私はテリー伊藤氏の「見解」を支持する。「あの(悲惨な)戦争」の歴史の教訓を、「日本人」だからこそ、世界に向けて発信するべき時ではあるまいか。ー〈ロシアの土着的・反欧米派ナショナリスト=グローバリスト
私はテリー伊藤氏の「見解」を支持する。「あの(悲惨な)戦争」の歴史の教訓を、「日本人」だからこそ、世界に向けて発信するべき時ではあるまいか。ー〈ロシアの土着的・反欧米派ナショナリスト=グローバリストのプーチン(VS<=)中国の親欧米派ナショナリスト=グローバリストの習近平(VS>=)ウクライナの親欧米派グローバリストのネオナチ・ネオコン支持のゼレンスキー(VS<=)世界平和を希求する反ロシア・反中国の親欧米派ナショナリスト=グローバリスト〉の関係と、それらの関係を結び付ける「システム」と、そこでの関係を問い直すとき(続・続・続)ー私の語る「システム」論から、〈「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち(負け)続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ〉との関連において、改めて「戦争」と「センソウ」を再考するとき
(最初に一言)
日本は、今も「戦争・戦時」下にある。日本は戦後一貫して国際社会から国連憲章の規定する「敵国条項」の下にあり、それによって「第二次大戦中に連合国の敵国だった国が、第二次大戦で確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の許可がなくても当該国に対して軍事制裁を科すことができる」という、あまりにも物騒な条項の下に置かれている。つまりその条項に違反したとみなされるときには、いついかなる時にも攻撃を受けても「文句」も言えないのが現実だということである。やっとその条項の削除が約束されたものの、なお実際は、継続中なのだ。
さらに、あの東京電力・福島原発の事故以降、日本人は未だに「原発戦争」の真っただ中に置かれているといっても過言ではない。放射性物質は未だ大気中に飛び散り、処理済み原発汚染水はたまるばかり。挙句は原子炉の解体作業を完全に安全なものとして終了できるかどうかのメドすらも見通せない始末なのだ。
あの事故以来、福島を離れての生活を余儀なくされ、将来の見通しが立たない者や、放射能汚染や被曝による様々な病気を抱えて苦しむ人々とその家族、第一次産業に従事する人たちの生活不安等々、さらにはこれこそ忘れてはならないことだろうが、原発事故以前のそれ以上に、被曝の可能性の高い原発作業員の存在を前にしたとき、その現実を忘却・無視したかのように、ウクライナ危機におけるウクライナの原発報道に心配の声を上げるのは、やはりこれもおかしな話ではあるまいか。
これら二つの事例を取り出しただけでも、私たちは身の回りの戦争・センソウに対して、あまりにも無頓着・無責任すぎるのが分かるというものだ。ただただメディア報道に煽られている間の話で終わるだけの繰り返しだから。それは今のウクライナ危機を巡る報道合戦に巻き込まれてしまって、右往左往している今の私たち日本人にそっくりそのまま該当する。
今のウクライナ危機をあそこまで長引かせている張本人は、米国のバイデン大統領と彼の取り巻きの戦争屋連中だ。彼らはウクライナに米国製の武器を売り渡し、外国人傭兵を送り込み、ウクライナをさらなる悲惨な戦争へと追い込んでいるだけではあるまいか。その意味ではやっと今回のウクライナ危機における戦争の正体が見えてきたのだ。ずっとロシアと、ウクライナを背後で操ってきた米国の戦争だったのだ。
そんな米国がよくも中国に言えたものだ。「ロシアを支援してはならない、と。おかしな物言いではあるまいか。自らはウクライナに対して、武器や資金そして傭兵を提供しながら、それと同じことを中国がもししようとすれば、それは許さないといわんばかりなのだから。
何か似ている。北朝鮮やイランが核兵器開発をするとなれば、国際平和や国際秩序に脅威となるから、それは許さないと公言するのだが、自らはちゃっかりと世界に先駆けて核開発に乗り出し、その成果を、あの戦争末期の日本で投下実験したのだから。恐れ入るのみだ。
親分には許されることが子分には許されない。それが覇権システムを前提とする国際政治・国際関係における現実だろう。その際、親分は自らの正当性と合法性を、自らに都合のいい情報提供を可能とする彼らご用達の国際メディア機関をフル稼働させて、国際世論を操作しながら、宣うことを忘れない。
