どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ハロン湾へ

2010年04月20日 10時23分30秒 | ハノイ
 霧にしては路面が濡れすぎと思われる、ベトナムの南の霧ってこれほど濃いものなのだろうか。出勤の車やバス、圧倒される量のバイクに囲まれてバスは郊外を目指す。通りにはオキナワの言葉で言えばオーダー、ヤマト風に言えば天秤に果物や野菜などを担いだ商いの人が見える。
種類も豊富でバナナや西瓜、柑橘類に桃はもちろんマンゴにパラミツ、ドラゴンフルーツが見られる。

 高速道路の入口付近には自転車に積んだパンを売っている人がいる、フランスパンとのこと。仏領インドシナと呼ばれただけのことはあってフランスパンは本場時込みで美味しいと思われる。
フランスは植民地から収奪だけを考えたようで扱いが下手だ。アルジェでも激しい抵抗運動を起こしている。ベトナムから撤退する時にある工場では24時間フル操業し、後で機械類が使い物にならなかったと学生時代に読んだ覚えがある。

 ガイドの話によると、文化面での弾圧も激しく一種の焚書坑儒的なこともやったようだ。かつては漢字圏であっただろうに今では漢字が読める人は少ないようだ。漢字を使うかどうかは韓国のように近世になって意識的に排除したところもあるので一概に言えないけど、外国人に強制されて無くしたことは問題にすべきだろう。

 街に入った時軒並み家の間口が狭い事に気づいた、税金の問題なのか。間口2間奥行7間3~4階建てが標準のようだ。メートル法発祥の地フランスだから間ということは無いでしょうけど、各家はその程度の大きさに見えた。

正面は飾り付けに彩色と派手だが家屋の横は無塗装である。隣家とくっ付き見えないので飾りは要らないということなのか。隣が建築する様子も見られないのに正面は彩色され側面が無塗装というのも奇妙な感じがした。1,2件ならともかくほぼ全ての家屋がそうなっているところがおもしろい。

 見渡す限りグリーンで覆われた田圃がきれいだ。この時期は田植えが終わる頃で、西欧人のツアー客が下車して田植え風景を見ているのに何回か出会った。田植えは珍しいのだろう。見渡す限りの平野で霧に霞んでその広さは分からない。日本でもこのように広い場所は少ないだろう。

 共産党政権下の土地政策をガイドが説明していた、それによると歴史で習った班田収授法を思わせる方式だった。詳しくは忘れたが働き手の数によるもの・・・だったと思います。

 たまにアヒルの養殖地がある、ベトナム戦争時にB52から投下された爆弾の穴を利用していると説明していた。子供の頃はあちらこちらに艦砲穴と呼ばれる溜池があり泳いだり魚を取ったりトンボをとったことを思い出した。海に近いオキナワは艦砲穴、内陸部のB52の爆撃跡似ているところがある。

 余談だが、「艦砲ぬ喰えー残くさー」と自嘲気味の言葉がウチナーにはある。
歌です。
うんじゅん 我んにん 汝(いや)ん 我んにん
   (あなた方も、私も、君も 僕も)
  艦砲ぬ喰ぇー残(ぬ)くさー(艦砲射撃の食い残し)

勇敢なるベトナム人民も我がウチナーの民のように、哀しみを笑い飛ばしているだろうか。
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