の続きです。
わたしがAちゃんに関わりはじめたのは小1の半ばですから、それまでAちゃんがどんな風に育ってきたのか、
どんな理由で、どんなプロセスを経てお父さんやお母さんにあたり散らすようになったのか、くわしいところはわかりません。
わたしにわかるのは、自分の目で見て耳で聞いてわかる範囲です。
活動したり遊んだり勉強したりする場面で、Aちゃんがどんな頭の使い方のレパートリーを持っているか、気持ちの使い方のレパートリーを持っているのか、どんな行動の使い方のレパートリーを持っているのかです。
ゲームに例えるなら、そうしたレパートリーの手札をどの割合で持っていて、どんなときに使うのかです。
そうしたAちゃんの姿にAちゃんのお母さんがどのような接し方で返しているのかも限られた場面についてですが、わかります。
すると、おのずと、虹色教室でのわたしの役割は決まってきます。
一般的に正しいとされるマニュアルはいったん脇において、「頭にしろ気持ちにしろ行動にしろ、Aちゃんが自分を信頼し、自分のすることに自信を持つことができて、より社会化された手持ち札を使えるように支えること」が最優先、そう思っています。
教室では、子どもたちのカードゲームやボードゲームにつきあうことがよくあります。
なかには、十分勝てるいい手札を持っているのに、わざわざよくない札ばかり出して、負け続ける子がいます。
カードを出すことにばかり気を取られて、自分の持っているカードをじっくり眺めたり、吟味したりする間がないのです。
次回に続きます。