自由と民主主義を守らなければならない、人権と平和が今攻撃されている等々。彼らこそ、その自由や民主主義を壊してきた張本人であることなど、思い知る由もない。と言うよりは、私たちはここで次のように問い直す必要があるのかもしれない。そもそも自由や民主主義に関して、私たちはどれほどしっいるのだろうか、と。ひょっとして、私たちが受け入れてきた自由民主主義や人権、平和は、それこそこのような暴力や戦争を、常にその中に含み込んでいたのではないのだろうか。
そもそもこの世界を動かしているのは私たち普通の者たちだろうか。それは違うだろう。特権階級を構成する権力者たちではないか。国でいえば、歴代の覇権国だ。そう、親分たちだ。市民革命を経験した国々は、そのほとんどが歴代の親分であり覇権国であった。フランスも強大国であった。彼らは、日本の時代劇に出てくるヤクザの親分に似て、一方で十手(普遍的人権)を掲げ、他方の手に刀(軍事力)を持って、意に従わない者をぶん殴り、殺すのだ。
それはさておき、話を先のくだり、すなわち、〈その際、親分は自らの正当性と合法性を、自らに都合のいい情報提供を可能とする彼らご用達の国際メディア機関をフル稼働させて、国際世論を操作しながら、宣うことを忘れない。〉に戻すとき、そうした仕組みの存在が、あの戦争における〈戦前・戦中・戦後〉の情報戦となって、大きな成果を上げたことを、私たちは今では知ることができるのだ。そんな日本人にとって、ウクライナ危機を巡るロシアとウクライナの、と言うよりは、その背後に控えていたが、しびれを切らしてとうとう表に出ざるを得なくなったアメリカ間の戦争は、他人事としては済まされない。
日本人の教訓として何よりも大切なことは、戦争をおこさない、つくらない、もちこませないの、まさに非核三原則にも似た鉄則だ。ところが、これを日本政府自らが破るのだ。破らざるを得ない。日米安保体制下の中、覇権システムの維持管理を担う覇権国としての親分である米国の力の前には逆らえないからだ。と同時に、その米国にイソギンチャクのように唯々諾々と従いたい日本人の権力・利害集団(勢力)が存在しているからだ。
今のウクライナのゼレンスキー大統領は誰のおかげで誕生したのだろうか。ウクライナの国民の投票によってだとしても、その誕生を可能とさせたのはその背後に控える米国であったということは、これまた多くの人の知るところである。その米国がゼレンスキーに徹底抗戦を要求し、彼はそれに従うことこそ、彼の安全保障を含む利害関係に適合する。彼にもはや選択肢はないのだ。
それゆえ、彼は彼の仲間を募る。そしてその仲間たちは、国際メディア機関の前で、米国の指示に従いながら、ロシアの一方的な侵略は悪であり、我々はウクライナを守るために最後まで戦い抜く、ウクライナ人の誇りを忘れない等々、語り続けている。それとともに、子供や女性の無残な姿がメディアを介して、延々と映し出される。
おかしな報道であるにもかかわらず、それをおかしいと思わせないのだ。戦争それ自体を許さない・許してはならない、戦争遂行者はロシア側であれ、ウクライナ側であれ、両者ともに許してはならない・許されるべきではない、とにかくロシアもウクライナも停戦すべきなのだ云々のメッセージは、どういうわけなのか国際メディア機関が提供する情報からは伝わってこないのだ。その理由は明白だ。もっつと戦争を継続させることで、武器が売れる、在庫が一掃され、新たな武器の開発のための政府予算が組める等々。
逆に、ロシアが悪い。一方的にグルジアやクリミア半島を併合したり、ウクライナの東部二州を自らの支配下に置いている。こんな非道な無法なやり方はおかしい、ロシアがウクライナの原発を占拠して、そこでの爆発があり、電源も切れたままで、このままでは危ない云々の情報ばかりが提供されるのだから、日本人はそれを信じて情報操作されてもおかしくはないだろう。
そう言えば、東京電力の福島原発の事故の際も電源が切れて、相当な問題となったのだが、あの責任は一体、誰にあったのか。安倍元首相にあるとの批判がなされたのだが、これもいわゆる「原子力村」・「原子力マフイア」の存在や東京オリンピック開催に向けての動きの中で黙殺されてしまった感がある。その安倍元首相と言えば、何より東京オリンピックの誘致のために、東北の原発は「アンダー・コントロール」だと世界に向けて発信したのだが、これは嘘八百であったのは間違いない。だが、国民の多くも、メディアもそれほど騒ぐことはなかったのだ。
