日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、

2024-09-10 | 日記

私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、改めて読者と再考するとき


(最初に一言)


 最近の私は絶不調だ。その理由は簡単。自民党と立憲民主党のリーダー選出を巡る「あちら側の彼ら」の提供する情報があまりにもお粗末すぎるからだ。何度も言うように、その理由も簡単。「システム」に都合のいいように情報は創造され操作されるから。それを踏まえてもなお、私の身体から気力が失われていくのがよくわかる。たとえ、「こちら側の私たち」に私は属しているのだと思い込ませたとしてもである。そんな中、今日の「ヤフージャパン」のトビックス一覧の中で是非とも読者に紹介しておきたい記事があったので、今回はそれについて述べておきたい。




 その記事とは、布施 祐仁氏による〈「米国に見捨てられる…」安倍・岸田の恐怖が生んだ「戦慄すべき」日本の末路「もはや米国のミサイル基地」〉(9/10(火) 6:49配信 『現代ビジネス』)と、野口 悠紀雄氏による〈2040年、中国のGDPは「日本の10倍」に…!多くの日本人がまだ気付いていない、その時起こる「重大で深刻な問題」〉(9/10(火) 6:04配信 『現代ビジネス』)である。読者には直接、それら二つの記事に目を通してほしいものである。


 私が残念に思うのは、今回の自民党と立憲民主党の代表選に名乗りを上げた候補者すべてがここに紹介した二つの記事において論者が強く抱いている危機意識を共有できていないという、いわばこれまでの我が国の歩みを踏まえれば当然の帰結であるといえばそれまでの話ではあるとしても、彼らの中の誰かがこの国の指導者となることを想像したとき、なんとも言えなくなってしまうのだ。昨日のこと、高市氏が代表選に出るとのことで、市の公約めいた主張をしていたのを聞きながら、どうしてこんなに平気で嘘八百の話ができるのか、と私は苦笑せざるを得なかったのだ。高市氏には布施氏が日本に感じているどうにもならない危機感などおそらくは皆無なのかもしれない。これは、自民党の他の候補者にも共通しているだろうし、立憲の候補者にも該当するのではなかろうか。


 彼らは、親分の米国には逆らうことはできないし、それ以上に、彼らと米国は一蓮托生の道しかないとズルズルベッタリの形で生きてきた、さらに付言すれば、かくいう私も結局は、彼らに追随しながら生きてきたのである。無論、彼らにはもはや今更引き返すことなどできない相談であるとみた方がいい。私がここで言わんとしているのは、もしそうであるのならば、それを「正直に」国民に伝えるべきだということなのだ。ごまかしてもどうにもならないだろう。布施氏が記事で論述している重要な内容を、私たち国民の前にさらけ出して、それを踏まえながらわが党は、私が指導者となればコウコウシカジカの対策・対応を取る云々とあるべきではあるまいか。だが、これは所詮は無理な話だ。それゆえ、国民の方がしっかりしなければならないのだが、これまた無理な話となれば、やはりあんな候補者しかいないというのも、これまた致し方なかろうか。


 書いている途中でまたまた記事をボツにしようかとの思いが強くなってきたが、それは今回は何としても避けて、何とかもう少し書き進めなければとの思いで、とにかくゴー。この布施氏の記事での強調点を踏まえるとき、もはや私たちというか、こちら側の私たちには、何ともし難い窮地に追いつめられるしかないのだが、それでも今回記事で紹介した野口氏の論考の内容に目を通すとき、その中に、ひょっとしてこちら側の私たちの生き残る術になるようなヒントが見いだせるかもしれない。行論の都合上、ここで野口氏の最後のほうのくだりを引用張り付けておきたい。




ーーー


同盟関係を実際に機能させるためには条件が必要
以上のような危惧に対して、いかに中国の軍事力が高まったところで、現実の世界で、中国が日本に対する脅威になることはない、と考える人が日本には多いだろう。


