日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

村田邦夫のヨモヤマ談義⑨-私の語る「システム」論から、「二度と戦争を繰り返さない」との「嘘」を繰り返さないために、「日本と日本人」の「衣食足りて礼節を知る」営為の実現の在り方について、考えるとき

2020-08-15 | 日記
村田邦夫のヨモヤマ談義⑨-私の語る「システム」論から、「二度と戦争を繰り返さない」との「嘘」を繰り返さないために、「日本と日本人」の「衣食足りて礼節を知る」営為の実現の在り方について、考えるとき

私たちはこれまで戦後一貫して「嘘」を言い続けてきた、「二度と戦争は繰り返しません」という嘘を。と言うのも、私たちの「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現は、戦前も戦中も、そして戦後も「システム」が提供する「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為に与り続けてきたからである。

換言すれば、覇権システム、世界資本市議システム、世界民主主義システムの「三つ」の下位システムから成る「一つ」の「システム」の中から、一歩も外に足を踏み出すことはなかったからである。この「システム」こそ「金の成る木」であり、そのために「戦争」を繰り返すのをその「業務」としてきたからである。

その意味では、私たちは、いつも戦争状態の中に置かれているのである。「システム」の中で生きることは、「戦争」と「平和」が同じコインの裏表の関係を成しているセカイ・世界の中に生きていることを意味している。それは、例えば、日本と日本人には「平和」だと理解されるセカイ・世界であっても、別の国とその国民には「戦争」を意味しているということなのだ。

それゆえ、日本と日本人には、どれほど激しい戦闘が中東で行われていても、涼しい顔をしながら、「平和な日本に生きていることに感謝する」云々の言辞を、広島・長崎への「原爆投下」、「終戦」に関わる定例の儀式において、弄することができるのではあるまいか。

日本と日本人は、そんな中東から石油を輸入しているが、その油井地域と輸送ルートを米国海軍や空軍、そして陸軍によって守られていることから、またその米国の軍事力の行使が中東の欧米諸国に対する抗議や反乱を抑え込んできたという意味で、いわゆる日本の「衣食足りて」の営為は、覇権国の米国の圧倒的暴力の展開の下で実現されてきたことを鑑みるとき、日本の「礼節を知る」営為の実現には、つまり自由や民主主義や平和の実現には、中東諸国のおびただしい人々の血塗られた歴史が組み込まれていたという意味において、戦後も、戦争状態の中で生きてきたのではあるまいか。

もし、「本当に」、二度と戦争を繰り返さないというのであれば、日本と日本人の「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現の在り方を、それこそ真剣に問うことが大事だろう。そのためにも、私たちが先ずは「システム」の中にからめとられて生きているという現実を自覚、理解する必要がある。

それを理解すれば、日本と日本人の「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現が、どれほど絶望的で、困難な試みであるかに気が付くに違いない。と言うのも、私たちがそれこそ、幕末の開国以降に組み込まれた、{[A]→(×)[B]→×[C]}の「システム」は、とても強固で、容易には日本の試みを許さないのは明らかであると同時に、「あの戦争」へと至った経緯を踏まえるならば、さらに八方ふさがりの感が強くなる。

日本と日本人にとっての「あの戦争」は、「システム」の外に出ていくための戦争では決してなかったのだ。「システム」のBからAへと這い上がろうとした結果の戦争であった。それを鑑みれば、「システム」の外へ足を踏み出すことによって、いかなる深刻な事態が導かれるのかを考察することは、それほど簡単な話ではあるまい。

しかしながら、それにもかかわらず、今からでもその道を進むことを、私は強く訴えたいのだ。ここにあの「不協和音」の歌が聞こえてくるかもしれない。勿論、「システム」の機嫌を悪くしないで、逆鱗に触れるやり方は避けなければならない、それこそ「してはならない」のだが、それでは「してもいい」ことは何かを提示しろと求められるとき、私の頭の中には、あまりいい考えは浮かんでこないのだ。

確かに、拙著やこのブログ記事でも、第1次産業を中心としながら、その周りを第2次、3次、4次、--産業が取り囲む形の「衣食足りて」の営為の在り方を提案していたと同時に、これまでの「礼節を知る」営為とは異なる[礼節]に関して語っていた。

私は、この路線しか、「1(%)対99(%)」の構図にある「99」の日本人と、その彼らが担う日本が生き残る道は、それ以外にはあるまい、と確信するのだが、問題となるのは、残りの「1」の日本人が、世界の「1」の人々と結びついて、私の推進したい「生き残りのための策」を、葬り去ることに、積極的に手を貸すことなのだ。

私はここで、1950年代の中国での近代化を巡る梁漱溟と毛沢東の路線対立を思い浮かべる。前者は第1次産業を前提とした路線に対して、後者は第2次産業を前提とした路線で対立した。その結果、勝利したのは毛沢東の工業化路線であったが、それは「システム」が勝利させたことは間違いない。

同じように、21世紀の「システム」は、かつてのAの先進諸国に、第3次の金融・サービス化産業を中心として、そこからさらに、、第4次、5次、ーーーと、産業の高度化を辿る路線を推進させるだろうから、私のような生き残り策は、結局は踏みつぶされるのは必至だろう。

しかしながら、そうした路線は、私たち日本と日本人を、これまで以上に「システム」に対して、がんじがらめの状態となるように強いることを意味している。忘れてはならないであろう。「システム」は「金の成る木」であり、そのために、いつも「システム」には戦争が組み込まれていることを。そして21世紀の「システム」はそれ以前の「システム」とは異なり、戦争の破壊力を、さらに強めていることを。

そうした状況・状態の中で、「二度と戦争は繰り返しません」との式典での誓いは、もう単なる嘘を超えて、生きている私たちの死者に対する「冒とく」以外の何物でもあるまい。それゆえ、21世紀のこれからの式典に私が望むのは、「システム」の中で、私たち日本と日本人が、コインの裏表の関係ではない「平和」を実現するためには、どのような「衣食足りて」の営為が、またその営為と呼応した、いかなる形の「礼節を知る」営為が求められるのかに関する「発表会」であってほしいということなのである。21世紀を担う若人の叡智が、必ずや新たな展望を開くことを、私は信じて疑わない。

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