「感じる心」が自然に反応して、「良かった」という、ただ、それだけだったのだが。
今日の朝に投稿した「下書き」の記事を削除した。悪しからず。私も何も確かめないままに、記事を書き、投稿したから、悪かったのだが。
「いいものはいい」、ただそれだけの話なのに、後から何か聞きたくない、見たくない者がどんどん増えてくるから、辛いよなぁ。
「いいなぁ」という「感じる心」が働くだけで、それを創り出す者に、障碍があろうがなかろうが、学歴があろうがなかろうがは、まったく関係のない話。
どんなに努力しても、叶わぬ夢は、できないことは、それこそたくさんあるし、嫌になるほど絶望するしかない。そして、どうにもならないで、野垂れ死にしてしまうとしても、それはそれ。
ただ。黙々と生き抜くだけ。その姿こそが、私には何にもまして尊い、掛け替えのない生き方、生きる姿なのだ。ただ、それだけ。
世の中に受け入れられて、評価されれば、それは、それで面白いことだろうが、受け入れられない定めにあると悟れば、その定めに従って生きるしかあるまい。
「森」さんは駄目だが、「橋本」さんは認めてしまう、そんな世の中に評価されたとしても、それはバカにされているという証(あかし)以外の何物でもなかろう。
ただそれだけの世の中ということだけ。それはそうなのだが、何か気分は悪いよなぁ。まぁ、そんなこんなで生きていくしかないだろう。今日の記事は、自分に言い聞かせているような、いやそうだよ、そうなんだ。