学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

忘れられた"心豊かな人”

2022-02-11 17:24:21 | 日記
 午後3時過ぎに我が家の前の道を小石を蹴りながらそれぞれの家に向かう4〜5人の小学生のグループがいる。どこから小石を見つけてくるのか分からないけれど浅い溝に毎日子供のこぶし大の小石が落ちている。道路の直角の曲がり角をうまく小石蹴りをコントロールできないのだろう。火バサミを持って溝掃除をするのが最近の日課だ。少しは注意をしたいのだが僕達が子供の頃も石蹴りで遊んだものだ。しばらく続けると飽きてしまうことを期待している。“ちょっとだけ他人のことを考えるのは心豊かな人”と学校で教えられたことが今でも生きている。
 そんなことを考えながら子供の躾に名を借りて児童虐待を繰り返す親がいることがふと頭をよぎった。子供の頃に何かが足りなかった親が虐待を繰り返す。何が彼等の生活に不足していたのだろうか。どこか心の根の深いところで自分を愛していない人は他人を愛することができないと言われる。他人に心配りをする余裕がないのだろう。
 社会の制度の不足も見逃せない。児童虐待を知りながら児童相談所が親権尊重の考えから保護が遅れて惨事に至るケースや虐待を繰り返す親に対する監視指導体制や治療が不十分なことも挙げられる。今回僕が気がかりなのは児童虐待に関するテレビやラジオの報道だ。「熱湯を…」「鍋の上に立たせて…」「長時間裸で…」などなど微に入り細に入りの報道で気分が悪くなってしまう。仕事とはいえ原稿を読むアナウンサーは心的に大丈夫なのだろうか。ニュースなどで悲惨な子供への虐待の話が始まれば僕は音を消してしまう。黙って聞いていることができないのだ。報道のあり方をなんとか考えてもらえないだろうかと常々考えている。性善説を信じてきた僕、「弱いものを見たら助ける精神」や教育がどこかに置き去りにされてきたのだろうか。

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