元々、原発は安全だとの安全神話に反対して、原発の誘致の以前からそして誘致された後も、地道に原発反対を訴えていた地元の人たちに対して、私たちはどのような態度を示していたのだろうか。そして事故後も、またそうである。あまつさえ、あれほどの悲惨な事故をおこしながら、さらに今もなお多くの婦女子や女児が甲状腺ガンを患い、その治療で大変な状況・状態にあるにもかかわらず、もうそんなことなどなかったかのように、再稼働であるから、これではもう、あの戦争の教訓を忘れてはならないなんて叫んでみたところで、話にもならない。
そうした愚か者たちの日本人が多数を占めるこの日本から、ウクライナに向かって、いやその前に、当の日本に向かって、テリー伊藤氏のような発言をすれば、どのような結末というか、大炎上となるのは明らかなことだろう。本当に忸怩たる思いだ。
今の国際世論のおかしさというか危うさは、処理済み原子炉汚染水の海洋放棄(「放出」という言葉はやはり、何かを隠している。そう、私たちの作為と不作為を)に対して、それこそ米国のバイデン大統領が、そんな無法は断じて許さないなんてことを、決して言わないことにもある。私たち日本人も、それほど騒がないのだ。それでいて、国際世論の垂れ流すSDGs云々の大合唱となるから、これまた首をかしげざるを得なくなる。もっとも、それがメディアに洗脳された者たちの病気の症状であるから、いまさらおかしいことだなんて言うのも、これまたオカシイ話だが。
それではこれらの点を踏まえて、テリー伊藤氏の発言とそれに対する反論を吟味しながら、そこから見えてくることに関して述べてみたい。その際、読者には申し訳ないのだが、私の語る「システム」論で提示されている例の{[Aの衣食足りて(経済発展)→Aの礼節を知る(民主主義の発展)]→(×)[Bの衣食足りて・足りず(経済発展)→Bの礼節を知る・知らず(民主主義の発展)]→×[Cの衣食足りず(経済発展)→Cの礼節を知らず(民主主義の発展)]}(なお、このモデルは1970年代以前の共時態型モデルであり、それに関連した他のモデルは省略している。詳しくは以下の拙著のモデルを参照してほしい)を念頭においてお付き合いお願いしたいのだ。さらに厚かましいことを言えば、拙著『21世紀の「日本」とーーー』の88-91頁のモデルを参照しながら、以下の話を聞いてほしい。
さて、今日の早朝、私は以下の記事〈テリー伊藤が大炎上! ウクライナ人へ降伏提案…「日本人として恥ずかしい」2022年03月15日 10時31分 まいじつ〉に気が付いたところ。それによると、〈テリー伊藤が大炎上! ウクライナ人へ降伏提案…「日本人として恥ずかしい」演出家でタレントのテリー伊藤が、3月14日放送のラジオ番組『垣花正 あなたとハッヒ?ー!』(ニッポン放送)に出演。ロシアのウクライナ侵攻について持論を展開したのだが、その内容に批判が続出し、炎上している。〉とのことだ。
その記事は続けて以下のように伝えている。すなわち、〈テリーは、連日続くロシアの攻撃によって、多くの人々が亡くなっていることを懸念。ウクライナの女性に対し「今の状況としてはウクライナに厳しいと思う。さらに攻撃が続けば民間人の死者がどんどん増えていくことが現実になった時に、それは一番いけないことだと思う。この戦争、5年、10年、20年続きます。ですから今は安全な場所に一度移動して、もう一度立て直したらどうか?」と提案した。〉、とある。
それに対して、〈女性は、「テリーさんの仰ってることよく分からないです。別に避難できる人は避難しています。小さい子どもやお年寄りが戦っているわけではないです。じゃあ、ウクライナは戦わないでそのまま殺されていいって事ですか?」と声を荒らげ、口論となる場面があった。〉とのこと。
それに続いて、〈一連のやり取りを聞いていたリスナーからは、《テリーの言うことも分かる。圧倒的な軍事力の差があるし、このまま無駄に死者を出すことはない》
《民間人が巻き添えになってる。このままではドンドン死者が増えるだけ》《ウクライナの人の気持ちもわかるけど、じゃあロシア攻撃して第三次世界大戦になってもいいの? テリー伊藤はそこまでは言わないけど、それが言いたいんだよ》といった、テリーの発言を支持する声が上がった。〉とさらに続いていく。
