日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「南北問題」に代表される世界の「(経済的・政治的)格差」問題の「考察」は、ウォーラーステインの説く「世界資本主義システム」の次元に、もっぱら限定されるものではない。そうした資本主義の次元に加えて、

2020-07-04 | 日記
「南北問題」に代表される世界の「(経済的・政治的)格差」問題の「考察」は、ウォーラーステインの説く「世界資本主義システム」の次元に、もっぱら限定されるものではない。そうした資本主義の次元に加えて、世界民主主義システムと覇権システムの問題が、「三位一体」的に相互補完的関係を構成する「システム」の次元から捉え直す必要がある。ー私の語る「システム」論から、ブローデル、ウォーラーステインの「資本主義」理解を捉え直すとき(続)

私たちの歴史教育において、私が不思議に思うことの一つは、1789年の「フランス革命」を境に、突如として、「国民国家」が誕生すると同時に、普遍的人権宣言がなされた云々の話である。

意地悪な話をするのだが、それでは数年前の国民国家誕生に至る時期は、はたしてどのような形(状態)にあったのだろうか。この問いかけは、「主権国家」の誕生においても、同様になされるものである。

普遍的人権宣言がなされる前の数年間には、いわゆる百科全書派と呼ばれる人たちの啓蒙運動の時期があったとされるのだが、それ以前にも少しずつではあるが、社会における何らかの「啓蒙」運動は存在し続けていたのではあるまいか。

私のモデルで描く「システム」は、そうした「民主主義」と呼ばれる動きを、大航海時代以降から、あるいは、それ以前の時代から、「類推」することを可能とさせるのである。それは、どの時代にも、「衣食足りて礼節を知る」営為は日々、実践されているだろうから、「礼節を知る」営為の実践活動の中から、先の啓蒙運動や、普遍的人権宣言の公布といった流れを捉えることができるのではあるまいか。私たちの「礼節を知る」営為の実践活動から理解できるのは、「奴隷の売買」を当然とする、そうした「人権」における「段階」を示していたことを、理解できるであろう。

なお、以下では、「衣食足りて」、「衣食足りて・足りず」、「衣食足りず」の営為という場合は、それらは「資本主義」に、また、「礼節を知る」、「礼節を知る・知らず」、「礼節を知らず」という場合は、それらは「民主主義」に、それぞれ置き換えて使用していることを、ここでも断っておきたい。同時に、「資本主義」という場合、読者にはそれらが「衣食足りて」、「衣食足りて・足りず」、「衣食足りず」の営為に、また「民主主義」という場合、それは「礼節を知る」、「礼節を知る・知らず」、「礼節を知らず」の営為に、それぞれ置き換えて、私が語っていることを想像してほしいのである。

ところで、私が、「システム」論にこだわるのは、世界資本主義システムの次元だけから、「資本主義」を描くことはできないと考えるからである。ブローデルがたとえどんなに詳細な「資本主義」に関する資料を収集して、そこから資本主義の勃興の歩みを描いたかのように、歴史学研究者が称賛したとしても、私からすれば、それはやはり全体像に遠く及ばない資本主義分析であったと言わざるを得ないのである。

私のモデルで描く「システム」からみるとき、たとえ資本主義を語る際も、覇権システム、世界民主主義システムとの三位一体的な共時態関係を前提とする全体像を基にしない限りは、なんら資本主義を語ったことにはならないのである。その意味においては、I・ウォーラーステインの世界資本主義システムもまさに然りなのである。

こうした指摘は、「民主主義」研究にもそのまま跳ね返ってくるのである。覇権システム、世界資本主義システムとの三位一体の共時態関係を前提としない限り、そもそも「民主主義」の実現は、すなわち「礼節を知る」営為の実現は、不可能であったからである。それゆえ、私からすれば、民主主義に関する研究のほとんどすべては、書き直される必要ウがあるということである。使い物にならない代物がほとんどなのだ。

