8月は
2006年08月16日 | 本
世の中が戦争があることを思い出す月になっているようで、新聞雑誌の特集とかTVの特番だので日本が負けたことを確認してくださいます。
15日は総理の靖国参拝で騒がしい1日でした。
私は私個人のことと、知っていることしか申し上げられませんが、戦没者遺族と言っても、あたりまえのことながら一様ではありません。
一人息子を南方で亡くした曾祖母は絶対に靖国へは行きませんでした。千鳥が淵へ行っていました。
大叔父は日本兵の大多数(7割)の死因と同じ餓死です。現地調達の仕様もない農耕とて不可能なサンゴ礁の島へ補給も無しに置き去りにされてじりじりと弱って死んでいったのでしょう。
私も靖国へはごくたまに行きますが、無念や悲しさに心が乱れるばかりです。
やっと危ういとはいえレバノン停戦が眼に見えるようになりました。
このところエドワード・サイードの「ペンと剣」をずっと読んでいました。ちくまで文庫化されておりますので多くの方に読んでいただきたい本です。
これは10年にもわたるラジオ・インタビューを集めたものなので、サイードがずっとアピールし続けた「パレスチナ人の存在」とそこにある悲劇、その間のパレスチナとイスラエルの問題の移り変わりをも学習できます。
絶望的な状況の中でも、なおも理性による世界への希望を持ち続け、訴え続ける素晴らしい思想家の姿を知ることができます。
こころ、とかどうにも取れるような一言で片付けてはいけないことがあると思います。卑屈にならず言葉を尽くして、しかしあくまでもひるまず訴えることが肝要ではないですか。
15日は総理の靖国参拝で騒がしい1日でした。
私は私個人のことと、知っていることしか申し上げられませんが、戦没者遺族と言っても、あたりまえのことながら一様ではありません。
一人息子を南方で亡くした曾祖母は絶対に靖国へは行きませんでした。千鳥が淵へ行っていました。
大叔父は日本兵の大多数(7割)の死因と同じ餓死です。現地調達の仕様もない農耕とて不可能なサンゴ礁の島へ補給も無しに置き去りにされてじりじりと弱って死んでいったのでしょう。
私も靖国へはごくたまに行きますが、無念や悲しさに心が乱れるばかりです。
やっと危ういとはいえレバノン停戦が眼に見えるようになりました。
このところエドワード・サイードの「ペンと剣」をずっと読んでいました。ちくまで文庫化されておりますので多くの方に読んでいただきたい本です。
これは10年にもわたるラジオ・インタビューを集めたものなので、サイードがずっとアピールし続けた「パレスチナ人の存在」とそこにある悲劇、その間のパレスチナとイスラエルの問題の移り変わりをも学習できます。
絶望的な状況の中でも、なおも理性による世界への希望を持ち続け、訴え続ける素晴らしい思想家の姿を知ることができます。
こころ、とかどうにも取れるような一言で片付けてはいけないことがあると思います。卑屈にならず言葉を尽くして、しかしあくまでもひるまず訴えることが肝要ではないですか。