ところで、今回の私の話はとくに、〈「命が第一」テリー伊藤の主張が炎上…
しかし一方で、ウクライナ人の心情を逆なでするかのような発言に、ネット上では〉のテリー氏に対する批判を中心として述べていることをここで断っておきたい。先ずは、以下の記事にあるコメントに対して、そのすぐ下に、私なりのコメントを付け加えてみたので、それを見てほしい。
《いくらなんでもウクライナの人に降参しろはないわ。祖国が奪われたらロシアのやりたい放題にされるだけだぞ》
戦後の日本を鑑みれば、この人の言う通り。だが、この人はそうした日本を見ながら、親分の米国とどのように向き合い、どんな主張をぶつけてきたのだろうか。おそらく、この人は日本が米国によって好き勝手にされてきたとは見ていないし、そんなことを考えたこともなかった人かもしれない。逆に、日本は自由と民主主義を守るために、同じ価値観を共有するウクライナ人を応援したい、そんな思いを抱いているのかもしれない。
もしそうであるなら、この人は、それでは自由と民主主義はどのようにして実現したかに関して、自分なりの考えを持って、語ることをまずはしてほしい、と私は思うのだが。
《ウクライナ人は死ぬことを覚悟した上で、ロシアの侵略を防ごうとしてる。そういう人たちに向かって降参しろはないでしょ》
そんなあなたは、実際に何人のウクライナ人と一緒に暮らしたことがるのだろうか。すべてのウクライナ人が死ぬことを覚悟をしていると、どうやって証明するのだろうか。死ぬことを覚悟しているウクライナ人なのに、どうして子供や妻や親たちを、国外に避難させたのか。ロシアの侵略というとき、それではウクライナはロシア人を傷つけたり殺したりはしなかったのか。これに関してどのように考えているのか、聞きたいものだ。
《ウクライナ人女性に対して非常に失礼。仮に抵抗せずに降参したからといって、命の保証があるかすらわからないんだよ?》
それはその通りかもしれないが、あの戦争で敗北した日本は降伏して、日本人は生き残ることができたのも事実だ。それと、あの映像に出てくるウクライナ人は、かつての湾岸戦争時のかわいそうな女の子と同様に、もしかしてウクライナ政府関係者の人かもしれない。おかしなもので、こんな時は男性よりも女性を使う頻度が高いのだが、それこそLGBTの時代にあって、「女性に失礼だ」なんて、この物言いはどこかしっくりこないのだが。
《テリーの平和脳に呆れた。日本人としてとても恥ずかしくウクライナの方々に申し訳ない思いでいっぱいです。あまりの恥ずかしさに涙が出てくる》
私は、あなたの発言にこそ、涙も枯れて、あきれてしまう。あなたが日本人というとき、それは誰を頭に思い浮かべているのか、それが知りたい。「平和脳」の「平和」をあなたはどのように説明するのか、これも聞いてみたい。ついでに「戦争脳」とそこでの「戦争」についても。私の語る「システム」の下でつくられる「平和」は、あなたの想像を絶した平和なのだが。それは私の前掲拙著の副題からもわかるはずだ。この方にはぜひとも、ご一読お願いしたいものだ。
それを踏まえた上で、以下の「芸能ライター」氏の批判に対しても、私なりのコメントを付け加えた次第。
〈「テリーは太平洋戦争末期を引き合いに出し、日本がもう少し早く降参していれば、原子爆弾の投下や沖縄戦で命を落とす人がいなかったのではないかと、あくまでも人命が優先されるべきだと主張。女性に撤退の考えがないことを非難しました。しかし、仮にテリーの言うように一時的に命を救われる人が出てきたとしても、その後、ウクライナの人たちの安全が保証されるとは限りません。これでは命を捨てる覚悟で母国を守っている人に対し、あまりにも失礼と言わざるを得ないでしょう」(芸能ライター)〉
この方の年齢はわからないのだが、もしあの戦争を教科書でも学んだ者ならば、戦後の日本人を思い浮かべればいいだけの話ではあるまいか。命を捨ててまでも母国を守る覚悟を云々と言われても、私はそんなことはできない。この日本の今の政治腐敗や格差社会の深化とそれに伴う、持てる者と持たざる者との別世界の暮らしと生き方を鑑みるとき、とてもではないが、そんな愚を犯したくはない。
