虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「生き辛さ」を抱えて生きるということ

2021-04-29 18:24:42 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
大人になって、自分は発達障害ではないかと疑いを持ちました……とおっしゃる方々からコメントをいただくことがあります。
そうした方のコメントは、いつもとても深い洞察を含んでいます。

発達障害児を育てる親御さんのコメントとは少し異なる
「生き辛さ」を抱えて生きるということを自分で経験してきた方の
生の言葉です。

発達障がいを持った子を育てていると、
どうやって普通に近づこうか、困った癖をやめさせようか、
ひとつでも何かできることを増やそうか、自立への道を歩ませようか
とそればかりで頭がいっぱいになってしまうかもしれません。

少しでも生きやすくなるためにそうした支援は必要ではあるけれど、

実際、「生き辛さ」を抱えて生きている当の本人にすれば、
何が何だかわからない
安心できない世界から、毎時間毎分、
ダメな自分、できない自分、
足りない自分、変わらなくてはならない自分を
つきつけられて、

自分を信じる
自分を受容する

という人として生きていく基盤となるような部分が
いつもぐらついた状態で、
生きていることが周囲に対し申し訳ないような思いまで抱きながら暮らしているのが現状です。

運動オンチの人がオリンピック選手を養成する体操クラブに入れられれば、
たとえ、バカにされたり、期待されたりしなかったとしても、
周囲のようにできない自分に自信を失い、
苦しみを感じて生きるようになりますよね。
発達障がいを持って生きるということは、支援を受けていても、優しくされていても、
挫折感とコンプレックスと疎外感と誤解される悲しみと絶えず向き合いながら
それを受容し、のみ込んでは、
一歩、一歩、前に進んでいく作業です。
障害特性ゆえに苦しい、感情がコントロールできないという事実とは別に、
現実がむごすぎて、苦しくて、感情がコントロールできなくなるのです。

それでも一生懸命、生きている子がいて、
そうした苦しい受容を途方もないほど繰り返しながら、
大人になって、一生懸命生きている方がいます。

私たちは、自分が持っている「ふつう」という固定観念と比べて、
経済的に自立しているかとか、
社会的に認められているかとか、
人間関係が上手にこなせているか、
とかで人を比べたり、評価したり、人を社会のお荷物とみなしたりします。

でも、もし、人類というひとつのまとまりのなかで、
何割かの人が、
必ず、自分たちが過去に汚した環境の影響をかぶって
障害を持って生まれる役を引き受けなくてはならなかったり、
誰かは必ず、進化しようとする遺伝子の影響で、
ある部分だけ特化した
生きづらい生を引き受けなければならないとしたら、

人類が自分も含んで確率的に持っているもののひとつを
引き受けてくれた人に対し、
あれこれ比べたり評価するというのはどうなのでしょう?

そうした生をバカにする人や、変わるように急かす人が、
なら次は自分がそうした苦しい生を引き受けて、
最後まで生き抜きます~と簡単に言えるのでしょうか?

こうした生き辛い生には、苦しみとひきかえに、
ひとつのすてきなプレゼントが用意されています。

ジョージア州に、成功者と億万長者を20年間調べ続けて、
自分もその仲間入りをした方がこんなことを
おっしゃっています。

『人とちがうことは利益をもたらす』
トマス・J・スタンリー

人が褒めてくれるような長所は、意外に、利益をあまりもたらさないのだそうです。
なぜなら誰もがあこがれる見栄えの良いところには、人が群がって競争が激しくなるからです。

『戦って勝つのは下策。戦わずに勝つのが最上』と孫子も言っています。

本田宗一郎は、

『私は世間でいう“悪い子”に期待している。なぜかといえば、そういう子どもこそ“個性の芽生え”を持つ頼もしい可能性に満ちた本当の意味での
“いい子”なのである』

『失敗もせずに問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。
同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性となり人生の飛躍の土台となる』

と語っています。
生き辛さは、このように、きちんと生き抜けば、それだけで価値があるものなのです。

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