たとえば、「民主主義」に至る過程を「民主化」として位置付け、それを測る物差しをR・ダールの言う「ポリアーキー」なるものに求めてしまうことで、そもそも民主主義や民主化の分析・研究に最低限必要な主権国家とか国民国家という器を、最初から民主主義や民主化の実現には関係のないものとして、排除してしまうのである。さらには、資本主義との関係、覇権システムとの関係からも、無縁の存在であるかのように、民主主義や民主化をある種、神棚に祀り上げてしまうのである。これは、先のブローデルやウォーラーステインの資本主義理解とも共通してみられることなのである。

こうした社会科学や人文科学の研究者による資本主義や民主主義の理解の仕方が、高等教育を介して、社会に広がっていくことは、そしてそれらが「常識」となってしまうということは、私たちの社会にいかなる影響を及ぼすのだろうか。

私は拙著(『21世紀の「日本人」---』)において、経済発展と民主主義の発展の関係を、「衣食足りて礼節を知る」営為の関係として捉え直す必要性を論じたことがある。その理由は、経済発展を実現することが直ちに民主主義の実現をもたらすことはないとか(こうした論を主張する論者は、不思議なことに、民主主義の実現をもたらす経済発展の在り様は何か、あるいは、経済発展が民主主義の実現に向かわないとき、それでは民主主義のどこに問題があるのか等々には触れないのである。彼らが「一国枠」を前提としていることに対する疑問や、ましてや「関係枠」の可能性などに思いも至らないのだが。)、あるいはインドは経済発展が遅れている(それはインドの貧しさにつながっている)にもかかわらず、インドは世界最大の民主主義国だ(そのことは裏返せば、たとえ今日のような格差社会であっても、中國とは違い、民主主義の社会であることには変わりはないと済ませてしまい、格差社会をつくり出さない民主主義社会とは何か、あるいは、そもそも、格差社会と民主主義の関係性を問い直すことの必要性に、研究者が気が付かない現状を物語っているのだが。)云々の議論に接するたびに、私はその種の語り口の問題点を、換言すれば、そのような論を平気で論じることを許してしまっている社会科学の在り方に対して、不満を禁じを得なかったのである。

確かに、経済発展というか資本主義と民主主義を、各々独立した次元で取り扱うのは可能うだが、また、それを私たちは当然のこととしてきたが、両者をセットとして位置付けるのは、私たちの日常の生活においては、自然のことではあるまいか。すなわち、「衣食足りて礼節を知る」営為を、「セット」として語るのは、普通の見方であろう。「衣食足りて」の営為と、「礼節を知る」の営為は、切り離されて議論されるものではなくて、両者の営為を一つの流れとして位置付けることは、無理のない思考方法である、と私は理解するのである。

「衣食足りて礼節を知る」営為を「基準として、そこから逆にそうではない衣食と礼節の営為の関係とその問題点を探究する方法は、それとは異なり、両者を別個の次元に区分する思考法(やり方)と比較して、はるかに有意義かつ有益な論議を可能とさせるのではあるまいか。

さらに、私たちが生きている環境を見回すとき、そこには私たちの命と暮らしに関わる安全保障の問題を無視するわけにはいかない。すなわち、私たちは、個人レベル、集団レベル、国家間レベルにおいて、「力」と「力」の暴力関係の中で生きている、生きていかざるを得ないという現実問題を避けては通れないのである。この暴力関係の頂点に位置づけられるのは、覇権国を頂点として、その他の中心国8先進国グループ)、半周辺国(中進国グループ)そして周辺国(後進国グループ)との間につくり出された覇権システムの存在である。

こうした覇権システムの中で、それを前提としながら、私たちは日々の「衣食足りて礼節を知る」営為の実現に努めていることを理解したならば、[衣食足りて]の営為の実現と、「礼節を知る」営為の実現と覇権システムの関係は、いつも共時的な三位一体の関係として理解しない限り、私たちの「衣食足りて」の営為に関する、つまり資本主義やその経済発展に関する話は、どうしても一面的な性格を免れなくなるだろう。

