんな戯言話が現実になることを許さないに違いない。それが証拠に、日本の首相を使って訪米させようとしている。そしてその米国を使って中国を包囲しようとしている。その中国はイランとますます仲良くしようとしている。その両国とロシアが連携して、米国包囲網を、逆に作ろうとしている。そうした仕組みに、サウジアラビヤを始めとした中東諸国、さらにはアフリカ諸国が巻き込まれていく。

こうして軍事防衛産業とその関連企業が設けるような仕組みが。手を変え品を変えて準備されていく。そのために、先の米国を中心とした包囲網の形成と中国を中心とした包囲網の形成に向けての「演出」は「システム」に必要不可欠なものとなる。それはそうだとしても、演出が。次にあからさまな実力行使となる可能性はいつも否定できない。そしてその戦争さえも、「システム」からすれば、「演出」に他ならないのだから、とてもやりきれないのだ。

それゆえ、こうした点を鑑みるとき、私は今回の記事で従来の日米安保条約と並び、日中安保条約の締結を基にした、アジアにおける日本の「緩衝地帯」化構想を、「日本」と「日本人」が「システム」内で担うための「演出」として提案した次第である。「ブラック・ユーモアー」のつもりはないのだが、日本外交のレベルを前提とすれば、緩衝地帯どころか、米中にやりたい放題されるのがオチのようで、なかなか厳しいものだ。それでも、こうした方向しか、残されてはいない、と私はみている。

 

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