虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

平凡/二葉亭四迷

2005年06月20日 | 
講談社文芸文庫「平凡・私は懐疑派だ」

 明治の文士の述懐のようなぼやきのような半生記。
 可愛がられ家の中の王様のようにして育ち、文学に志し、自分の文名を広める機には恵まれたものの、続かずそして文学そのものにも懐疑を抱き、挫折の上に生活に追われる39歳の今がある。

 ここ10年ほど古い小説が新しい版で出て、きれいな活字や広めの行間で読めるようになって嬉しい限りだが、これもそうなってから読んだもの。ほとんど流れ作業のように読んでいたティーンの頃でなく、今読んだというのもまた人生のめぐりあわせというものでしょうか。
 あらすじはずいぶん乱暴に書いてしまったが、本当に全編ぼやきのようでおかしい、そして切なく恥ずかしく、痛ましい。「浮雲」と同じく文章全体が軽妙なのですらすら進んでしまえるのだが、これまた「浮雲」と同じく自分の自尊心と怒りを扱いかねているような不器用で生きるのが下手な主人公なのだ。そしてキレてしまうには理性がありすぎる。
 自分が何ほどのものか、見えてしまうがために思い切って切れてしまう事も出来ない。これもまたものすごく不幸なことだろう。
 少年期や、青年期の失敗や懊悩は時代とシチュエーションこそ違え、そこに描かれる「やっちまった…」「何でこうなるんだ…」「そんなことがあってたまるか」の身に覚えのある心情には、共感のハズカシさで身もだえしてしまう。きちんと抗議できない、処理できない我に悔しい思いを心のなかに沈めていくことも実にわかってしまう。何よりも志を立て、情熱を注ぎ込んだ文学への懐疑に自分が綻びていくような寂しさが、虚無感が奥から響くようだ。

 明治という時代の特殊さ、現代との違いは、私にはもう実感ではわからない。四迷もまたその急ぐ時代の中で人よりものが見えすぎた人間だったのだろう。この本を読んで四迷という人の精神は、明治には現代人に過ぎると感じるのである。

「平凡」も、「浮雲」も青空文庫で読めます!

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