同様に、それは「礼節を知る」営為の、すなわち民主主義の実現に関する分析においても、一面的性格を免れない。さらに、覇権システムに関しても同じことが言えるだろう。私は、こうした分析視角と分析枠組みを基にして、ブローデルやウォーラーステインの資本主義理解に向き合うとき、やはり何か足りないものを感じてしまうのである。彼らの資本主義理解を前提とするとき、私たちの命と暮らしの安全保障が十分なものとはならないのではないか、と私は言わざるを得ないのである。

ここで、行論の都合上、私の「システム」に関するモデルを紹介しておく。なお、以下でも触れているように、ここでは〈通時的モデル〉は省略している。詳しい「システム」の全体像に関するモデルは、拙著(『21世紀の「日本」とーーー』)所収の88-91頁を参照されたい。

【「システム」の全体像】
*なお、モデルは共時態関係モデルである。ここでは、「通時的モデル」は省略している。

(1970年代までの関係モデル)

〈AからB、そしてCへと配置される関係〉

{[Aの衣食足りて礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず礼節を知らず]}

〈CからB、そしてAへと配置される関係モデル〉

{[Cの衣食足りず礼節を知らず]→[Bの衣食足りて・足りず礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りて礼節を知る]}

(1970年代以降、今日に至る関係モデル)
*なお、モデルは現実の歩みに該当していない。2040,50年代頃の世界の歩みに該当するモデルである。

〈BからC、そしてAへと配置される関係〉

{[Bの衣食足りて礼節を知る]→[Cの衣食足りて・足りず礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りず礼節を知らず]}

〈AからC、そしてBへと配置される関係モデル〉

{[Aの衣食足りず礼節を知らず]→[Cの衣食足りて・足りず礼節を知る・知らず]→[Bの衣食足りて礼節を知る]}


さて、ブローデルも、またウォーラーステインも、上に示した私のモデルで描く「システム」である全体像の中にある、「Aの衣食足りて」→「Bの衣食足りて・足りず」→「Cの衣食足りず」あるいは「Cの衣食足りず」→「Bの衣食足りて・足りず」→「Aの衣食足りて」〈ここでは、(1970年代までの関係モデル)を使って説明しているいる〉で示している資本主義の世界的関係だけを、例えば、ウォーラーステインは、「世界資本主義システム」と呼んでいるのだが、これではほとんどシステムの全体像の話には行きつかないままなのである。

それは、「松岡正剛氏の千夜千冊」で紹介されているブローデルの資本主義理解に関しても同様なのである。私の「システム」論に依拠して述べるならば、ブローデルの「資本主義」理解も、ほとんど何も語ってはいないことになるのだ。「システム」の全体像のモデルに示しているように、資本主義に関する物語は、世界民主主義システムと、覇権システムの関係を共時的に三位一体的関係を下にすることによって、初めて、資本主義システムとは何であるのか、民主主義システムとは何であるのか、覇権システムとは何であるのか、といった各々の「システム」の歴史的役割と各々の歴史的制約とそれが抱える問題点を理解できる、と私は考えるのだ。

*松岡氏によるブローデルの資本主義理解についての紹介を、上記の記事から引用しておく。その関連から、ウォーラーステインの紹介も、引用しておく。

(1363夜)「物質文明・経済・資本主義|全6巻
ーーー(中略)
 こうしてブローデルの言う「資本主義はつねに資本主義自体よりも大きく、その固有の運動の上に資本主義を支え、資本主義を高く持ち上げている全体のなかに位置する」ような資本主義が、ここにもはや後ずさりすることなく定着していったのだ。

(中略)

 ブローデルが長大な記述と思索を通して、資本主義の特性として抜き出したのは、過不足なくいえば次の三つのものにかぎられている。

 ①資本主義は国際的な資源と「機会の搾取」の上に成り立つ。ということは、資本主義はどんな部分であっても世界規模なのだ。これを支えるのはあらゆる意味での交換市場である。
 ②資本主義はどんな激しい非難にもめげず、つねに頑なな合法性をもとうとするか、ないしはその合法性を独占しようとする。そこには交換市場のはたらきの多様性はない。だから、資本主義的経営組織はつねに市場を出し抜こうとするしかない。
 ③資本主義は、経済活動のすべてをそのシステムの中には取りこめない。資本主義はたえず経済活動の頂点をめざそうとするものであって、それ以外のものではないということだ。