おそらく、ウクライナも、またどの国でも大なり小なりそうだろうが、汚職がはびこり、腐敗が蔓延して、どうにもならなくなっているに違いなかろう。それが、戦火にまみれた瞬間に、跡形もなく消え去ったかのように、挙国一致の大号令の下で、普段は相手にもされないような者たちが、あなた方こそ、この国を守るかけがえのない英雄だなんて、ホント、馬鹿らしい話の連続となるのだから、参った、マイリマシタなのだ。
何か必要な時、助けてほしいときには見向きもしないのに、いざ戦争となれば、以前とは異なり、持たざる者の誰も彼もが巻き込まれてしまい、悲劇を演じる「主役」を務めさせられてしまう。その一方で、彼ら持たざる者たちを食い物・踏み台としながら政治に携わる者たちは、グローバルな巨大な権力・利害集団(勢力)の指導と監督の下で連携しながら、彼らは安全地帯に位置しつつ、そのオコボレにちゃっかりと与る喜劇の「脇役」を演じるのだから、これこそどうにもならない悪(ワル)ではないか。
これに関して、最近のおかしなことは、あの橋下氏が核共有論などのトンデモ論を言うかと思えば、その逆に、私にはごくごく普通の道理を報道番組でしゃべってくれるから、ありがたいやら。またなんとも言い難いやらなのだ。以下に、テリー紙報道に関連した同記事から引用貼り付けておく。
ーーー
13日に放送された『日曜討論』(NHK)では、弁護士でタレントの橋下徹氏が、「安全を守るために政治的な妥協もある」とコメント。ジャーナリストの櫻井よしこから「ウクライナは絶対に領土を譲らず、ロシアは絶対に欲しい。現実的にどんな妥協をするのか?」と反論され、沈黙するシーンがあった。
ーーー
ここでの桜井氏の発言は、もうアメリカべったり・ヨイショの格好の例ではあるまいか。よくもまあ、間抜けな日本人は、こんな桜井氏や安倍氏等の「親米・保守」という「保守」の実状を今になって知ったという始末。それこそ私たち保守支持者は、知りませんでした、騙されていました、ではあるまいか。あの斎藤氏の「ずっと嘘だったんだぜ」をもう一度聞いて、猛省しないと、である。
とにかく、よくもまあ、こんな連中に「靖国」を汚されてしまって、煮えくり返るのだが、結局、彼ら保守も、その実態は米国の利害を保守するだけであったのだ。その米国は覇権国として君臨していたから、覇権国としての米国の利害を、そこから覇権システムの利害を、そして私の語る「システム」の利害を「保守」するというまさに、ご立派な正真正銘の「システム人」でしかなかったのである。
それにしても、橋下氏もだらしないよ。どんな「妥協」があるのかと問われれば、日本のあの戦争の敗北濃厚時の、「ポツダム宣言」受諾という妥協が教えてくれているではないか。最後までロシアとウクライナが「領土」を死守する云々の理由から、両者がどれだけ徹底抗戦を叫んで見たところで、日本のあの戦争の敗北時の絵巻物が、見事にその妥協(点)を教えてくれている。、たとえ押し付けられた妥協でも、妥協に変わりはない。そこまでいかないために、いってはダメだとの思いがあるからこそ、テリー伊藤氏や橋下氏の発言となるのではあるまいか。
この記事の最後に以下のようなくだりがあった。すなわち、〈戦争についてはさまざまな意見があるが、一介のタレントが私見を展開したところでロシアの侵略が止まるわけではない。芸能人コメンテーターが口を挟む話ではないように思えるのだが…。〉、と。
やはりこれはおかしい物言いだろう。「専門家」と称される者ならばいいのか。コロナ禍で、私たちはよくわかったのではあるまいか。専門家連中にもいろいろあり、それこそ何が本当なのか、真実なのかは誰にもわからないということが。それにもかかわらず、それ以上にわかったことは、専門家連中にもいろいろな閥があり、その背後にもまたいろいろな大手メジャー製薬企業とその関係権力・利害集団が存在していることを。
(最後に一言)
何度でも言わなければならないのだが、日本人は「あの戦争」からまだまだ学ぶべきことがたくさん残されているように思われて仕方がない。未だに戦争は終わってはいない。さらに、私の語る「システム」論で描かれる世界・セカイにおいては、戦争・センソウはいつも此処彼処でおきているのだ。
そして、戦争で金儲けをする、私の語る「システム」の下でつくり出されたグローバルな巨大な権力・利害集団(勢力)は、戦争を少しでも長引かせようとする。そのためには、彼らの使えるものはどんなものでも使って、戦争遂行のために尽力するのだ。それこそ、いま私たちがメディアを介して目の当たりにしている怖い怖い風景こそが、それを明白に物語っているのではあるまいか。