虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

帰ってきたもてない男/小谷野敦

2005年07月23日 | 
ちくま新書

 今日は土曜というのに、休めない。地震はおきるし、ほんとにやんなっちゃう。

 愚痴はさておき、「もてない男」の小谷野敦がその後の結婚離婚経験を経てあらわした「帰ってきたもてない男」タイトルからしてお遊びが入ってますが、これはちょっと奇妙な感触でした。
 私は、「もてない男」は著者が非モテ系の自分をサカナに展開する恋愛論というか、人間関係と孤独についての本のブックガイドみたいな読み方をしていました。今度はさすがにこの著者らしく引用は多いけどブックガイドとは言えません。

 それにしても、恋愛至上圧力とか、いろいろ言ってはいるんだけど、なんか論が滑っていく感があります。あくまで私に迫ってこない、という意味なのではきちんと読み解いている方はいらっしゃると思います。著者の言う「もてない」というのは、自分の好きな女性に好いてもらえない、ということであって、不特定多数に騒がれたいことではないというのですから、もうこれは未来永劫存在する人間の悩みでしかないです。

 そもそも、人間関係って不条理なものだというのが、私の認識の出発点ですので、
「なぜ東大大学院卒でもてないんだ!」
と言われたところで、(もちろんこれは著者本人もルサンチマン…私怨だと言ってるけど)そうなんだから仕方がないんですね、としか思えない。異性に惹かれる理由には趣味・容貌・経歴にプラス、好み・相性というものがあります。愛別離苦、怨憎会苦の理不尽は永遠です。
 立場の強弱があからさまなもの以外のセクハラ論争にも、私が私見を申し述べることにためらっちゃうのは、「私は人間なので、好き嫌いがあって、同じことでも行為者が誰かに拠って全然感じ方が違います」を認識しているからです。人間て、そういうものだから結婚したり恋愛したりができるんではないかと思います。だからこそ、大勢が顔をつき合わせて仕事しなきゃならない場では、控えめ、抑制が大事になるのではないですか。
 女性がカタログデータ的に男を選別するといわれたって、お互い様だし、その選別基準にイチャモンつけたって空しいだけでしょう。それでもって、もてないことを否応なく認識してしまったら、それぞれ自分を道化にしたり、異性嫌悪になったり、とりあえずお金で解決方向へ走ったり、あくまで赤い糸の人を待ち続けたり、人はいろいろな行動をとるのではないでしょうか。そういう事を描いた小説なら、ドストエフスキーとか、日本の私小説から、それこそ山のようにありますよね!その先に幸せがあるかどうかは運しだいですが。
 私は、著者の言う1.5流大からもはずれている大学出身ですし(いえ、文中におつきあいしたい女性の出身大学指定なんてされてるので)、稼ぎ悪いし、美人とはとても自己申告できないので、まあ、隅から小さい声で言っちゃうのですが、東大大学院修了、ブリティッシュコロンビア大留学経験あり、サントリー学芸賞受賞暦ありの小谷野氏が、自分の異性への理想が満たされない現実に折り合いをつける気なんかさらさらないのに、「どうしろというんだ!」とわざとらしく吼えてるような感じがします。(小谷野氏は負け犬の遠吠えなんか気にしませんよね…やはり私は小心者)

 この本を読んでみると、私がこう感じるのも男と女の、また個人的な性と性行為に対する欲求度の違いに起因するのかもしれないな、と思いますが、やっぱりどこか沁みない議論です。フェミニズム論客やそのほかの人の「もてない男」についての論評や反響についての言及もあるけど、やっぱり私は「女が誰かと対にならなくては生きていけない」強迫観念がないほうがいい世の中だと思ってるので、もてないのはやっぱり自分で解決というか対処しないとなあ、と思うのでした。
 いや、今度も掘り出し物の本を紹介してもらえるかと思ったので、ちょっと辛目の感想かも。

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