 資本主義は市場の自由によって育まれてきたのでは、なかったのである。資本主義は市場を出し抜きたくて、ブルートに競争社会を生き抜いてきたものだった。なぜそうなったかといえば、「交換」には二つのタイプがあって、競争原理がはたらくカジュアルでストレートなものと、高度にしくまれた反市場的なものがあり、この後者によって資本主義は化け物のように発達したからだった。
 ブローデルが見つめたこと、それは世界が物質生活に依存するかぎり、資本主義はそれをいくらでも養分にして肥大していくということだ。そして文明は、つねに肥大したもののほうに積状化していくということである。戦争があろうが、殺戮があろうが、遺伝子組み替えがあろうが、である。経済文明というものは、政治や文化の頽廃など平ちゃらなのである。ーーー

(1364夜)史的システムとしての資本主義

ーーー資本主義は歴史的なシステムで、かつて歴史的にシステムといえるものは、唯一、15世紀に発して今日につながる資本主義しかなく、それは「世界システム」となった資本主義だけである。

 これがウォーラーステインの言い分だ。あっけないほど、きわめて明快。それに頑固だ。だからこれ以上、何も付け加えることがない。
 まあ、それではそっけないだろうからあえて説明すれば、「世界システム」というのは、資本制的な分業がゆきわたっている地域・領域・空間にほぼあてはまるもので、その内部には複数の文化体が包含されている。
 この世界システムは歴史的な流れでみると、本来ならば、ローマ帝国やハプスブルク帝国やオスマントルコ帝国のような政治的に統合された「世界帝国」になるか、もしくは政治的統合を欠く「世界経済」になっていくはずのものである。
 一言加えれば、世界帝国は「貢納」のかたちをとりながら辺境の経済的余剰を中核部に移送して、そのシステムの完成をめざしていく。他方、世界経済のほうは「交換」によって経済を拡張していくのだが、そこには世界帝国のような大きな官僚機構を支える必要がないぶん、しだいに余剰がシステムの成長にまわっていくようになる。
 したがって近代以前の世界システムはその成長プロセスで、たまたま世界経済めくことはあったとしても、まもなく政治的に統合されて、たいていは世界帝国に移行してしまう。たとえば産業革命をおこして巨大化したかに見えた大英帝国時代のイギリス経済も、資本主義の条件をいくつも発揚していたとはいえ「植民地をもった国民経済」であるにすぎず、資本主義が体現された世界システムとしての「世界帝国=世界経済」ではなかった。
 これに対して15世紀末から確立していったヨーロッパの世界経済こそは今日にいたるまで、ついに世界帝国化することなく、史的システムとしての世界経済をほしいままにした。
 ウォーラーステインが言うには、これが、これだけがヨーロッパ全域を背景として確立された世界システムで、それこそがイギリスを呑みこみ、オスマントルコやロシアを呑みこみ、その他の地域の経済活動を一切合財吸収して、しだいに史的システムとしての資本主義、すなわちヒストリカル・キャピタリズムを完成させていったというのである。ーーー

(以上、ここまで、松岡正剛千夜千冊の引用紹介)


たとえば、(1970年代までの関係モデル)に示されているように、{[Aの礼節を知る]→[Cの衣食足りず]}または、{[Cの礼節を知らず]→[Aの衣食足りて]}にみられる、資本主義と民主主義の関係、そうした両者の関係が展開される覇権システムとの関係といった問題は、最初から問うことができないのである。この他にも様々な共時的関係が見いだされるのだが、ここではこれ以上は触れないでおく。なお、詳しい話は拙著で紹介しているので、そちらを参照されたい。

