雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十二回 小僧が斬られた

2014-11-11 | 長編小説
 三太は夢を見た。コン太が罠にかかり、もがきながら自分に助けを求めている夢だ。まだ夜明けには間がある。今宵は月も出ていず足元は暗く、コン太を戻した山は遠い。

 三太は旦那さまに訳を話すと、「ただの夢やろ」と出かけるのを止めたが、三太の特殊能力を度々見せつけられていたので、提灯を持たせ独りで山まで行くことを許した。夜明けまでには戻れないかも知れぬが、コン太が気がかりでならないからと、天秤棒と提灯をもって出かけた。きっとコン太は罠にかかって怪我をしているだろうと、晒と膏薬を持って行くのを忘れなかった。

 早足で山に向かっていると、猟師に捕獲されたコン太が逆さ吊りにされて、生きたまま皮を剥がされている様を想像してしまった。
   「コン太、いま助けるからな、暴れずに待っていろよ」

 今まで激しく暴れていたコン太が、急におとなしくなったような気がした。これはどうしたことだろうと三太は思った。ただの夢であろうに、こうも生々しくコン太の叫びがわかる。三太は何者かに導かれるように、つい駈け出していた。

 一年前にコン太と別れた辺りにきた。周りを見回し、耳を澄ませても、水路を流れる水の音しかしない。
   「コン太、何処に居るのや」
 此の頃には空は白み始め、遠方の山々の稜線がくっきりと見えてきた。
   「何や、やっぱりただの夢か」
 三太が諦めて戻ろうとしたとき、「クゥーン」と、紛れも無いコン太の声が聞こえた。
   「コン太やな、何処に居るのや」
 今度は一際大きく「ケーン」と鳴いた。警戒心の強い野生のコン太にとって、これが精一杯の鳴き声なのだ。三太は少し山に踏み入ってみた。
   「コン太、三太が助けに来たぞ」
 林の下草の中から、葉擦れの音がした。見ればコン太は罠に足を挟まれ、蹲(うずくま)っていた。
   「コン太、二年前は穴に落ち、今度は罠にかかったのか」
 三太は不思議でならなかった。コン太の助けを呼ぶ声が、江戸の町中(まちなか)まで届くとは、コン太はやはり稲荷神の使いなのかと思った。コン太の足に食い込んだ罠をこじ開け、持ってきた膏薬を傷口に貼り、晒で巻いてやった。

   「痛みがなくなったら、膏薬を外しや、引っ張ったら直ぐに外せるからな」
 コン太は、山に戻ろうとせずに、三太に擦り寄ってきた。
   「コン太、山で仲間が待っているのやろ、早く帰り」
 コン太は、三太の前にきちんと座り、三太の顔を見上げている。
   「夜が明けないうちに帰らんと、罠を仕掛けた猟師がやってくるで」
 三太が手の甲で「山へ帰れ」と合図すると、仕方がなさそうに振り返り振り返り、怪我をした足を引きずりながら仲間が居る山へと消えていった。

   「新さん、コン太は本当に稲荷神の使いかも知れないなぁ」
   『三太、稲荷神と狐は何の関わりもないのだよ、コン太の叫びが聞こえるのは、三太の方に能力が備わっているのかも知れねえ』

 新三郎の薀蓄を聞きながら、帰路を急いだ。
   『稲荷神は、御食津神(みけつのかみ)と言って、農業や食物の神様なのです』
 狐は昔「けつ」と読み表わされていて、何者かがふざけたのか、それとも間違えたのか御食津(みけつ)を三狐(みけつ)と当て字をしたことから、三狐神と呼ばれるようになった。稲荷神社には狐が神を護るごとくに鎮座しているが、本当は稲荷神と狐は何の関係もない。
   「新さんは、誰に教わったのですか?」
   「あっしは元旅鴉で、方方(ほうぼう)の稲荷神社を塒(ねぐら)にしましたから神社の立て札を読んだのです」