その根拠として、日本とアメリカの同盟関係が、こうした緊張を平和的に解決するための重要な要素になっていると指摘するだろう。実際、1951年に締結された 日米安全保障条約第5条には、日本に対する武力攻撃が発生した場合に、アメリカが自衛権を行使して日本を防衛する義務があると明記されている。したがって、中国の要求が武力行使を伴うものであれば、アメリカは条約に基づき日本を守るための行動をとらなければならない。また、アメリカは、経済制裁や外交的な圧力を通じて、中国に対して国際的な圧力をかけ、中国の行動を抑制するだろう。


ただし、実際の対応は、事態の具体的な状況や国際的な反応、アメリカの政府の判断によって異なる可能性がある。


だから、アメリカや他の自由主義諸国との連携や支援を実際に受けるためには、日本が「守る価値がある国」と認識されることが必要だ。


日本の戦略的な価値は高いといえるか?
では、日本は、そうした認識を獲得できるものを持っているだろうか?


それは、軍事に直接関係する産業や技術でなくてもよい。例えば、最先端の医療技術で、どうしても他国が追随できないようなものがあれば、それは日本にとって強力な取引材料になるだろう。また、独自の産業を持つことは、日本の国際的な位置づけを強化する上で有利だ。


ただ1つでも日本がそういうものを持っていれば、それが大きな力になる。しかし、そうしたものを日本は持っているのだろうか?


台湾の半導体産業や韓国の産業力は、グローバルな供給チェーンにおいて非常に重要だ。では、日本には、それに匹敵するものがあるだろうか? 改めて見渡して見ると、何もない。ゾッとするような状況だ。


現実の日本は、台湾の半導体製造会社TSMCの工場を日本に誘致できたと喜んでいる状態だ。最先端でなく、時代遅れの工場なのに……。


日本が持っている技術や産業が、他国と比べて「守る価値がある」と認識されなければ、安全保障におけるリスクは高まる。日本は経済大国であり、技術力も高いと言われてきた。しかし、それは1980年代頃までの話だ。現在の日本がどういう状況になっているかを、図表1をもう一度よく見て、改めて認識すべきだ。


ーーー引用貼り付け、終わり。


 上に紹介したように、日本が世界から見て守る価値のある国として存在するにはどうすべきなのか。野口氏も言うように、それは別に傑出した産業上の技術だけではあるまい。私は以前の拙著『覇権システム下の「民主主義」論 何が「英霊」をうみだしたか(御茶の水書房 2005年)の中で、私の暮らす愛媛県の安全保障を考えた場合、その愛媛県に世界中からの移民や難民を受け入れることで、軍事的衝突や攻撃から少しでも防衛できるのではないかとの観点から論をまとめたことがある。これについては、〈終章 「愛媛(伊予)人」の「愛媛(伊予)人」による「愛媛(伊予)人」のための「民主主義」を創造するために〉を参照されたい。


 そこではそこに暮らす人々が農林水産業に携わりながら、自らの「衣食足りて礼節を知る」の営為の関係を作り上げることを強調していた。このブログ記事においても、いろいろなところでそれに関する話をしているのだが、今回紹介した野口氏の論考は、その意味で私に貴重な示唆を与えてくれた。感謝を申し上げたい。もしも、こうした試みを実践する中で、歴史や宗教や民族・人種の異なる人々の集合する空間が、私たち人類に対して希望の松明を灯すとき、それは世界から見ても守るべき価値のある空間となるのではあるまいか。




(最後に一言)


 何とかここまでたどり着いたという感じだが、あまりにも面白くない話ばかりが続くせいなのか、これではダメになるとわかっていても、なかなか心身の状態は良くはならない。それでも世界には大変な苦労や思いをしながら生きている人も多いのだから、私もシャンとして生きなければーーーーー。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (訂正・修正版)私の語る「... | トップ | 私の語る「システム」論から... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事