読者にわかりやすくするためにもう少し付言すると、例えば、欧米先進諸国(Aグループ)と後進諸国(Cグループ)間に見られた「南北関係」は、すなわち、北の豊かさと南の貧しさを導く原因として、Aの衣食足りて→Cの衣食足りずの関係を、私たちは指摘してきたのだが、それに対して、私が強調しておきたいのは、南北関係はそうした関係だけによって引き起こされるのではないということである。

すなわち、先の「Aの衣食足りて→Cの衣食足りず」の営為の関係の上に、「Aの礼節を知る→Cの衣食足りず」の営為の関係が相互に関係しているということである。さらに、こうした資本主義と民主主義の関係の上に、AによるCに対する「親分ー子分」関係としての「暴力(帝国主義)」関係が加わることである。Aの暴力がCの抵抗・反抗(異議申し立て)を抑圧・鎮圧するという関係である。それを私は、{[A]→[C]}に示される{ }で表すのである。つまり、覇権システムとして描かれるものである。なお、[ ]の記号は、主権国家、国民国家を示している。

これらの三つの相互補完的な「三位一体」的関係の存在を介して、Aの先進国グループとCの後進国グループの間に南北関係がつくり出されていくのである。つまり、南北関係は従来のように、もっぱら、資本主義の、ウォーラーステイン流に言えば、世界資本主義システムの関係から説明することはできないのである。

そこには、AとCグループ間における民主主義(「人権」「市民的自由」における「格差」)の関係とAとCの間における「力」と「力」の「親分ー子分」の「暴力(帝国主義)」の象徴としての」覇権システム関係が、相互に密接に絡まり合って、つくり出されていることに、私たちは真摯に向き合うべきなのである。それらを踏まえて言えば、{[Aの衣食足りて礼節を知る]→[Cの衣食足りず礼節を知らず]}の関係として描かれよう。なお、ここでは、Bグループは、話を分かりやすくするために含めてはいないことを、断っておきたい。

ところで、上で紹介した松岡正剛氏によるウォーラーステインの資本主義の見方にもあるように、ウォーラーステインは、すべての事象を資本主義が、つまり世界資本主義が包含しているかのように、歴史を語っている、と私はみている。彼からすれば、世界民主主義システムも、覇権システムも、さらには「システム」それ自体も、資本主義がつくり出すかのように理解している。

本当にそうなのだろうか。資本主義に、ウォーラステインが想像するように、あたかも地球上のすべてを飲み込ませるかのようにさせているのは、世界資本主義システムの次元に限定されるものではなく、それこそ、松岡氏によって紹介された上述の、ブローデルによる資本主義に関する指摘を思い出すべきではなかろうか。

すなわち、ーーー「資本主義はつねに資本主義自体よりも大きく、その固有の運動の上に資本主義を支え、資本主義を高く持ち上げている全体のなかに位置する」ーーー、と、ブローデルが見事に指摘している「全体の中にいちする」ものこそが、私の言う「システム」という全体像に他ならないのである。私のこの全体像としての「システム」から、松岡氏が紹介しているウォーラーズテインの資本主義理解についてのくだりを、ここに再度、紹介してみる。

「---たとえば産業革命をおこして巨大化したかに見えた大英帝国時代のイギリス経済も、資本主義の条件をいくつも発揚していたとはいえ「植民地をもった国民経済」であるにすぎず、資本主義が体現された世界システムとしての「世界帝国=世界経済」ではなかった。
 これに対して15世紀末から確立していったヨーロッパの世界経済こそは今日にいたるまで、ついに世界帝国化することなく、史的システムとしての世界経済をほしいままにした。
 ウォーラーステインが言うには、これが、これだけがヨーロッパ全域を背景として確立された世界システムで、それこそがイギリスを呑みこみ、オスマントルコやロシアを呑みこみ、その他の地域の経済活動を一切合財吸収して、しだいに史的システムとしての資本主義、すなわちヒストリカル・キャピタリズムを完成させていったというのである。
ーーー