 その時、後ろから人が追ってくる気配を感じた。
   「こら、待ちやがれ」
 男は、かなり怒っている。
   「わしが仕掛けた罠にかかった狐を盗むとは太てぇガキだ」
   「何も盗んでない」
   「それじゃあ、逃がしたのか?」
   「うん」
   「折角捕まえた獲物を逃がすとは、どういう了見だ」
   「あの狐はコン太と言うて、わいの友達や、稲荷神の使いやで」
   「馬鹿言え、お前は何処のガキだ、親に弁償させてやるから、名前と家を教えろ」
   「わいは三太や、家は上方や」
   「今住んでいるところを言え」
   「京橋銀座の雑貨商、福島屋亥之吉のお店や」
   「そこの小僧か?」
   「そやそや、小僧や」
   「よし、このまま付いて行って、福島屋に弁償させてやる」
   「ふーん、おっちゃん、その前にお稲荷さんの使いを怪我させたのや、祟があるで」
   「何が稲荷神の使いだ、何が祟だ、狐は二分で売れる獲物だ」
 そう言い終わらない内に、男は路肩の石ころを踏んで、側溝に落ち尻餅をついた。
   「ほれ、罰があたったやろ」
   「痛い、足を挫いて歩けない」
   「わいは知らんで、帰り道で町駕籠を見たら、ここへ来るように伝えてやる」
 男が「待ってくれ」と言うのを無視して、三太はさっさとお店に帰っていった。町に入ったところで駕籠舁が客待ちをしていたので、男が足を挫いた場所を教えて駕籠待ちをしていると伝えると、駕籠舁は喜んで駆けて行った。恐らく足元を見られて、駕籠賃をぼったくられるだろうと三太は想像した。

 お店(たな)に戻ってきたころは、夜は白々と明け、やがて茜がさしてきた。お店の戸は閉まっていたが、戸を叩き「三太だす」と叫ぶと、女中が開けてくれた。
   「本当にコン太が罠にかかっていたの?」
   「うん」
   「怪我をしていたでしょう」
   「うん」
   「治療をしてやったの?」
   「うん」
 女中は「うん」としか言わない三太の心境を察していた。一年前の別れを思い出しているのだろうと思ったのだ。
   「寂しいね」
   「それよかもうすぐ、罠を仕掛けたおっちゃんがここへ来る」
   「何の為に?」
   「罠にかかった獲物を、わいが逃したから弁償しろと…」

 開店まで時間がある。みんなと一緒に朝食を摂っていると、開いている潜戸から目明しの仙一が跳び込んできた。
   「三太は、無事ですか?」
 真吉が応対に出て行った。
   「いま、食事中ですが?」
   「そうか、良かった」
   「何がどうしたのですか?」
   「昨夜、どこかのお店の小僧が辻斬に遭ったと聞いて、夜中に外にでる小僧なんて三太しか居ないだろうと思って跳んで来たのだ」
   「へい、うちの三太は昨夜外へ出ていたが、今し方戻って来ました」
   「足はあるのか? 怪我はしていないのか?」
   「別に何も…、それで親分は子供の死体は見ていないのですか?」
   「子供が斬られるところを目撃した男が示した辺りに血が落ちていたのだが、死体は無かった」
 真吉は首を傾げた。
   「死んではいなくて、医者に駆け込んだのではありませんか?」
   「そうかも知れんな」
 食事を済ませて、三太が店先に出てきた。
   「親分、お早うございます」
   「おお三太か、成る程怪我などしていないようだな」
   「へい、この通り」
 三太は自分の身体中を叩いて見せた。仙一親分が、「他のお店を当たってみる」と戻ろうとしたのを三太が止めた。
   「わいの知っている小僧さんかも知れないので、連れて行ってください」
   「旦那様の許しが出たら、是非来て欲しい」
 亥之吉旦那が出てきて、「行っておいで」と言ってくれた。

 
 現場に行ってみると、血糊はまだ残されていて、三太の見知らぬ同心と年をとった目明しが検分していた。目明しは仙一を見るなり立ち上がって、被害者が判明したのか訊いてきた。
   「この三太かと思ったのですが、そうでは無かった」
   「あっし等は、近くのお店を訊いて回ったが、該当する者は居なかった」
   「そうか、残るは医者だな」
 仙一親分は、付近の医者を当たってみると、駈け出していった。三太は、心当たりの店を覗き、顔見知りの小僧の無事を確かめて回った。
   「さっき、目明しの親分が来て同じことを訊かれたが、うちの小僧ではない」
 お店をまわり、小僧が行方知れずになっているところは無いかと尋ねて回ったが、どこも同じ応えだった。
 
   「新さん、目撃した人の話が間違っているように思えてきました」
   『道に落ちていた血糊の形も可怪しいですぜ』
   「うん、丸く固まって落ちていた」
   『刀で斬られたのなら、血は飛び散るだろうし、生きていて歩いたか運ばれたりすれば行った方向に点々と血を落とすだろう』
   「うん、ここは一先ず引き上げて、お店に戻りますわ」
   『あの猟師のことも気掛かりです』
   「ああ、あの足を挫いたおっちゃんは、駕籠にのって帰ったか、旦那様を強請りに行ったかだすなぁ」

 斬られた小僧を探すのを諦めて、仙一に報告がてら血糊のあった場所へ戻ってくると、仙一も他の役人も居ず、男が独り佇んでいた。
   「何だか怪しい、本当に見たのかな」
   『行ってくる』
 新さんが男を探りに行った。

  第十二回 小僧が斬られた(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