このように、松岡氏が紹介しているウォーラーステインの説く、ーーー「15世紀末から確立していったヨーロッパの世界経済こそは今日にいたるまで、ついに世界帝国化することなく、史的システムとしての世界経済をほしいままにした。」---にある、「史的システムとしての世界経済をほしいままにさせた」原動力は、私の言うところの「システム」ではなかったのか、と私は考えるのである。

そして、 ーーー「ウォーラーステインが言うには、これが、これだけがヨーロッパ全域を背景として確立された世界システムで、それこそがイギリスを呑みこみ、オスマントルコやロシアを呑みこみ、その他の地域の経済活動を一切合財吸収して、しだいに史的システムとしての資本主義、すなわちヒストリカル・キャピタリズムを完成させていったというのである。」---、のくだりにあるように、「イギリスを呑み込み、オスマントルコやロシアを呑み込み、その他の地域の経済活動を一切合財吸収して、しだいにし史的システムとしての資本主義、すなわち、ヒストリカル・キャピタリズムを完成させた」のは、「世界資本主義システム」それ自体ではなく、そのシステムを、下位システムとしてその内に組み込むと同時に、他の二つの下位システムである世界民主主義システム、覇権システムとの「三位一体」的な相互補完的関係から構成される「一つ」の「システム」であった、と私は考えるのである。換言すれば、「システム」が、ウォーラーステインの言う世界資本主義システムを使って、そのような動きを演じさせたのである。

ブローデルの資本主義理解も同様に、彼自身も認めているように、ーーー「資本主義はつねに資本主義自体よりも大きく、その固有の運動の上に資本主義を支え、資本主義を高く持ち上げている全体のなかに位置する」ーーーと、ブローデルがいみじくも指摘している「全体」を前提とした時には、松岡氏が整理されているブローデルの「資本主義」理解に関しても、「システム」の全体像との関連から、私は再度みなおす必要を感じている。この点に関しては、もう少し後の記事で述べてみたいと考えている。

こうした点を踏まえるとき、確かにブローデルやウォーラステインの「資本主義」に関する研究から、多くの有意義な実証的、あるいは理論的枠組みについての成果を手にしたことは否定できないものの、私は、そこで踏みとどまってはならない、と確信するのである。私に言わせれば、ブローデルもウォーラーステインも、「システム」の全体像を念頭においた「資本主義」(システム)に関しては、ほとんど何も語っていない、ということになるのである。

勿論、ウォーラーステインに言わせれば、なんと愚かなことを、お前は述べているのか。世界資本主義システムが、お前の言う世界民主主義システムも、覇権システムも、その内部に組み込んでいるのだ、と、言うことになるに違いない。昔、ウォーラーステイン氏の名古屋での講演会を聞きに行ったことがある。少し質問したかったので、私の前の質問者が終わるのを、ずっと待ち続けたが、30分を過ぎても終わらない。1時間くらいになると思い、私は仕方なく引き返してしまった。後でその質問者が誰かを知った。現静岡県知事の川勝氏であった。まあ、どうでもいいことだった、失礼。最後になったが、ウォーラーステイン氏のご冥福をお祈りしたい。

さすがに今回は疲れてしまった。昨日から今まで、ペインクリニックと歯科での治療以外は、食事と少しの睡眠以外は、ほとんど今回の記事に没頭していたので、さすがにきつかった。ただし、それ以上に、うれしく。充実感で満足しているところ。

それと。松岡正剛氏の千夜千冊のブローデルに関する話の中での、風呂屋と歯医者に関するくだりは、何度読んでも面白い。もう何年か前に、ブローデルに疲れていやになっていた頃、松岡氏の風呂屋のくだりにあった話を読んで、救われた思いであった。この人ですら、ブローデルを読むことが難しいのだから、私などは推して知るべしだと、喜んだのを懐かしく思い出した次第。難しいというのは、内容のそれというよりは、我慢してずっと読み続けるという意味、耐えるのが大変という意味で、私は思ったのだ。

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